One Night Strings

 第2話
夏休みも、あと数日。来週からは二学期が始まってしまう。
そうしたら…受験の準備も本腰を入れなくてはならない。これまで順調とは言っても、気を抜いたら努力も水の泡だ。
そのためには、メンタル面を和らげるのも必要、と決め込んで、あかねは出掛ける用意を始めた。

しかし、全く情報収集が出来ていないため、どんなスタイルで行けば良いのか。
何せ、一度も見た事がないバンドのライヴだ。
ファン層も分からないし、曲だって試聴用の3曲を聞いたきり。
「まさかヘッドバンギング…とか、モッシュとかしないよねえ…」
そこまでハードな音楽の印象はないけれど、ライヴでは盛り上がり方が変わるというバンドもいるし…彼らは一体どんなスタイルなのだろうか。

観客フロアではなく、関係者側で聴く事になるのだから、あまり服装など気にしなくても良いかもしれないが…天真の父の立場上もある。派手過ぎてもマズイかも。
あれこれ考えていたら、もう結構な時間になっていた。
入場に遅れたら、それこそ迷惑がかかってしまう。
目の前にあったオレンジ色のキャミソールを、慌ててあかねは手に取った。

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天真にもらった地図を見ながら、ライヴハウスに到着したとたん、あかねは思わずうわっと驚きの声を上げた。
ビルの地下にある、それほど規模の大きくはない会場を、取り囲む様な人々の列が出来ている。
ゆうに200人くらいはいるだろうか。若い女の子がやはり多いみたいだが、中には大学生くらいの青年もいる。とにかく…噂通りの人気のようだ。
彼らの列から少し離れて、あかねはビルの後ろにある裏口から地下へと下りた。

薄暗い階段を進むと、賑やかな話し声が漏れて来る。
ドアガラスには、大きくバンド名の書かれたポスターが貼られて、中の様子を遮っていた。
ゆっくりと戸を押すと、ざわざわと歩き回る人々。彼らのTシャツには、バンド名と同じネームが入っている。
あかねはバッグの中から、慌ててバックステージパスを探し出し、ネックピースと共に首に掛けた。

「あの…すいません、森村さんにお話を通してもらった元宮と申しますが……」
誰もが忙しく行き来している中で、邪魔をするのは気が引けたのだが、丁度目の前をアンプコードを手に歩いてるスタッフを、何とかあかねは呼び止めた。
奥の部屋にマネージャーがいるから、と言われて、人波の間をかき分けながら、狭い廊下をくぐって突き当たりの部屋の前に来た。

もしかして、ここ…控え室?
入口の前で立ち止まり、貼られているネームプレートを見る。
"TODAY ARTIST Red Butterfly"……やっぱり、ここは彼等の控え室だ。
いくら関係者としての来場とは言え、まさか彼等本人の待機する部屋のドアを叩くなんて…何だか緊張してしまう。
リハーサルの中にはいないかもしれないけど、もしいたとしたら、何て言おうか。
"ファンです"なんて言っても…たった3曲しか知らないんじゃ、かえって失礼かもしれないし。だからって、全く知らないっていうのも気まずい。
どうしよう。いつまでもここにいるわけにもいかないし…。
思い切って、あかねはおそるおそるドアをノックする。

「はい、どちら様ですか?」
20代後半くらいの男性が、向こう側からドアを開けてくれた。
「あ、あの…私、今日森村さんにお願いして頂いて…」
彼は、あかねの首に掛かっているパスを見た。
そういえば、今日のライヴをどうしても見たいという知人が来るから、よろしく頼むと森村が言っていたことを思い出した。彼女が…そうらしい。

しかし、妙なことだが…どこかで見覚えがあるような気がしないでもない。
高校生くらいの年頃?イノリと大差ないくらいの年齢だろうが、一体どこで見かけたんだろう。
熱狂的なファンという雰囲気でもないし、出待ちしている顔ぶれの中にもいなかったように思えるが。
「ああ、お話は伺っています。生憎フロアはいっぱいいっぱいですから、ステージの袖からお楽しみ頂くことになってしまいましたが…」
「い、いえホントに、それだけでも十分です。わがままなお願いをしてしまって、本当にすみませんでした。」
挨拶をしているあかねの耳に、衝立の向こうから張りのある声が聞こえてきた

「おい、誰か来たのかー?」
その向こうから、まだ少年の風貌が残る青年が顔を出した。
赤い髪と、鋭い瞳の輝き。そして、その声。何もかもが見覚えのある姿。
唐突な巡り合わせに、声も出ないほど驚いて立ちつくしているあかねを見て、彼もまた驚きの声を上げた。
「…お、おい…!アンタ…何でこんなとこに来てんだよ!」
そこにいたのは、間違いなく友雅の……。あの時、彼に言われて部屋まで案内した、彼女だ。
イノリは、すぐにマネージャーの顔を見た。
「な、今日…おっさん来てんの!?」
「いや、橘さんが来る話は聞いていないけど。」

びくっと、あかねの肩が震えた。
……今、橘さん、と確かに言った。それはもしかしたら、やっぱり……。
これまで気に掛けていた、小さな疑問の詰まった小箱の紐が緩み始めた。
天真の父が言っていた"気難しいミュージシャン"と言っていたのは、もしかして彼のことなんじゃないだろうかと、ずっと考えていた。
だけど、無理強いして彼の正体を明らかにしようとか、そんな気持ちにはなれなくて踏みとどまっていたけれど……真実が今、目の前まで近付いている。
「もしかして、おっさんと一緒?」
「え、ち、違います…。私、友達のお父さんにお願いして入れてもらって…」
友達の父親?と首をかしげたイノリに、マネージャーが森村のことを説明した。
「何だ、そっか。てっきりおっさんと連れだって、俺らのライヴを見学に来たのかと思ったぜ?」
ランニングにすり切れたデニム姿のイノリは、朗らかに笑いながらそう言った。

…俺らのライヴ……。
ということは、つまり彼等が、あの曲を歌っていた、「Red Butterfly」の正体!?
まさか、そんな偶然があるなんて……。

何度も驚いた顔で戸惑っているあかねを、イノリの隣で見ていたマネージャーの彼は、やっと彼女のことに気付いた。
以前、迎えに行ってもらいたい人がいると友雅に頼まれて、イノリと二人で出向いたカフェで待っていたのが、彼女だった。
友雅の事だから、付き合う女性など事欠かないとは思っていたけれど、まさかこんなに若い相手が…と驚いたのだが。
しかも、森村の知人ということは、彼の娘か息子の友人ということか。
そうなれば…まだ現役高校生?

「あの…今日のライヴ、頑張ってください!楽しみにしてます!」
ぺこり、とあかねはイノリたちに頭を下げた。
「ま、おっさんの音とは比べものになんないだろうけどさ…適当に楽しんでってくれよな」
そう言ったイノリからは、以前友雅に食って掛かっていたような、血気盛んな雰囲気は全然感じられず、正直少し意外だった。
パワフルというか、そういう強いオーラみたいなものは感じるけれど、無鉄砲には見えない。
これが、あの曲を生み出した彼…なのだと思うと、更に不思議な気分だ。


あかねがその場から立ち去ると、ドアを閉めたマネージャーがイノリに言った。
「あのお嬢さん、確か以前橘さんに言われて迎えに行った娘だったよな?」
「そ。おっさんのイイコ。」
さらっとイノリはそう答えたけれど、彼にとっては微妙な気分だ。
「…森村さんは知っているのかね?息子さんたちと同じくらいの年の子だろう。それが、そんな一回りも違う橘さんとそんな…」
するとイノリは、立ち止まってくるりと後ろを振り向くと、複雑な表情をしている彼を見た。
「あのさ、あの子とおっさんのことは…森村のおっさんにはオフレコな。」
「オフレコ?何でまたそんな」
突然そんなことをイノリが言うので、彼もまたそれに対して疑問が生まれた。
ただでさえ、業界では曲者であり大物の友雅が、普通の女子高生を本気で相手にするのか?
しかも、森村の立場としては、子供たちの友人であり彼等と同世代の娘が、彼くらいの年の離れた相手と……と知ったら、不安になるだろうに。

「何て言うか、プライベートをあけっぴろげにするの、嫌いそうだからさ、あのおっさん」
まあ、それは確かに。
生活感などまったく漂わないほど、私的なことは殆ど表に見せることのない彼だ。
それが無意識なのか、それとも意図的なことなのかは分からないが、自分から私生活の話を滅多に口にしないだけに、やや後者の気があるのだろう。
「だから、黙っといてよ。あとで、そのことでへそ曲げられて、プロデュースを辞めるとか言われたら大変だろ?」
笑いながらそう言って、イノリは立てかけておいたギターを手にとって、ソファの上に腰を下ろした。

友雅にもらった、ヴィンテージのレスポール。
あれから毎日のように弾きまくって、そのたびにその音に満足した。おかげで、随分と自分の指に馴染んできた。
ギターそのものの価値には、まだほど遠いテクニックしかないけれど、せめてそれに相応しいようなステージで、この音を響かせてやろうと決めた。
そして、今夜このライヴで、今の自分が出せる力で最高の音を奏でよう。

弦を軽くつま弾きながら、イノリはひとつ大きな深呼吸をした。


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Megumi,Ka

suga