Landmark

 第4話
買い物を終えて外に出ると、あかねの足は迷わずにポスターの方へ進んでいった。
見覚えのある名前と、見慣れたロゴマーク。ここ最近、友雅が毎日のように見ているものだ。

「どうかしたのかい?このポスターが何か、気になる?」
あかねには、仕事の詳細は説明したことはないはずだ。それとも、彼女くらいの年ならば、彼等のことも知っているだろうか?
だが、彼女はこのバンドのボーカリストと、間近で顔を合わせているはずなのだ。それなら気付くかないわけはない。
ならば何故、彼女は彼等のことが気に掛かるのか。

「なんか…今度デビューするバンドらしいんですよね。どんな人たちか分からないんですけど……」
やはり知らなかったのか、と友雅は思った。どことなく、彼女のイメージとは音楽の趣向が違うな、と思っていた。
しかしそれならば、尚更彼女が彼等に固執する意味が知りたくなる。
「何も知らないバンドなのに、どうしてまたそんなに気にしてるんだい?」
「うーん…あのですね、こないだこの人たちの視聴盤を聞いたんです」
そういえば、森村から先週言われたことを思い出した。
まだレコーディングは完了していないが、宣伝用にと3曲のみでプレスした視聴盤を、会社系列のCDショップに配ることにした、と。
おそらくあかねが聞いたのは、その視聴盤に違いない。

「で、その曲がですね…なんか、すっごく良くて………」
ポスターを眺めながら、あかねはあの音を思い出してみる。優しく染みこむような、恋の歌。
いつも3曲聞いているのに、浮かんでくるのはいつもあの曲のみ。どれもこれも良いな、と思うのだけれど、その中であの1曲だけは別格だ。
「それほどにお気に入りの曲か。どんな音なのか、少々気になるね。一応同業者としては。」
とか言いつつ、その1曲は友雅自身が作ったものなのだが。

「…そうだ、確かここのモールにも、同じ系列のお店が入ってたはずですよ。ちょっと、聞いてみたいと思いませんか?」
振り返ったあかねが、妙に生き生きした瞳で友雅を見た。
「良いね。それほど君が気に入った曲がどんなものか、聞いてみたいよ。」
飽きるほど聞いてきた曲ばかりだが、それよりも彼女がどの曲に興味を示しているのか、それが気になる。
リスナーの意見が知りたい、という音楽家の立場と、あかねの嗜好が知りたいという、個人的な意味と、の二つだ。

+++++

本館の4階にあるCDショップは、天真の父の勤めている音楽会社がバックボーンの有名チェーンだ。
ジャンルを幅広く取り扱っているのが売りで、市内でも一番の規模を誇るこの店舗には、地元のインディーズバンドだけではなく、全国から視聴盤が集まっている。
そのため、天真がバイトをしているような小規模店とは、桁違いに試聴ブースが広かった。

「えっと…あ、これこれ。「Red Butterfly」のCD、これです。」
並べられている試聴盤の中から、あかねが1枚取り出してきた。さっきのポスターと同じ、赤い蝶のイラストが描かれているジャケットだ。
それを持って、二人は試聴ブースの中に入った。
黄色の椅子に腰を下ろして、まずあかねがプレーヤーのターンテーブルにCDをセットする。
ヘッドフォンを外し、一つは自分に、そしてもう一つを隣の友雅に手渡した。

「1曲目はですね、ロックなんです。で、2曲目がちょっとポップな感じなんですよ。それで……最後の3曲目がアコースティックなバラードなんです。」
ライナーノートをぱらぱらとめくり、その中に書かれている簡単なバンドプロフィールと曲紹介を見ながら、あかねはプレイボタンを操作した。

1曲目。スピード感のあるエレキギターの音がイントロから響き、その音にぴったり寄り添うようなイノリのボーカルが一つの音になる。
ギターソロとボーカルが、かち合わないようにアレンジするのに苦労した曲だ。
改めてこうして聞いてみると、結構悪くない出来ではないか?と少し自画自賛してみたくもなる。
「どうですか?」
歌が途切れて間奏になったところで、あかねが覗き込むように尋ねた。
「ああ、元気のいい音だね。勢いが良いのに、音と声は調和が取れている。」
あかねは、自分が見初めた曲を友雅が認めてくれたことが、嬉しかったようだ。
もちろんこの曲が、自分が逢ったことのあるイノリのバンドで、そしてこのアレンジに関わったのが、彼自身だということも知らないだろう。
そう思えば、無駄な知識もなく、本心だけでこの曲を気に入ったというあかねを見て、嬉しくなるのは友雅の立場なのだが。

しばらくして1曲目が終わり、2曲目のメジャーコードのポップチューンが始まる。
イノリの威勢の良さが、そのまま音になったような曲だ。彼等のライブでも人気のある曲だと聞いた。
それだけ、アレンジに関してはライブ感を壊さないように、と何度もイノリとやりあった思い出の深い曲である。
事務的なライナーノートには、そんな細かい曲の説明は書いていない。
まあ、そんな楽屋ネタは、直に制作に関わっている立場でしか分からないのだから、当然とは言える。
「ライブに似合うような曲だね。観客が盛り上がりそうな曲だ。」
「うん、そうですよね。何か、わーって大騒ぎして飛び跳ねそうな、そんな感じがしますよね。」
たった3曲なのに、それぞれの曲の印象が全く違うから、他にはどんな曲があるのだろうか、と気になって、また更に聴きたくなってくる。
今度、初めて実際に見ることの出来るステージで、また新しい曲を耳にすることが出来るだろう。
それが、あかねにとって一番の楽しみでもあった。


歌詞を覚えてしまうほど聞き慣れてしまったせいか、3曲はあっという間に終わってしまうような気がする。
それは、試聴だけの立場のあかねもそうだが、制作する側の友雅もまた同じだった。
とは言え、彼の方は毎日のように繰りかえし聞かされた曲ばかり。少し飽きたという気持ちもなきにしもあらずだ。

3曲目。最後の曲だ。
これまでとは全く違う音が、静かに流れ始める。
響くのは、1本のギターの音。どこまでも広がるのは、少し軋んだ弦の音。
同一人物とは思えないような、優しくデリケートな声がゆっくりとメロディーに重なり行く。

ふと気付いて隣を見ると、あかねは瞳を閉じたまま、ほおづえを付いてヘッドフォンからの音に耳を傾けている。
睫を伏せて、友雅の視線にも気付かないで、まるで夢を見ているかのように、少しだけ微笑んでいる。
「…この3曲目が、大好きなんです」
表情も何も変えないまま、至福を得たような声でひとことだけ、あかねが言った。
その言葉に、一瞬友雅の中で何かの音が奏で始める。

「ギター一本だけの演奏と、歌だけなんですけどね…なんか、このギターの音がすごく素敵で。」
幸せそうな顔で、やっと目を開いたあかねがこちらを見た。
ヘッドフォンからは、バラードが流れ続けている。
「お店で流れてて、なんかギターの音にピンと来ちゃって。もっとちゃんと聞きたいと思って聞いてみたら…この曲があって。それから、毎日のように視聴しに行って、歌も覚えちゃいました。」
あかねは笑いながら、自分の驚くべき猪突猛進すぎる入れ込みようを話した。
「随分と、専門的なところに気付くね。普通なら、メロディーとか歌声とか、歌詞が気になるんじゃないかい?」
「うん、そうなんですよね…。でも、何かこの曲だけは、ギターの音だけが気になってしまって。」
彼女がこだわり続ける、この曲。そしてこの弦をつま弾く音。
その正体を知らずに、彼女はこの曲を自分の胸に刻むというのか---------。

「友雅さんのギターの音、聞いてばかりだったからかな……。だから、ギターの音が気になっちゃうのかなあ…」
無邪気に、彼女はそう言って笑った。
もし、このギターを演奏しているのが、友雅自身であると知ったら、どんな顔をするだろう。


デビューのための売り込みということで、彼の声を最大限に活かす曲を宣伝用に組み込みたいというスタッフの意向だった。
レコーディングに用意されていた曲の中で、一番メロディアスなバラード曲である「Inclusion」を、試聴用プレス盤のみオリジナルとは違うアレンジで収録することになった。
使い古した愛用のMartin-D-45。友雅のギターのみの演奏で描かれる「Inclusion」アンプラグドバージョン。
自分の演奏をそのままレコーディングすることは、滅多にないというのに。
まさか、それを彼女が気付いたなんて。
……いや、友雅が演奏しているのは知らないのだから、正確に言えば気付いていないと言うのだろうけれど。
でも、無意識で彼女は、友雅のギターの音に反応を示したのは事実。


再び目を閉じて、あかねは曲に意識を寄せる。そうして、包み込むようなギターの音を辿る。
いつものように歌詞が浮かんで、そしてアコースティックな音が身体全体に流れていく情景を思い描く。
隣の友雅の行動など、気付いていない。


…………え。

突然、その感触はやって来た。
冷房が効いているはずなのに、背後がふと暖かくなる。そして、少し乗りかかるような重み。
左右から伸びる腕が目の前でクロスされて、身動きを阻止する。
あかねの身体を抱きすくめるその腕が、誰のものなのかは一目瞭然だ。
隣にいる彼が、そこにはいないのだから。

「ど、ど、どうかしたんですかっ…!?」
慌ててヘッドフォンを外して、顔を赤らめながら後ろを振り向こうとしたが、肩に乗せられている彼の頬が近づいて、またどきどきする。
「何かね、曲を聴いていたら幸せな気分になってね…。」
「だ、だからってどうして…」

戸惑いを隠せないあかねを、友雅は何も答えずに、後ろから彼女をしばらく抱きしめていた。
確かにそのぬくもりは、彼にとって幸せに違いなかった。



-----THE END-----



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Megumi,Ka

suga