夏服の午後

 第1話
いつの頃からなのか、もう記憶になかった。
眠りについて、次に目覚めたときは新しい一日が始まっている。
差し込む朝日が眩しくて、そして気だるくて…このまま目覚めなければいい。何度もそんなことを考えた。
朝日に気付いて、それから目を反らすようにして頭から毛布をかぶり、まだ夜なのだと自分をごまかそうとするが、そうもいかない。

1日が24時間じゃ足りないなんて、一体誰が言い出したのだろう?
12時間だって十分だ。6時間くらいでもいい。そうすれば、ずっと目覚めずに眠って意識を失っていられる。
そんな風に考えていた、あの頃。
唯一、夢の中で彼女に逢えた夜だけは胸が軽くて、明け方の日差しもわずらわしくなかった。

顔は分からない。年も、声も分からない。夢の中では知っていても、目覚めると記憶は残像さえも残っていないのが悔しくもあった。
不定期に、おもむろに突然夢の中に現れて、何をするでもなく共にそこにいるだけの、夢の空間。
目覚めるまでの数時間のことだが、彼にとっては何よりも大切な時間と言えた。

最後に彼女に会ったのは、いつだったろう?半年くらい前になるか?
不思議と最近は、まったく夢も見ないし、彼女と会うこともなくなった。
でも、何故か寂しい気持ちもなくて。そんな夢のことも忘れていたはずだったのに、どうして今になって思い出したんだろう。




少し身体が震えた。冷房のせいだ。 体温が室温と馴染んできたせいで、温度が低すぎると感じ始めたに違いない。
意識がぼやけつつも鮮明に戻りつつある身体を、ほんの少し動かしてみる。
すると、ほんのりと暖かい柔らかな感触が、指先に伝わってきた。
誰かの細い手首が、触れられる距離にある。………ここ最近、なかったシチュエーションだ。
ゆっくりと起き上がろうとして、ふと我に返る。この状況を、もう一度思い出しながら天井を見上げた。

自分の部屋以上に無機質な部屋。狭いワンルームの中で、セミダブルベッドの上に横たわり視界を広げる。
小さな寝息がすぐそばから聞こえることに気づき、友雅は首を静かに持ち上げた。

背もたれにしていた枕を横にして、彼女は上半身を傾けている。閉じた瞳は、そのまま寝息と共に輝きを隠す。
そう言えば確か…仕事を終えて部屋に戻って、そして簡単な食事をしてから……彼女の膝を借りて眠っていたのだ。
徹夜明けの身体は疲労困憊で、ごまかそうをしてもどこかで自由が利かなくなる。そんな自分を気遣ってくれた彼女に甘えて、身体を休めることを決めた。

真夏の気温が冷やされた部屋で、心地よいかすかなぬくもりだけをもらって、気が付けば……もう6時近い。
カーテンで窓を仕切った部屋は意外にも薄暗くて、夜が近づいてくる足音が聞こえるようだった。
膝を貸すことにくたびれたのか、それとも反応のない相手に飽きてしまったのか、彼女は目を覚ます気配はない。
出来るだけ静かに、そっと彼女の膝から離れる。起き上がって振り向くと、眠りについた童話の姫君がそこにいた。

友雅は立ち上がり、ゆっくり全身を伸ばした。姿勢が正しくなかったせいで、身体の節々が若干きしむような気もするが、目覚めの感覚は悪くない。
数時間眠っただけなのに、熟睡して朝を迎えた感じだ。よほど、深く眠っていたのだろう。
『悪いことをしてしまったな』と、友雅はあかねを見て思った。
待たせておいて、どこにも出掛けずに、挙げ句の果てに相手は眠りについてしまうなんて、おそらく普通の女性ならば怒って出ていっても当然だと思う。
少なからず、過去の何人かの女性ならば、目覚めれば姿を消していたに違いない。
だけど彼女は………。

1人掛けのソファを静かに動かして、瞼を伏せるあかねを眺められる位置で腰を下ろした。
力の抜けた両手を垂らして、細い肩を崩した彼女の吐息と、友雅の腕時計の秒針の音が響いている。

腕の中に閉じこめたら、そのまま収まってしまいそうなほど小さな身体と、華奢な手足。鈴のような軽い声。無邪気に笑う表情。
一筋の澱みさえない透明度100%の彼女の面影には、浄化作用があるのだろうか。こうして眺めているだけで、妙に心が落ち着いてくる。
まるで、夢の中であの"彼女"に出会った日の朝みたいな気分だ。

そうか。こうして週に一度逢うようになってから、夢の中の"彼女"に出会わなくても気分が重くならないのは、この彼女のおかげなのかもしれない。
思うように夢が見られないことで、流れゆく日々が長くて鬱陶しかったのに、今では逆に一週間が早く過ぎないだろうかと、別の意味で時間が長く感じる。
そういう気分も、なかなか悪くはないな、と自然に思うようになった。週に一度の約束の意味を、今こうして改めて思い知らされた。

普通の、しかも一回り近くも違う少女なのに。
どうして、一緒にいて違和感という者を感じないのだろう。
出会ったときから、今現在まで----------同じ空気を感じるのは、何故だろう。

「……っしゅん!」
小さな肩がくしゃみと共に震えた。桜貝のような小さな爪をした指先で、目元をしきりにこすっている。
「キスの前に目が覚めるなんて、タイミングの悪い眠り姫だね」
額にかかる前髪に、そっと触れた指。ゆっくりと目を開けると、上から見下ろしている友雅の顔があった。
「あ、あ…っ!私うっかり寝ちゃって…!?」
最初に眠ったのは友雅のはずだったのに、いつのまにか立場が逆転していた。起き上がると、身体にかけられていた彼のジャケットが肩から落ちる。
「す、すいません…私の方からゆっくり休んで下さいなんて言っておいて…」
「いやいや。膝枕だけじゃなく、可愛い寝顔も十分堪能させてもらったしね。キスで起こせなかったのは残念だったけれど」
指先で頬を突いて、友雅はそう言いながら笑った。

「カーテンを閉めていたからわからなかったけれど、まだ外は明るいんだね」
窓の外は、オレンジに近い日差しがビルの隙間を通り抜けて、向かい側のビルの窓ガラスに反射している。
それでも時計を見ると、もう6時半だ。夏は外の明かりだけで時間を計ることは出来ない。
「どうしようか?今日という日も、もうそんなに長くはない。あと数時間しか一緒にいられないけれど、せっかくだから夕飯は外に出掛けようか?」
「でも、友雅さん疲れていませんか?」
「短い時間でも熟睡させてもらったから、もう平気だよ。それに、そろそろ外の空気も丁度良い涼しさになっているんじゃないかな」
ほんの少しだけ、窓を開けてみる。
さすがに冷房の効いている室温と比べれば、むっとした熱気はないこともないが、遠慮のない日中の日差しからみたら、随分過ごしやすい夜の風が混じってきている。
「出掛ける?」
「はい!」
覗き込んだ顔は、ぱっと明るく笑顔で返される。
その直球ストレートな反応が、彼女らしくて友雅はどとこなく嬉しくなった。

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江戸硝子のぐい飲みは、薄暗い照明を通すと幾重にも輝きが反射して、それぞれ違った表情を見せる。
素朴な荒削りの皿に盛られた料理が、テーブルの上にいくつも置かれていた。かしこまったものではないが、彩りの良い配膳にはそつのない上品さが漂う。
昼間は洋食だったから気分を変えて、と友雅に連れて行かれたのは、和風料理を扱う店だった。
何度となく一緒に食事をしているけれど、こうした店ははじめてかもしれない。
かと言って座敷のような料亭ではなく、和風の落ち着いた個室の隠れ家的居酒屋という感じだろう。
「たまにはこういうのも、いいかなと思ったんだけれど。やっぱり若い子には、もっときらびやかな店の方が良かったかな?」
藍色の徳利を傾けて、冷たい日本酒を少しずつ傾けながら友雅が尋ねた。
「全然!こういうところって、普段来られる機会なんてないから、新鮮で良いです。お料理も美味しいし、暑い日ってこういう和食の方がさっぱりしてて良いですよね」
「そうだね。洋食なんてものは、いつでもそこら辺で食べることが出来るけれど、和食というと少し敷居が高いような店になってしまうかもしれない。ここは日本なのに、その和食が日常的に食べる機会が少なくなったというのも、何だか妙なことだね」

静かな個室の中には、小さなつくばいが水音を響かせている。うっすらと聞こえる琴の音色は、店内全体に流れているBGMのようだ。
テーブルに飾られている笹の葉が、それだけで竹林にいるような空気を作り出している。
ディナータイムはどこの店でも、こんな風に照明を落としているところが多いが、他人の声が入って来ない個室のせいか、ぐっとインテリアのムードがそのまま伝わってくる。

「でも、友雅さんて日本酒とかも飲むんですね」
いきなりあかねがそんなことを言うものだから、友雅は少し不思議そうな顔をした。
「だって、いつもはワイングラスとか傾けてるのしか、見たことなかったから…てっきり日本酒とかは飲まないかと思ってました。」
「それは、機会がなかっただけだよ。こういう和風の店に来たことはなかったし。お酒はね、特に好き嫌いとかはないね。煽るような飲み方はしないけれど。」
そう言って、ほんの少し冷酒で舌を濡らした。

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Megumi,Ka

suga