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 第3話
「さて、シンデレラ姫に今日のご所望をお聞きしようかな。どこか、行きたいところはあるかい?」
まずはこうして、いつもの店で待ち合わせてお茶を一時楽しんで、それからあちこちに出掛けたりするのだが、なかなか思い付くものでもない。
「うーん…外は、まだ暑いですよね。あまり歩き回るのは、大変かなあ…」
適度に冷房の効いた室内で、辺りは鮮やかな夏のグリーンに包まれて…今いるようなテラスルームでも、充分という気がするけれど。

「どこでも構わないよ。先週は、私のせいでせっかくのスケジュールを壊してしまったからね。そのお詫びも兼ねて、どこでも好きな所にエスコートするよ。」
そう言いながら、友雅は二杯目のエスプレッソに口を付ける。
考えてみるけれど…本音は、こうして一緒にいられるだけで充分で、改まって行きたいところなんて特別なくて。
先週、約束の時間になっても彼が現れなくて、一瞬不安になってしまったことを思えば、こうして過ごす日曜日が再びやって来てくれたのが、一番嬉しい。

「ショッピングにでも行くかい?そろそろ秋物が出回っている頃だろう。」
「え?あ…そうですね。でも、まだ暑い日が続きそうだし、予算も都合つかないんで…」
苦笑いをしながら、あかねは頭を掻いた。
先日、天真に言いくるめられてCDを買わされ、正直なところ予定外の出費があり赤字寸前なのだ。
「じゃあ、プレゼントしようか。この間のお詫びに。」
突然友雅が言い出して、あかねは慌てて両手をぶんぶんと振った。
「だ、だめです!そんなつもりで言ったんじゃないです!」
「遠慮しなくても良いんだよ。お詫びを兼ねて、ってことだから。」
とは言われても…。

「でも…ただでさえ、毎週毎週友雅さんに奢ってもらってばっかりじゃないですか、私。まあ…バイトも出来ないから、私が奢るなんて無理ですけど…」
受験さえなければ、天真みたいに夏休みをバイトに明け暮れることが出来たかもしれない。
そうすれば、少しくらい財布の中身も余裕が出来て…ここの支払いくらいなら何とか受け持てただろうが。
「それに…これまでも色々貰いっ放しだから…。」
冷房避けのために肩に巻いたレモン色のパシュミナも、それを留める金色のブローチも、彼がくれたもの。
ブローチは分からないけれど、目の前でプレゼントされた肌触りの柔らかいパシュミナは、バイトしたところで手に入るような値段じゃない。
これ以上、何か貰おうなんて欲は、全然浮かんで来ない。

「謙虚だね。そんなに気にすることでもないのに。君くらいの年頃なら、欲しいものはいくらでもあると思うけれど。」
自分の生活費を作ることの出来ない高校生こそ、あれこれと物欲は膨れるもので。
特に女子高生なら、洋服やらコスメなど気にかかる時期だと思うが。
「そりゃ欲しいものはたくさんありますけど…でも、良いんです。もう充分いろいろ貰ってるし。」
差し込む日差しにきらめく氷が、グラスの中で浮かんではゆっくり溶けて行く。
底に沈んでいる刻んだ桃を、デザートスプーンですくって口に運ぶと、程よく甘さが抜けて香りが広がる。
「そんなに親しくもない得体の知れない男に、あれこれ買ってもらうのは気が引ける、ってところかな?」
「…あっ、そんなんじゃないですよ!別に…友雅さん、得体が知れないわけじゃないし。」
と、言いながら少しは胸の中に詰まったものがある。

どこに住んでいるのかも知っているし、こうして毎週欠かさず逢うようになって大分経つし。
それに………。思い出して、少し頬が熱くなる、あの日の事。
でも、彼が何者かと言われると、はっきりしたことは分かっていないわけで。音楽関係の仕事をしているらしい、という事は分かっているけれど、それもまた鮮明ではない。
音楽の仕事とは、どんなことなのか。多分ギターを使った仕事だろうとは思うけれど。どんな曲を扱っているのかも分からないし。
せいぜいおぼろげに分かるのは、あの赤い髪をした少年と何か関連して仕事をしているらしい、くらい。

他人から見たら、確かに彼の存在は得体が知れないと言うかもしれない。
だけど、もう…今は、そんな気はしない。何故か、彼のそばは安全なところなのだ、という確信がある。根拠なんて、何も無いのに。

「それじゃ、もっと親しい関係になってみようか?遠慮なくおねだり出来るくらいに。」
ストローを口に付けたあかねの前に、少し身を乗り出して、そんな言葉を吐く。
無造作に袖を通したグレーのコットンシャツの襟元から、ほのかに香るコロンはあまり馴染みの無い香りがする。
「そ、そんなこと言ってからかおうとしたって…ダメですからっ!」
突き放したようなことを言いつつも、少し染まった頬を隠せないあかねの様子に、友雅は笑みがこぼれた。
「だったら、行き当たりばったりで出歩くのも良いかな。予定を決めないで、適当に思いつきでコースを選ぶのも面白いかもしれないよ?」
予定を立てずに、全くの無計画で。その時に応じて、気まぐれに行き先を選んで歩く。
散歩がてらに歩いているだけでも、偶然出会う何かが待っていることもある。
………あの夜、路地裏でお互いが出会ったように。

「うん、それも面白いかもしれないですね。遠くじゃなくても、近場で何か面白いことやってるかもしれないし。」
「了解。今日はその方向で、気まぐれデートを楽しんでみよう。」
ペーパーウェイトで押さえられたオーダーシートを、手に取って立ち上がる。
汗をかいたグラスと、底に少し残ったデミタスカップをテーブルに残したまま、あかね達は席を立った。

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天気が良いため、外は今日も気温が高くなりそうだ。
夏の緑は生き生きとしていて、目にも鮮やかだ。時折町中のプランター栽培で、大きなひまわりの花を見かけたりもする。
青空と大きな黄色い花。そのコントラストはパワフルだが清々しい。
「でも、暑いですねえ…今日も。」
「今年は猛暑だと言うからね。半月もすれば9月なのだけれど、残暑が厳しいのは勘弁してもらいたい所だね」
そんな他愛もない話をしながら、宛ても無く臨海公園へと向かった。

港が隣接しているこの辺りは、開発が著しいウォーターフロントエリアで、次々に新しいホテルやショッピングモールが建ち並んでいる。
しかし、その半面で海沿いの遊歩道を囲む広場は、青々とした芝生が生い茂り、潮風を感じられる居心地の良い公園として、散歩を楽しむ人々も多い。
だが、夏の日差しは、長時間浴びるのには向いていない。
青い空や、それと同じように広がる海の波間は美しいけれど、何一つ日陰のない遊歩道では潮風のみで涼しさを感じるのは無理だ。


「結局、涼しい所に逃げちゃいましたね」
笑いながら辿り着いたそこは、海が見下ろせる公園の丘陵地に立つシーサイドカフェ。屋根の庇の影になったテラスで、夏の風を感じながら少しだけ涼を取れる。
「散歩を楽しむには、もう少し日が落ちないと辛いな。やっぱり、ウィンドウショッピングの方が良いんじゃないかな?」
「構いませんけど、でも、プレゼントは受け付けませんよ。おねだりもしませんから。」
「頑固なシンデレラ姫だねえ」
なかなかのしっかり者の彼女だが、そんな表情も妙に愛らしいと思う。

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ファッションフロアは興味があるけれど、物欲しげな顔をしたら、それこそ友雅に見透かされてしまいそうな気がして、敢えて別のフロアに行ってみることにした。
行く先は、別館の地下フロア。
ワインやミネラルウォーター、小さなボトルに入ったキャンディや、しゃれた紅茶の缶が所狭しと並ぶ。それらには、全て英語の表記がされている。
「輸入食料品って、パッケージが可愛いですよねー。中身よりも箱に目が行っちゃう。」
倉庫のような薄暗い店内の、物珍しい菓子を手にしては目を光らせる。
目移りしながらあちこちに手を伸ばす彼女は、新しいおもちゃを見つけた子どものような素直な反応だ。
「ふうん…割と、良いワインが安く出回っているんだね。」
ボルドーワインのボトルを手にして、銘柄を見ながら友雅がつぶやいた。
その後ろで、タータンチェックの袋に入ったキャンディを、あかねが見つけてこちらを見る。
「これ美味しいんですよ!バタースコッチキャラメル。よく学校で友達と分けて食べたりしてたんです。」
「お気に入りかい?」
「うん、そうです。甘くて、バターの味が濃厚で……」
すると、友雅はその袋をあかねから取り上げた。
「じゃあ、これをプレゼントにしよう。これくらいなら、もらっても構わないだろう?」
あかねでも、ポケットマネーで買える程度のキャラメル。ワンコインでおつりも来るくらいのもの。
他人に買ってもらうようなものでもないけれど……。
「それじゃ、半分こにしますね。あとで半分、友雅さんにあげます。」
「……キャラメルなんて、子どもの頃以来だな」
友雅は笑いながら、あかねの持ってきたキャラメルの袋と、ミネラルウォーターとシードルのミニボトルをまとめて、二人そろってレジの前に並んだ。


レジの順番が回ってくる間、辺りを何気なく見ていたあかねだったが、店の入口近くにある壁のところに貼ってある、黒と赤のゴシックなデザインをしたポスターが目に止まった。
真っ黒な背景に、飛びまわる赤い蝶。
銀色で書かれた文字は………『Red Butterfly』。その上から「SOLDOUT」の赤いステッカーが貼られている。多分、ライブの告知ポスターだろう。

「あのバンドだ…」
ぽつり、とつぶやいたあかねの声に気付いて、友雅が振り返る。彼女は、壁にある黒いポスターに目を奪われているようだ。




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Megumi,Ka

suga