夏服の午後

 第2話
彼の長い指先が、杯に添えられるのを何気なく見ていた。
不思議と、どんな背景にもしっくり様になる人だなあ…なんて、ふとあかねはそんなことを思った。
以前連れて行かれた、あの洋館の中に居ても空気にはまるし、こうして日本風な背景を背負っても妙に馴染む。
「どうかしたかい?」
「あ、えーと…なんて言うか、友雅さんてこういう和風な雰囲気も似合うなって」
「それは、どちらかというと男性が女性を褒める時に言うような台詞だね」
ふと思えば、そういえばそうかもしれないと思った。
あきらかに年下の自分が、年上の友雅の賛美をするなんて、ちょっとおかしいかなとも感じる。
「全然悪い気はしないけれどね。」
そう言葉を付け足してくれたので、少し安心したけれど。

「うーん、友雅さんだったら、スーツとかじゃなくて着流しとか浴衣とかも似合いそうですよ?」
「それは考えたことがなかったな。初めて、そんなことを言われたかもしれない」
日本家屋も和服も、自分から身につけたことなど数えるほどしかない。今や非日常的な服装だと思っていたが。
でも、たまに触れるこうした空気に安らぎを覚えるのは、事実。
「あんな家に住んでたり、今はすっかりあちこちが洋風文化に包まれてしまっているけど、こういう処の空気が落ち着くと感じるのは、やっぱり本質が日本人なんだろう、と思うよ」
少し甘めの日本酒も、青い笹の香りも、聞こえてくる琴の音色も、違和感を覚えずに身体に染み込むのが、それを証明している。

「そういう場所も、いいかな」
独り言のように、友雅が言った。あかねが首をかしげると、"何でも無いよ"と簡単に言葉を終えた。

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個室直通の電話に、フロントから連絡が入った。 頼んでいたタクシーが到着した、との事だ。
友雅はあかねの手を引いて、一階へと下りてゆく。
入口には見慣れた名前のタクシーが、一台停まっているのがドアのガラスを通して見えた。
「アルコールは、あと数年経ったらご馳走してあげるよ」
友雅は、そう言ってドアを開けた。 すうっと、夜風が身体にまとわりついてくる。

「それじゃ、来週は今日みたいなことはないように、気をつけるよ」
タクシーにあかねが乗り込むと、外から友雅がそう言った。
「ううん、気にしないで下さい。それよりも、無理しないでお仕事頑張って下さいね」
「ありがとう。じゃ、来週はいつも通りってことでね」

ヘッドライトが、ぱっと明るくなる。ウインカーが点滅して、ゆっくりと車が走り出して行く。
窓越しに手を振るあかねが見えなくなるまで、友雅はずっとそこで夜風に当たっていた。



大通りに向かうタクシーの中で、今日一日のことを思い出してみると、いろいろな事があったなと感じる。
最初の待ち合わせはちょっとトラブってしまったけれど、そのあとは予想外でも結果的には全く問題無し。
逆に、いつもと違ったことに遭遇出来て楽しかった。
ケータリングとは言え、滅多に行けないレストランの食事も出来たし、それに…友雅の寝顔なんて見たのは初めてだったかも?と思ったら顔が赤らんで来た(ように思う)。
さっきみたいな和風のお店も、初めて連れて行ってもらった。
アルコールはまだ御法度だから、本当の味わい方とは縁遠いかもしれないが。

あと数年。堂々とアルコールを口にすることが出来るまで、あと二年。
その二年後…自分はどうなっているのだろう、とあかねは考えた。
志望校に受かって、大学生になっているだろうか。それとも…また違った道を選んでいるだろうか。
そして何よりも気になるのは……その時、友雅は?
もし、こうしてまだ一緒にいられたとしたら………お互いの関係は、どんな風になっているんだろう。
このまま?それとも…変化しているのか?
だとしたら、どんな風に変わっているのか……考えることは尽きない。

ゆっくり溶けるグラスの氷のように、時間も緩く流れれば良い。
しばらくはこのままで。予想出来ない未来をあれこれ思うなら、このままでも良いと思えて来る。


+++++


ホテルに戻っても面倒くさいだけだし、もう一度部屋に上がって簡単な食事を済ませて帰ろう、と友雅は店の中に入った。
奥にある座敷は結構な客で賑わっており、二階の個室を選んでおいて正解だったなと思った。騒がしい空気は、男女の空間には似合わない。
「ああ、すまないけれど、二階の部屋にあと一本冷酒を頼めるかな」
厨房と客席の間を行き来している従業員を、友雅は呼び止めた。さすがに未成年のあかねがいる前では、そうそう酒を進ませるわけにもいかないため、やや遠慮していたがもう良いだろう。
追加のオーダーを頼み、二階へ続く階段を上がろうとしたとき、奥にある座敷から出てくる客とすれちがった。
すると、その客は一旦通り過ぎたかと思うと、はっと気付いてもう一度後ろに下がって友雅のところに戻ってきた。

「アンタ、何してんだよ、こんなとこで!」
「それはこちらが聞きたいね。こういう店は、君みたいなタイプには苦手かと思っていたけれど?」
彼もまた未成年には違いなくて、しかも彼の性格上を考えてみても、こういった落ち着いた店は堅苦しくて敬遠しそうな気がしたが。
お互いに、珍しい顔を見つけたような目をして、相手を見た。
「俺は…まあ何て言うか、森村のおっさん達にメシをおごるって言われて、ただ連れて来られただけっていうか、さ」
「なるほどね。確かに君の意志ではなさそうだ」
おかしなものだ。仕事上の付き合いで出会って、まだ半年ほどなのに、相手の趣味や癖が何となく分かってきている。
「そういうおっさんは?まさか未成年の彼女連れってわけじゃないだろ?」
「未成年でも、飲めるものは店にいくらでもあるよ」
友雅はそう答えて、まったく悪びれずに笑った。


従業員の足を遮らないように、店の突き当たりに移動する。
日曜日の夜だし時間が時間なだけに、もう玄関先にいても入ってくる客はそれほどいない。
「しっかし、どこにいたんだよ?俺たち1時間くらい前から来てたけど、おっさんがいるの気付かなかったぜ?」
「そりゃあ、二階に決まってるだろう。個室じゃないと水を差されそうだしね」
男と女=恋人同士=デート=個室=二人きり。ストレートな方程式がイノリの頭に浮かんで、思わず髪の毛の色のように赤面しそうになる。
そんなイノリの様子があからさまに見て取れるので、友雅も思わず笑いがこみあげてきた。
「ま、彼女は先に帰らせたけれど。若い女の子はシンデレラよりも早い時間に、御帰還しなくちゃ危ないからね」
「そんなこと言って、おっさんと一緒にいるのが一番危なかったりしてな」
イノリがこまっしゃくれた口を叩くと、友雅はからかうようにして彼の額を指先で突いた。
「少なくとも、彼女の前では紳士として振る舞っているつもりなんだがねえ?」
ふふん、と彼を見上げるイノリの顔がニヤリと笑った。だが、それを茶化すこともなく、友雅はそのまま受け入れた。



「さっきさぁ、偶然そこでおっさんに逢ったぜ」
席に戻ったイノリが、マネージャーと森村の間に腰を下ろして言った。
「橘さん?ここのお店にいらしているんですか?」
二本目のビールをグラスに注いでいた森村が、驚いたようにイノリの顔を見た。
「そ。二階の個室にいたみたいだぜ。まあ、野暮用だったみたいだけどさ」
ずらりと並んだ居酒屋メニューの小鉢を、あちこちつまみながら烏龍茶のグラスを飲み干す。
未成年のイノリと森村たちのオーダーとでは、全く正反対なのが見ていておかしい。
「まあ橘さんでしたら…お連れになる方も多いでしょうしねえ…」
森村とマネージャーは、二人で納得しながらビールをすすっている。
まさか、その相手が未成年の現役女子高生だなんて、思ってもみないんだろうなとイノリは思ったが、それはまあプライベートのことでもあるし、隠しておいた方が無難か。
だが、すっかり忘れていた。彼女の事を知っているのは、自分だけじゃなかったことを。

「まさか今朝お迎えに行った、あのお嬢さんではないでしょうねえ…?」
そうだった。あの時、あかねを迎えに行ったときに車を運転していたのは、紛れもなくここにいる自分のマネージャーだった。
彼女を車に乗せたのだから、彼があかねのことを知らないはずはない。
「いやあ、ずいぶんとお若いお嬢さんでしたよ。二十歳前後…少なくとも、それくらいでしょうかね。イノリとそれほど変わらないかな」
何だか聞いているこっちが、びくびくしてきた。関係者ってわけでもないのに(共犯者じゃないとも言い切れないけれど)。
「至って普通の、可愛いお嬢さんでしたが…。イノリは彼女と直接話していたし、詳しいことを知っているんじゃないのか?」
「お、俺!?俺は…何も知らねえって!ただ、おっさんに頼まれただけでさ、名前も素性も全然知らないし!」
慌てて声が大きくなる。
「こ、こういう…酒のある店になんて、連れてくるわけないじゃん。俺は見てないけど…あのおっさんだし、他の女でも連れてたんじゃねえのっ!?」
イノリはとっさに目の前の手羽先をかじって、何とかその場の雰囲気から切り抜けることが出来た。

全く何のかんのと、世話の焼ける男だな…と思う。

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Megumi,Ka

suga