Tenderly Melody

 第3話
ネオンが消えない中心街には、意外に早く戻って来る事が出来た。
祭りから帰る人々と、逆の方向を走っていたせいだろう。反対車線は身動き出来ない様子だったが、いつもは混雑している駅前も簡単に通り抜けて、あかねの自宅がある住宅地まではあっという間に着いた。

彼女の家の、玄関の灯りが見える場所で車を止めて、そこであかねを下ろした。
「今日は、いろいろ有り難うございました。」
「こちらこそ、あちこち連れ回してしまって、疲れさせてちゃったかな。」
「全然。お祭りも見られたし、買い物とかも楽しかったです。」
車内のデジタル時計は、PM9:55。
すっかり辺りは夜も更けて、わずかな人家の窓から漏れる灯りや、車のヘッドライトしかないのに、浴衣姿で笑う彼女だけは柔らかく輝いて見えた。

「じゃ、また来週。今日みたいに泣きじゃくるのは、これっきりだからね?」
ウィンドウから伸ばされた彼の手が、頬に触れると少し恥ずかしそうにして、あかねはうなづいた。
両手でしっかりと、あのブローチを仕舞った巾着を握りしめて。



「今日は、いつもよりごゆっくりなお帰りねえ?」
玄関を上がると、あかねを待ち構えていたのは母だった。
何のかんので、10時くらいの帰宅になったことで、あまりいい顔をしているとは言えない。
「門限なんて五月蝿い事は言いたくないけど、お祭りの夜はみんな浮かれてるんだから。酔っぱらいだって多いし、あまり遅くならないようにって言ったでしょ。」
脱いだ下駄をしまおうと、シューズケースの戸を開けるあかねの背後で、母がブツブツと小言を続ける、
「大丈夫だってば。夜はお祭り見に行ってないし、それに車で送ってもらったから、外は歩いてないし。」
久しぶりに履いた下駄を片付けて、あかねは部屋に上がった。

すると今度は、後ろから母にぐいっと肩をつかまれて、その場に引き止められた。
「ちょっと。あんたがお付き合いしてる相手って…いくつなの?」
「え…?」
覗き込む母の表情は、小言を言っていたにしては不機嫌そうでもない。
ただ、どことなく訝し気な様子であかねを見る。
「だって、車を乗り回してるなんて、あんたと同級生じゃあり得ないでしょ。例え18だったとしても。」

確かに、18になってすぐに免許を取ったからと言って、高校生じゃ自由に車なんて運転出来ないだろう。
家の車を借りたとしても、そうそうお気軽に車を使えるわけがない。だから、必然的に相手は18歳以上…つまり、年上という簡単な憶測が出来る。
「年上?どこで知り合ったのよ?仕事してる人?学生?」
「もう!そんなのお母さんには関係ないじゃないのよー!」
畳み掛けるように、母が疑問符をいくつも投げかけて来るので、何とかその場をごまかして逃げようとした。

慌てて二階へ駆け上がろうとするあかねを、踊り場から母が見上げる。
「文句は言わないけど、変な付き合いはしないでちょうだいね?それと、いくら年上だからって、大人の付き合いと子供の付き合いの感覚っていうのは、違うものなんだから。」
母の言葉に、それまで急いでいた足が止まった。
「お母さん…どういう意味…それ。」
見下ろしているあかねと、見上げる母の視線が合った。
「感覚が違うってことよ。大人になると、都合の良い考え方を覚えてくるものなの。本心だけじゃなく、嘘も必要になるってことよ、いろんな場面でね。」
何だろう。モヤモヤする、この気持ち。
母のその言葉を聞いたら、息が詰まりそうになって来た。

「そ、そんな人じゃないもの!」
咄嗟に、強い口調の声が自然に飛び出した。
「嘘なんか付かないもの!そんな…そんな人じゃないっ!」
「…ちょっと、あかね…どういう人なのよ、その人…」
ムキになって反論しながら、急に瞳から涙までこぼして。
そこまでして、正当化したい相手というのは一体、どんな男なのか。
これまで何一つ、あかねが相手の事を漏らしたことはない。さっき、ようやく相手が年上ではないか、という推測が出来ただけで、ついそんな老婆心で口を出してしまったのだが…。
「別に、全員がそうだっていうわけじゃないわよっ。ただ、中にはタチの悪い人もいるから、と思って…」
「だから、そういう人じゃないって言ってるじゃない!」
あかねの泣き叫ぶような声に、リビングで新聞を読んでいた父も驚いて、慌てて廊下へと出て来た。
しかし、彼女は父の姿に目を向ける余裕もなく、自室へ飛び込んでしまった。
「…何だ、どうしたっていうんだ、あかねは」
怪訝そうに尋ねる父にも、母は何と答えていいのか分からなかった。


-----何でそんなこと、お母さんに言われなくちゃいけないのよ?
友雅さんに逢った事もないのに。なのに、どうしてそんなこと言うのよ。

悔しくてこぼれた涙を、浴衣の袖で何度も拭った。汚れることなんて、考える余裕なんてなかった。
ついさっき、別れ際に"もう泣かないように"と彼に言われたばかりなのに、もう涙が溢れてる。
あんなに、優しく言ってくれたのに。思い切り泣いても、ずっと黙って抱きしめてくれていたのに。
ドキドキする想いと、暖かな優しさばかりをくれるのに……そんな人を疑いたくない。信じたい。

知らないことは、まだまだたくさんある。
だけど、それは知らなくても良いことかもしれない。だから、彼は言わないのかもしれない。だったら、知らなくたって良い。
もっと大切なことを、彼と過ごした時間の中であかねは身に刻んだ。
その上で、彼のことを信じても良いと、自分の直感がそう答えている。
彼の奏でる音のように、その人は信頼していいのだと、心が叫んでいる。
不思議なほどの強固な確信が、彼に逢うたび強くなっていく。

巾着から取り出したブローチを手に取って、ぎゅっとそれを握りしめて。
体温で少し暖められたころ、そっと手を開く。
きらきらと輝く銀色の木の葉に、唇を寄せてみたら少し冷たかったけれど、その下に彼の手のぬくもりが残っていそうな気がした。

……今更だけど、やっぱり……どんどん彼のことが好きになっていると自覚する。



しばらくして、突然音を立てて震え出した携帯の音に、あかねはびくっとして飛び上がりそうになった。
着信ランプを点滅させて、ブルブルと震えるそれを慌てて取り上げて、通話ボタンを押した。
『おー、やっと出やがったな。何度電話したと思ってんだよー?』
聞こえて来たのは、天真の声だ。
これまでに5〜6回は電話をしたのに、全然つながらなかったと愚痴っている。
「ごめんね、今日はちょっと出掛けてて…さっき帰って来たばかりだったから…」
申し訳なさそうに謝ると、文句でも言われるかと思ったら、妙に不敵な笑い声が聞こえて来た。
『ま、しょーがねーか。おデートだったんじゃあ、電話に出るなんて野暮なこと出来ねーよなー』
急に何を言い出すのかと思ったら、今度は突然受話器の向こうで、ドタバタと揉み合う声がした。相手は…妹の蘭だろう。
どうやら、電話を替われと言っているようだが。

『もしもし?あかねちゃん?』
「…ど、どうしたの、蘭。急に何か話でもあった?」
すると、今度は蘭がさっきの天真と同じ様な、含み笑いの声を出した。
『ふっふっふっ……私、今日の昼間に見ちゃったよー?あかねちゃん、彼氏とお祭りデートしてたでしょ』
蘭の声に、それまで低空飛行していた気持ちが、急に高度を上げる。
『昼間、私も友達とお祭りに出掛けてたんだけどー、その時、見つけちゃった。あかねちゃんが彼氏と、腕組んで歩いてたの。』
「えっ?あ、ええっ?!」
確かに、あれだけの人出がある中だったら、誰かと遭遇してもおかしくはなかったけれど、まさか蘭に見られていたなんて思わなかった。
一体、どこにいたんだろう?腕を組んで歩いてた…って、確かにはぐれないようにと、そうやって歩いていたけれど…。
蘭の目には、彼氏……に見えたのだろうか。

戸惑うあかねに対して、受話器の向こうは騒がしい声が続いている。
『何!?蘭、おまえ、あいつの彼氏の顔見たのか!?』
『お兄ちゃんうるさいっ!話してる間から、大きな声出さないで!』
『おまえっ!その携帯は俺のだろうが!おまえの話してる分の通話料金払え!』
『何よ、ケチ!家族割なんだから、そんなの気にする方がおかしいわよ!』

……相変わらず、羨ましいくらい賑やかな兄妹だ。



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Megumi,Ka

suga