夏模様

 第3話
詰め込まれていたパッケージは、プラスチックで素っ気ないものであったが、中にはパプリカやトマト、バジルなどのカラフルな食材が、宝石箱のようにちりばめられていて、
目で見るだけでも十分に楽しめた。
ランチタイムの数時間だけ、テイクアウト用にと仕立てているメニューは、そのままピクニックにも行けるような、籐のバスケットに収められている。
アンティパスト週種類、パスタ、メインディッシュと、ドルチェ。レモンシロップのミニボトルは、付属のミネラルウォーターと割って飲むのだ、とメモが入っていた。

「で、友達が先月の誕生日に、奮発してここのお店で食事したって話をしてて、『すっごく美味しかったけど、敷居が高くて、特別な時くらいしか行けない』って言ってたんですよ」
友雅も知らないこの店の情報を、あかねはありったけの情報をかき集めて話をした。
有名な建築家がデザインした建物と、本場イタリア人のシェフのみの厨房。食材は提携している場所以外からは仕入れない。もちろん野菜は無農薬……テレビや雑誌でも取り上げられていて、
話題の店なのだと彼女は言った。
「それじゃ、次回は店の方に行こうか。もっとメニューも多いだろうし、デザートも好きなだけ食べられるだろうからね」
空になった3つのドルチェを挟んで、友雅はスプリッツァーのボトルを傾けながら、そう言った。
「あ、食後にコーヒー入れましょうか?」
「良いね。もらおうかな」
テーブルの上に置いたままだったカップは、既に冷えきっていた。



「それで…どうしましょうか、これから……」
コーヒーを二人分入れて、ソファに腰を据えたあかねは話を切り出した。
取り敢えず、ランチは済んだ。だけど、肝心のスケジュールについては、まだ何も決まっていない。
どこに出かけるか、というよりは……これでおしまいにするか、それとも続けるか、ということ。
友雅の疲労度を考えれば前者だが、本心の方はすんなりと受け入れる素直さにはほど遠い。
「出かけるとしても…今日は自分で思っているより疲れがあるみたいだし、いつものようには行かないだろう。だからと言って…このまま、別れてしまうのも惜しい」
逢える時間は限られているからこそ、その一日の重要さを分かり始めて来たというのに、数時間でさよならは言いたくはない。

「時間は、まだ平気かな」
「大丈夫…ですよ。いつもと同じくらいの時間に帰るって、そう言って出て来たんで…」
門限というものはないけれど、親が小言を言わないのはせいぜい9時前くらい。万が一遅くなっても、連絡しておけば何とかなるだろうが。
「……じゃあ、そうだな…。ちょっと質問してもいいかい?」
急にそんなことを言い出して、一体何を考えているのだろう…と首をかしげつつも、あかねは友雅の問いに答えることにした。

「遠出しなくても、構わないかい?」
「良いですよ。あまり遠くに行くんじゃ、疲れちゃうでしょう?」
「嬉しい一言だね。それじゃ、次の質問…。少し退屈させてしまうかもしれないけれど、それでも良いかい?」
「……それは…難しいですけどー…。でも、友雅さんに連れて行ってもらうところで、退屈したことなんか全然ないんで、友雅さんの選択眼を信じますよ」
真っすぐな瞳を見て、ふっと笑みがこぼれた。
純粋なままに澄み切ってきらめいて、そんな目をしてこちらを見る。汚れを知らない無垢な輝きは、友雅にとってはまぶしいほどで、それでいてその光は、どことなく暖かく優しい。
それが、そのままの彼女の心の色だと感じる。友雅が彼女に惹かれる、最大のポイントだと言える。


「それじゃ最後の質問にしよう。ずっと、二人きりでも……良いかい?」
「えっ……」

大きな鼓動が、胸の奥でひとつ鳴り響いた。音のない部屋の中に、反響してしまうかのような振動を覚えた。
いつのまにかさっきよりも距離が狭まっていて、より近い場所で友雅の瞳があかねを見つめている。
ずっと二人きりで、二人だけで過ごすこと……繰り返し考えては、鼓動が鳴って手のひらは熱くなる。
思えば、今だってここは密室であるわけで、あかねと友雅以外には誰もいない、二人きりの空間である。状況はこのまま。このままずっと…二人でずっと…誰もいない場所で。
鼓動は高まる一方だが、決して否定的な感情は無い。ただ、少しだけ心音が早いのが気になるだけで。
「…どう?」
あかねの答えを、友雅は優しく急かした。
………そして、あかねは黙って軽くうなづいた。


「じゃあ、決まりだ」
答えに満足したらしい友雅は、ソファからゆっくりと立ち上がった。そして、おもむろにあかねの方へ近付いて行くと、彼が伸ばした両手があかねをふわっと抱き上げた。
「な、何ですかっ!?」
抱えられたおかげで、更に近くなった顔を目の前にしても、あかねの混乱を知ってか知らずか、友雅は何も答えずに静かな笑みを浮かべているままだった。
ゆっくりと友雅はあかねを抱いたまま、向きを変えて窓の方へと向かって歩き出した。
そこにあるものは、ただひとつ。
近付くたびに、あかねの心臓が壊れるほど乱れる。

落とされたそこの場所の柔らかな振動とは正反対に、自分の状況がどんなものなのかも把握出来なくなって来た。
あかねが下ろされたそこは、窓際にあるベッドの上。ここに連れてこられた、その意味を探ろうとしては混乱して、正常に思考回路が動かなくなっている。
「両足、前に伸ばしてくれるかい?」
友雅の言われるとおりに動いたが、声を出そうとまでは頭が働かない。

これからどんなことが起こるのか。
二人きりで過ごすことは、あかねの一言で決まったことだけれど……でも。
逃げ出すなんて、もう出来ないんだと分かっているけれど……こんなに戸惑っていることを気付かれるのも嫌だけど…いや、逃げるとかじゃなくて、嫌じゃないけれど、
でも…どうしたらいいのか分からなくて………。

ああ、もう何を考えているか、自分でも分からなくなってきた。
こうなったら…覚悟を決めてなるがままに…って、覚悟って、どんな!?何の覚悟!?
呼吸が途切れ始めて頬が熱を帯びて来た、その瞬間に………ずしん、と何かの重さを感じた。
-------膝、いや腿あたり?

目を開いて、下を見下ろす。----友雅の顔が、そこにあった。

「しばらく休みたいから、膝を貸してもらうよ」
「えっ…!そ、そっ…それは別に…良い…ですけどっ……」
広めのセミダブルベッドは、二人が寄りかかるくらいの余裕はあった。比較的長身の友雅が横たわっても、気にならないのはロングタイプなのかもしれない。

ヘッドの枕に背をもたれたまま、投げ出したあかねの足に友雅は横たわった。
「…枕、ちゃんとあるのに…っ」
クッションだって、硬さだって違うものがあるのだから、自分の好みで使えるのに。
「休みたいけれど離れたくない。眠りたいけど、一緒にいたい。そうなったら、君の膝枕しか選択がなかったってことだよ。綿の入った枕なんかより、ずっと心地良く眠れそうだしね」
そんなこと言われても…こんな風に触れたままじゃ、あかねの全身をかけめぐる血流の音がうるさすぎて、眠れなくなるんじゃないか、なんてことを心配してしまう。
どんなに安らかに彼が眠ろうとも、こうして一緒にいるだけでこちらはどきどきして仕方が無いのに。
と、言うようなあかねなどおかまい無しに、友雅はすぐに静かに寝息を立て始めた。


呼吸で肩と、髪の毛が揺れていた。
自分の膝の上で眠りにつく友雅は、あかねよりもずっと年上で、違う世界に導いてくれるようないつもの友雅とは、少し違って見えた。
無防備で、緊張感もなくて、そのまま気持ちの紐を解いたままで、ここにいる。
今まで見たことのない、友雅の本当の姿がここにあるような……。
そのせいか、あかねにとっても、さっきまで異常なほどの動揺が嘘のように落ち着きを見せている。

そっと、その肩に触れてみた。彼は、感触に気付かずに眠りについている。

疲れが癒されるなら、それでもいいかな、と思った。
二人きりで、二人きりだから……そんな風に気持ちを解放してくれているのなら。

いつもとは違う、友雅と向かい合える、そんなひととき。
こんな特別な日があっても、決して悪くはないな、と思った。


カーテンの向こうは、夏の日ざしが青空を輝かせている。



-----THE END-----


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Megumi,Ka

suga