Landmark

 第2話
「やっぱ、これだ。あのさあ、そのバンド、今度ライブがあるってよ。」
どうやら天真が見ていた表らしきものは、店で取り扱っているチケット発売スケジュールだったらしい。
カウンターを挟んでは小さくて見えないが、天真の指差しているところには、このバンドの名前が書いているようだ。
「ホントに?どこでライブやるの?」
「ほら、学園通りの先に、『ADVANCING COLOR』ってライブハウスがあるじゃん。結構大物がデビューしてるってとこ。あそこの常連らしいぜ、このバンド。」
「へえ…そうなんだ…」
そういうことにはあまり詳しいわけではないが、名前を知らない者は殆どいないだろうと思う。
時折大物アーティストが、ゲリラライブを行うこともある、実力主義のライブハウスと聞いている。

「で、そこで親父んとこの奴らが見に行ってて、"行ける!"って上にゴリ押ししてメジャーデビューに引き上げたらしいぜ。」
天真の父は業界人だから、そういう音楽業界の裏事情もたまに彼はぽろっとこぼす。
もちろん、トップシークレット的なことは家族にも言わないだろうから、大概は芸能記事の更に裏、くらいのものだが。

それにしても、天真の父の会社からデビューなんて。
他の会社に決まっていたら、こんな風にデビュー前から試聴盤なんて聞けなかったかも。そう思うとラッキー、とあかねは思った。
「そっか…スカウトされるくらいなんだから、凄いんだろうね、人気とかも。」
「残念ながら、うちでも既にチケットはソールドアウト。一枚もキャンセルはゴザイマセン。」
手元のガラスカウンターの中には、赤い"SOLDOUT”の紙が貼られている。それこそが、『Red Butterfly』のチケットだ。
大ホールならまだしも、ライブハウスの座席数なんてたかが知れているだろう。
人気があれば、あっという間に売り切れても不思議じゃない。

「はぁ…。だったら、別にわざわざ教えてくれなくても。知ってても行けなかったら、がっかりするだけだよ…。」
「ま、普通はそうだけどもな」
気が抜けたようにカウンターにひれ伏したあかねを、妙に自信ありげな顔の天真が腕組みをして見下ろしている。
「うちの親父がさー、責任者なんだよな、そいつらを売り込むための。だから、常にそいつらと密接なパイプラインがあるわけでねー…」
それまで垂れていたあかねの耳が、ぴくっと反応して天真の顔を見た。
「ってことは…チケット取れる可能性があるの!?」
「まあ〜…わかんないけども。でも、チケットが無くても、潜り込ませてはくれるかもしんないなー」

…もしかして、これはタナボタのチャンス!?
天真の姿が、チャンスの神様に見えて来た。…もちろん、前髪だけしかない、というわけじゃないけれど、その髪に手をのばしたい衝動にかられる。
「天真くん!お願い!勉強に明け暮れて辛い毎日の、可哀想な受験生に何とか!明るい希望を!」
身を乗り出して、手を合わせて嘆願する。この際だから、土下座くらいしても良いとも思う。
すると、天真は勝ち誇ったような顔をして、あかねを見下ろした。
「…しょーがねーな。ま、ダメモトで頼んでやるか。条件付きで。」
「じょ、条件って…何」
戸惑うあかねに、天真の指がセールスランキング順に並んだ、CDの棚を真っ直ぐ指さした。
「いい加減に、何でも良いから何枚かCD買ってけ。さすがにコネバイトの俺も、売上なしに友達が居座られるのは肩身狭いっての。」



そういうわけで、結局なけなしの財布の中身を都合つけて、適当に2枚ほどCDを買う羽目になってしまった。
しかし、それでライブハウスに入れるチャンスがもらえるなら、まあ良いとしようか、と自分で自分をあかねは説得させた。

人通りの多い町中では、クラクションやエンジン音と混在しつつ、どこかの有線放送が漏れてきて流行りの歌を流している。
たくさんの曲が生まれて、それと同時にたくさんのミュージシャンやバンドが誕生し、新しい音楽を世の中に産み落とす。

……それにしても、こんなに無気になってミュージシャンに執心するなんて、初めてかも知れない、とあかねは思った。
人並みに小さい頃は、アイドルと呼ばれる芸能人に熱を上げたこともあったけれど、今回はそれとは全く違う。
どんなバンドかも知らないし、曲だってあの3曲しか聴いたことがない。
全く見ず知らずと言っていいグループなのに、何故か昔から聞き馴染んでいるような気がする。

それなのに、あんなに熱心にライブを見たい、だなんて天真に嘆願するなんて、自分でも不思議で仕方がない。
こんなにも惹き付ける音の正体が、知りたいと思った。どんな人が、こんな音を作るのか、見てみたかったからだろうか。
「どんなバンドなんだろうなあ…」
すっかり覚えてしまった曲のフレーズを口ずさみながら、あかねは横断歩道を渡ってバスターミナルへと急いだ。

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何となく、落ち着かない。いつものようなテンポが、どうも掴みにくいのは…多分、あの視線のせいだと思う。
薄暗いライブハウスの奥で、マネージャーと森村が話しながら見ている。
まあ、それは良い。問題は、あと一人の存在だ。
誰かと話すわけでもなく、差し出されたアイスコーヒーにも手を付けず、ただ足を組んでこちらを見ているだけ。その意味ありげな微笑がまた気に掛かる。

「おいおい、イノリー。さっきから声のタイミングずれてるって。調子悪いのかー?」
バンドリーダーであるギタリストが、ついにしびれを切らしたのか、一旦演奏を中断させてだめ押しをする。
言われなくてもわかってる。さっきから、リズムがうまく取れないのだ。
あの、誰かさんのせいで。

イノリはマイクを離し、ステージから軽やかに飛び降りた。そして、迷うことなく真っ直ぐに友雅へと向かっていく。
テーブルに、拳をひとつたたき付ける。
「あのさ!さっきからさ!ミョーな目つきで凝視すんの、やめてくんねぇ!?気が散ってしょーがないんだけど!」
血気盛んに言い放つイノリとは正反対に、言われている友雅の方は全く動じる気配はない。
「おや、私が気になって、あんなに気が乱れていたのかい?本番なら数百人相手に盛り上げる役に徹するらしいのに、今日は一人の視線で集中できなくなるなんて、どうしたっていうのかな」
「…うっさいなぁ!ライブとはワケが違うんだよっ。おっさん、何か企んでそうな目してるから、気になってしょうがないんだよっ!」
無心にストレートにパフォーマンス出来るのが、イノリの売りだと自負していたのだが、そんな姿を子どもを見るような目で見ている。

"どーせ、子どもがただ暴れてる、みたいに思いながら見てんだろ"。
言葉には出さなかったが、イノリはそんな風に友雅の視線を感じていた。
「ほら、メンバーが君をお待ちかねだ。早くステージに戻りなさい。リハーサルにあまり時間を割かれると、後の仕事に響くから困るしね。」
簡単に鼻であしらうように言ってのけて、手のひらをイノリの前でちらつかせる。その仕草が、またしゃくに障る。
「ふん、わかったよ!さっさと終わらせてやらー!」
このまま相手をしていても、埒があかなそうだと判断したイノリは、捨てぜりふのように吐き捨ててくるっと後ろを向き、駆け足でステージへと戻っていった。


「どうしました?何かイノリたちに気になることでも?」
隣のテーブルにいた森村が、二人の様子を見て友雅に尋ねた。
「いや、別にね。ただ、きっと彼は客がいてこそ、良い声が出るんだろうな、と思っただけだよ。本当なら、スタジオでレコーディングなんかするよりも、ライブ演奏をそのまま録音した方が、彼らの魅力を引き立たせられるんじゃないのかな、なんて…そんなことをちょっと思ったんだけどね」
ライブの姿を見たことは一度もないが、何となく彼の歌う姿を見ていて、そんな直感を覚えた。
マイクと録音機材だけを相手に歌うより、誰かがそこにいてこそ本領発揮するような声だ。それが、最愛の人か、それとも自分たちをサポートしてくれているオーディエンスたちか分からないが、少なくとも無機質なスタジオに閉じこもるよりは、ずっと良い。


演奏が再び始まった。
狭いホールに、激しいギターの音が反響する。
「森村さん、どうですかね、そういう企画は無茶ですか?」
大音量の中で耳うちをするように、マネージャーが森村に話を持ちかけてきた。
「デビュー盤の初回限定のみ、橘さんが今おっしゃったような、ライブ音声に関わるような付加価値を付けるっていうのは」

隣でイノリたちの演奏に耳を傾けている友雅を見て、そして今の話を考えてみる。
耳に入ってくる彼らの音を聞いていると………なるほど確かに、友雅が言った意味が分かってきた。
「前向きに検討してみましょう。今ならいろいろな展開を考えられますから、ギリギリまでアイデアを出してみるのも良いですね」

いつのまに彼らの…彼の音楽の特性を、友雅は把握していたのだろう?。これまでのレコーディング作業の中で、自然と理解してきたものだろうか。
もしも、咄嗟に今この場所でそれに気付いたとしたら……これが、天性の音感か。
生まれついた、そして環境の中で培った希有な力。
彼の真実を知る者だけが、その力を納得できる。
森村も、その一人だった。

+++++

夏休みの予備校模試も、全教科に渡ってすこぶる良い結果が出た。殆どが平均点以上という、あかね自身もびっくりするほどの得点を得られた。
おかげで母はいつも上機嫌で、毎週日曜に出掛けることも文句は言わない。
「毎日頑張ってるんだから、日曜日くらいは自由に息抜きさせて、って言ったんですよ。そしたら、いつも同じミュールじゃ様にならないでしょ、って。それで、新しいの買ってもらっちゃったんです。」
テーブルの下からつま先だけ伸ばして、トゥにピンクのスワロフスキーの花モチーフをつけた、パールホワイトのミュールをちらりと見せた。
「どうりで、今日はシンデレラみたいだな、と思った意味が分かったよ。きらきらして、ガラスの靴みたいだね。」

日曜日、午前10時の待ち合わせ。
先週は予定が狂ってしまったけれど、今週はいつも通りだ。
夏の日差しに輝く緑が、ガラス越しに眺められるテラス。氷いっぱいのピーチアイスティーと、焼き上がったばかりのレモンチーズケーキ。そして、デミタスカップのエスプレッソ。

同じ席に座り、同じメニューで始まる、そんな日曜日が繰りかえされるけれど、決して飽きることはない。



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Megumi,Ka

suga