終わりゆく夏の音

 第3話
祭りの人混みとは打って変わって、郊外のショッピングモールは日曜というのに人がまばらだった。
普通ならば家族連れなどでごった返しているはずだが、やはり今日は祭りに人出を取られてしまっているようだ。
そんなここは、郊外ならではとも言える規模の大きさで、ホームセンターやスーパー、テナントとして雑貨屋なども入っているため、ほとんどの生活必需品はここで揃えられる。

「…でも、友雅さんの新しい部屋って、見たことないから…どんなものが必要なのかわかんないんですけど…」
モールの中を歩きながら、あかねがふとつぶやいた。
「そうだねえ。別に一人暮らしだから、それほど買い足す必要はないんだけれど…強いて言えば食料品くらいかな。」
「食料品ですかあ?」
それならば、隣のフロアに大型のスーパーマーケットがあるから、そこで何とかなりそうだが。
他にも単独のベーカリーショップや、輸入食料品店などもあるし。
「でも、食事は殆ど外で済ませてしまうからねえ…。せいぜい、目覚ましのためのコーヒーと、寝酒のウイスキーとか。あとは、それと一緒につまめる何かがあれば、それで十分かな。」
「そんなのばっかりじゃ、身体に悪いですよ?」
カートを押しながら、そんな会話を重ねつつ歩く。

友雅は手にしたコーヒー豆の缶を手に取って、この銘柄はどんな味がするのだとか、どんな風に飲むのが美味しいのだとか話す。
そしてあかねは、パスタソースやスパイスを手に取って、それほど多くはないレシピの話などをしてみる。
こんな風にして二人で買い物しているのが、ちょっとだけ不思議な気分だ。

ふと、向こう側の棚を見ている男女が、夕飯の献立の話をしているのを見た。
もしかして、自分たちもあんな風に見られたりしているんだろうか……なんて、そんな事を思って少し胸が熱くなったことは、多分彼は気付かなかっただろう。


何ももてなせるものがない、と再三彼が言うので、ジュースとお菓子だけは好きな物を買わせてもらった。
招待したのはこちらの方だからね、との言葉に甘えて、今回はご馳走してもらう事にしよう。
「キャラメル味がお気に入りというわけだ」
ポテトチップスの他に、キャラメル味のポップコーンをカートに入れるのを見て、友雅がそう言った。
子供っぽいかもしれないけれど、こっくりと舌に残る甘さはやめられないのだ。

買い物を終えてマーケットフロアから出ると、香ばしい焼きたてのパンの匂いが漂ってきた。どうやら、同じ並びにあるベーカリーショップから、香りが漂ってきているらしい。
ライ麦などの素材の香りがそのままに、店の外まで香っている。
「あ、ここのパン屋さんてドイツパンなんですよ。ドイツパンって普通のパンよりも保存が利くから……」
店の前で立ち止まったあかねが、振り向いて友雅に話しかけようとした、その時。
カチャン……と金属音が、足下に響いた。
金色のかんざしが、友雅の手によって拾われる。
「留め方が緩かったのかな?解けてしまったね。」
夕べちゃんと鏡の前で練習して、しっかり留められたはずだったのに、髪から外れて地に落ちてしまった。
「あ…ありがとうございます…」
あかねはそれを受け取ると、ショウウインドウを鏡代わりに顔を映して、もう一度ぐっと髪を束ねて持ち上げる。
くるりとねじって、かんざしを差し込んで…今度こそ、しっかりと結い上がったはずだけれど。

「でも、なくさないで良かったね。」
ショウウインドウに映るあかねの背後に、映し込まれている友雅の姿が目に止まる。彼は笑顔で、あかねの肩を軽く叩いた。
なくさないで良かった……。すぐ、目の前で落ちたことが分かったから。
あの時、慌てずに注意を払っていたとしたら、あのブローチもなくさなかったかもしれない。落とした音に気付いていれば…きっと。
自分で買ったかんざしなんて、いくらでも買い直せるものだけれど、あれは…。
あれだけは、かけがえのないものだったのに。

「店、寄っていくのかい?」
ベーカリーショップのドアを開けて、あかねがやって来るのを友雅が待っている。
あかねは慌てて、髪の毛を押さえながら店へと急いだ。

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町中から外れて、40分ほど走っただろうか。
住宅地と緑とが90:10くらいの比率だったものが、進むにつれて逆転する。いつのまにか、周りには緑が広がり始めていた。
風に靡く青い稲穂と、窓から香る夏草の匂い。青い空には電線も見当たらず、その代わりに小鳥やトンボが飛び回っている。
アスファルトの面積も少なくなり、土の色が目立つ。

「お疲れさま。やっと到着したよ。」
「……ええっ?こ、ここが…!?」
車から降りたあかねは、一瞬その場に立ちつくして、目の前に広がる古い日本家屋を凝視した。
平屋造りの、いかにもといった年代物の佇まい。雨戸や縁側、瓦屋根と古びた柱や窓枠。雑草の生い茂った庭もある。
「さあ、どうぞ。人を招くような場所ではないけれどもね。」
がらりと開けた玄関の戸の向こうには、カラメル色の空気が漂っていた。


「何か…今までとは全然違う感じ……」
一晩だけ過ごしたことのある、あのマンションの友雅の部屋も殺風景ではあったけれど、もっと無機質な感じだった。
色のない空間。モノトーンばかりの、そして必要以上のものが存在しない肌寒い部屋だったのに、ここは全くそれとは違った空間だ。
これまでの歴史を刻んで、色を深めた板張りの床、少しほつれて傷んでいる畳。
システムキッチンなんてものはなくて、タイル張りの水場は時が止まったようにそこに存在している。
「和洋違いはあるけれど、もともと小さい頃から古い家で過ごしていたからね。結構こういう感じも性に合うんだよ。」
氷を入れたグラスの中に、買ってきたジュースを注いであかねに手渡すと、彼は数少ない家具であるソファに彼女を案内した。
「それに、最初から傷んでいるところもあるから、気を遣わなくても良いのが楽だ。車で行き来が当然になってしまったのは面倒だけれど、その分家賃も安いし、結構気楽ではあるかな。」
床の上に直に腰を下ろした友雅は、彼女と同じジュースで少しだけ喉を潤した。

「でも、何かちょっと意外。こういう和風なところって、友雅さんには縁がないのかなって思ってたから…」
「そうかい?君のアドバイスで、ちょっと矛先を変えてみようかな、と思ったんだけれどね?」
アドバイス…?そんなこと、言った覚えがあったっけ?とあかねは首をひねった。
「以前、和食の店に連れて行ったときに、"こういう和風なところも似合いそう”って言ったの、忘れてしまったかな?あれを聞いて、ちょっとその気になってみようかな、と。それで、こういうところを不動産屋に探してもらったってわけだよ。」
…そういえば、あの時そんなことを言ったような。
日本酒とか、和風の空間の中にいた彼も、妙に空気に溶け込んでいるなあ、と思って口にしたのだけれど、まさかそれを彼が覚えていたなんて思わなくて。
しかも、それがきっかけでこんな…いかにもという日本家屋に住むことを決めてしまったなんて。

「特にこだわりもなかったし、たまには毛色の変わった感じも良いかなってね。」
ここだけが、時間の流れを止めているような空間だ。
柱の傷、磨かれた床と廊下。開け放った窓からは庭が望めて、一面の緑が風と共に部屋の中を通り抜けていく。

友雅は、縁側から庭へと下りた。
庭とは名ばかりの、ただの空き地のような雑草が生い茂る小さな空間だ。
あかねは玄関先で下駄を脱いだので、庭には下りられずに縁側に腰を下ろした。
「お庭あるのに、何も植えないんですか?お花とかあったら綺麗なのに。」
「世話をする暇がないからね。大概スタジオに入り浸りじゃあ、手入れの時間もままならないだろうし。」
確かに、朝から晩までスタジオの中で、時に泊まり込みの徹夜作業だってザラな彼のライフスタイルでは、そんな時間を割く余裕なんてものはないのかもしれない。
「勿体ないなぁ…近くだったら、毎日水やりに行っても良いのにな」
縁側から庭を眺めるあかねを、友雅は振り返る。
「残念。そういうことなら、もっと町中の部屋を選べば良かった。そうすれば、毎日顔を合わせるチャンスもあったのにね。」
さわさわ、と風が夏草を撫でていく音が、耳をくすぐる。

「庭の隅に、向こうの川から枝分かれした小川が通っていてね。時々、魚の姿とかも見えたりするよ。」
「ホントですか?メダカとか?」
「詳しくは知らないけれど…小さい魚が泳いでいたりする。水も空気も綺麗だから、きっと魚とかも過ごしやすいんじゃないかな。夜には虫の声も、そろそろ聞こえているよ。」
小鳥の声や、虫の声。河原を泳ぐ魚たち。
幼い頃の夏休みは、そんな田舎の風景が広がっていた。
真っ黒になるほど日焼けして、二学期に自慢していたのは遙か昔のこと。
今は、日に焼けるなんて怖くって。日焼けどめクリームを欠かせない毎日なんだから、自分も随分と変わったんだなあと思う。

「懐かしいな…昔はそういうの追いかけたりしてたんですよねえ…。もう、そんなこと忘れちゃった…」
この景色のせいだろうか。子供のころの夏休みが懐かしく甦ってくる。
そう、あの頃はまだ………初恋もまだだったかな。

目を閉じて、縁側の足場につま先を伸ばして、ほおづえを付きながら、目を閉じてみる。
思い出すのも難しいくらいの、遠い夏休みの記憶を辿りながら……。


「ちょっと来てごらん」
目の前で彼の声がして、閉じた瞳を開けたと同時に……友雅の手が背中と、そして両足を一気に持ち上げた。
「な、な…っ…何するんですかっ!?」
「裸足のままでは歩かせられないからね。川が見えるところまで、連れていってあげるよ。」
軽々とあかねを抱きかかえると、かすかに聞こえるせせらぎに向けて、友雅は歩き出す。
彼女の鼓動が、乱れていることも気付かずに。


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Megumi,Ka

suga