From Cinderella

 第4話
「お父さん飲み会で遅いから、先にお風呂入っちゃいなさいよ。」
家に帰って二階へ上がろうとすると、キッチンで夕飯の支度をしていた母が、顔を出してそう言った。
適当にうなづいて、荷物を持ったまま部屋に向かう。
内側のスイッチを押すと、ぱっと辺りが明るくなった。

「はあー……」
ベッドの上に、大の字になって大きく溜息をつく。疲れるほど歩き回ったわけじゃないのに、気持ちが重くて身体が沈んでしまう。
いつものようにゼミを終えて、天真のバイト先であの曲に浸っていた時は幸せだったのに。
「引っ越しちゃったのか…友雅さん…」
今でも記憶に残っている、彼の部屋。
殺風景で生活感のないインテリアの、広い部屋。自分が今横たわっているベッドなんか、比べ物にならないくらいの柔らかいマットレスと、暖かくてふわっとした羽布団。
目を閉じると、子守歌みたいに聞こえてきていた、彼のギターの音。
あの部屋に、もう一度足を踏み入れることは、もう出来ないのかも知れない。
彼が、そこから離れてしまった以上は…。

「どこに引っ越しちゃったんだろ…」
"また遊びにおいで"って、この間そう言ってはくれたけれど…。
でも、あの綺麗な人に引っ越すことも教えないなんて、それだったら、私なんかが聞いても教えてくれないかな…。
以前はちょっとしたハプニングがあって、なりゆきで連れて行かれただけで、隠すわけに行かなかったから。
それでも一度しか行ったことない、あの部屋。
新しい場所なんて、そう簡単に他人には教えてくれないかもしれない。
……そう、他人…だし。
あの、美しい金髪の女性にも隠すのだから----------------。

「あの人……」
記憶から決して削除出来ないほど、鮮明な美の結晶とも言えるくらいの眩さ。
女性だったら誰もが憧れる、すべてを集めて形作られた"女性の理想像"。
背が高くて、あれくらいならヒールを履いても友雅と釣り合いそうだ。自分なら、例え10センチのヒールを履いたところでも、目線が合うのは無理かもしれない。

神様は不公平だと思う。
彼女のひとかけらくらい、自分にも要素を分け与えてくれたらよかったのに。
身長でもいいし、長くて綺麗な髪でも良い。文句なしのスタイル、瞳の色、唇の形だけでも良い。なのに、自分にはそんなものなんかなくて、それらすべてが一人に集まってしまうなんて。
そういうところが、神様にも気に入られている、という人種の特権なんだろうか。
……そう思えば、友雅だって。
だから、美男美女という言葉があるのかもしれない。

「はぁ…こんな事、考えていてもしょうがないかぁ……」
あかねはベッドから起き上がって、二度目の溜息をついて立ち上がった。
それと同時に、階下から母の急かす声が響く。
取り敢えず言われた通りに、バスルームに向かおうか、とまずは着替えをしようと思った。
その時、はじめてあかねは気が付いた。
「……え?あれ?…嘘…どこっ?!」
慌ててショールを広げてみる。だが、そこにあるはずのものが、いくら探してみても見つからない。
冷房避けにショールを使うときには、必ずつけているブローチ…銀色の木の葉の形をした、あのブローチがどこにもない。
「ウソでしょ…もしかして、落としちゃった……?!」
一体、どこで落とした?ゼミで?それとも…天真のところで?
でも、ゼミを出る前に化粧室で鏡を見て確認したし、天真の店でも店先の鏡でチェックしたときには、ちゃんとショールに留まっていた。
だとしたら……もしかすると、友雅のマンションで?
「あの人とぶつかった時…」
その時の衝撃で、外れてしまったのかもしれない。

明日、もう一度行ってみようか……と思ってから、あかねは思いとどまった。
今日だって、何だか妙な感じで見られてしまったし。何度も通っては、更に詮索されてしまうのは目に見えている。
彼みたいな大人の男性の部屋に、1人で女子高生が通うなんて……世間体的にはやっぱりちょっとスキャンダラスに思われてしまうだろう。
そうなったら…友雅の評判にも泥がつくかも、と思ったら、やっぱりもうあそこには行けない。

日曜日のデートには、必ず付けていったのに…。
友雅のことだから、いつものブローチがなかったら、すぐに気付くはずだ。
そしたら、何て答えればいいんだろう…。なくしてしまった、なんて言えない…。
ごまかそうとしても、それを通しきれるか自信がない。
ポーカーフェイスは、苦手だ。

ふと、思い出す。そういえば、同じ物がもう一つあったことに。
天真の父が、ロンドン出張の土産にくれたブローチ。まったく寸分違わない、銀色のブローチ。
あれを付けていけば、きっと分からないはず。友雅だって気付かないだろう。
でも。
同じ物でも、意味が違うのだ。お土産でくれたものと、彼からもらったものでは…全然意味も価値も違う。
だから、ずっとデートの時には必ず付けていたのだ。普段も、身に付けていたのはいつも友雅がくれたブローチの方。
肌身離さずにいたかった。彼がくれた、レモン色のパシュミナのように。
友雅の手から、受け取ったという理由が一番大切な理由だったのから。
それ以外には、いくら同じ物でも代用は出来ない。

「もっと大切に使ってれば良かった……」
嬉しくて、浮かれていつも付けていたのは良かったが、それが裏目に出てしまった。
特別な時だけに、と決めて使っていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
いつもそこにあるものが、ないと分かると目が潤んできた。
絶対に手放したくないから、毎日のように使っていたのに。
そんな思い入れは、ブローチがなくなった今では意味がない。

「どうしよ…う……」
ぽろぽろと、涙が溢れてきた。
たった一つのブローチがなくなったことで、確実に友雅との絆がひとつ途切れたような気がして。
毎週一度だけのデートを繰り返して、その中で深めてきた二人の関係が、一歩また後退してしまった…かのような気持ちになる。

来週になったら、また逢える。
でも、彼はあかねの知っている場所には、もういない。
そんなことは重要ではないし、知っているからといってどうなるわけでもないけれど、それもまたささやかな友雅とあかねを繋ぐキーワードでもあった。
今はもう、彼がどこにいるのかも分からない。そして、彼がくれたブローチまでもが消えた。
自分の注意力が散漫だったという、それがまた悔やまれて仕方がないのだ。
二人の間には、確実なものを探す方が難しい。
頼りない、おぼろけな繋がりが多すぎる。

友雅の仕事だって、はっきりとは分からないし、彼の素性自体が鮮明ではない。
連絡先もわからない。確かなのは、日曜日の約束だけ。
もしもそれがなくなってしまったら……。
いつか、それがなくなるとしたら……絆はあっさりと途切れてしまうだろう。
それほどに、二人の関係は脆い。だから、こんな小さなものでもしがみついていたかったのに。


「ちょっと、あかね、お風呂入りなさいって……」
しびれを切らした母が、二階に上がってきた。そして、あかねの部屋のドアをノックする。
「す、すぐ行くから!今…着替え探してるだけだから!」
涙で濡れた目をこすって、クローゼットを開ける。
寝間着代わりのTシャツを探していると、折り畳んでしまってあるパシュミナがそこにあった。レモン色が少し目に眩しい。
引き出しは開けないけれど、その中には小さな箱が二つ…同じ箱が揃ってある。一つはそのまま。もう一つは空っぽの中身。
二つが揃うのは……もうないのかもしれない。

手に取ったTシャツを掴んで、あかねはまたこぼれだした涙を拭った。
いくら拭ったところで、止まるようなものではないと分かってはいるけれど。




-----THE END-----



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Megumi,Ka

suga