夏模様

 第1話
殺風景な部屋の中に一人でいると、妙な圧迫感みたいなものが押し寄せて来る。
生活感のない、他人行儀な客室の作りのせいだろうか。そこで暮らしている人の色が、どこにもない簡素なものばかりが揃っている。

そういえば、以前泊まったことのある友雅の部屋も、無駄な物は一切取り払われたような、無機質な感じがした。
柄のあるものは見当たらなく、殆どが無地ばかりで、なおかつ色はモノトーン。白かアイボリー、黒、グレー、時々シルバー。
人工的で、感情を持たないカラーリングに包まれた部屋。
そこには生命力を感じるものは何もなかったけれど、唯一ぬくもりを感じさせるものがあった。
鮮やかな木目で出来た、曲線的な形。友雅の愛用している、あのギターだ。
無彩色の中にあるからこそ、自然の一部を組み込んだそれは輝いて見えた。
出会った時から、彼のそばにいつもあった一本のギター。あれがあったから、彼の部屋はそれほど寒さを感じなかったのだ。

スプリングの固いソファに腰掛けて、窓から賑やかさを失った町並みを見下ろしてみる。
まだ、ホテルの前に人の気配はない。隣接されているコンビニも、今日は随分と閑散としているようだ。
「…そうだ」
あかねは立ち上がって、バッグを手にして入り口へと向かった。
もちろん、ドレッサーテーブルの上に置いたままにしていたた、この部屋のルームキーも忘れずに。

■■■

徹夜明けの身体に、夏の朝日は少々厳しかった。
ただでさえ眩しい光は、正午を数時間後に控えた今となっては、炎天下と言ってもいいくらいの気温を兼ね備えている。
部屋に帰って、ベッドの中に溶け込んでしまうくらいに意識を失えたら、さぞかし気持ちいいだろう…と思いながら、静かな町中を歩いていた。
ほとんどの会社が休みの日曜日。ひっそりと人気が少ない町は、ふらりと一人で歩くには最適だ。
だけど、それはウイークデーに思う事。日曜日は一人より、特別な相手と歩くことの方が楽しいのだと、今は思える。

もうすぐ、彼女の待つ場所が近づいて来る。さあ、今日の予定はどうしようか?
待ち合わせに遅れた分のお詫びも兼ねて、少しスペシャルなことでも企ててみようか…。
思いつくものをあれこれと試行錯誤しながら、アスファルトの歩道を歩く。
いつもよりのんびりしているコンビニに近付いた時、ふと店の方に目をやった。

「…………!」

店内と外を遮る大きなガラスを通して、お互いの瞳が相手を見つけた。声までは聞こえないけれど、その動作で何となく言っている言葉は分かった。
-----多分、同じこと。その場にいる相手に驚いて、とっさに名前を口にしたに違いない。

先に足を踏み出したのは、友雅の方だった。
自動ドアが開き、店員の『いらっしゃいませ』の言葉が聞こえた。
幸いあかねの立っていた場所は、入口に近い雑誌コーナーだったため、彼はすぐにそこへたどり着く事が出来た。
「どうしてここに?」
「あ、ちょっと喉乾いたから、何か買おうかなと思って……」
青空を映したようなスカイブルーのポーチと、膨らんだビニールのコンビニ袋。ジュース一本にしては、少々重たそうな大きさだ。

「そうか。君が飲めるようなもの、部屋には何も無かったな…」
食事はスタジオで支給か外食、冷蔵庫に置いてあったのは、これまたスタッフからもらったスプリッツァーボトルだけ。
ただ寝るためだけの部屋だったから、マトモな常備食など皆無。
未成年の、それも若い女の子が好んで飲めるようなものなんて、あの部屋にあるはずがなかったのだ。
「取り敢えず、部屋に戻ろう。冷房が効いている部屋の方が、何か飲むにしてもゆっくり出来るよ」
そう言って友雅は、あかねの手にあったコンビニの袋を手に取った。



短時間でも冷気に当たっていたせいか、店の外に出たとたんの熱気にめまいを起こしそうになった。
炎天下というのは、こういう気候の事を言うんだろう。空の色は気持ち良いくらいの青一色だが、そのせいで遠慮なく太陽は光を注ぎ続けている。
「それにしても……」
フッ、と思わず笑いがこみあげてきた。隣のあかねが、こちらを見上げる。
「何ですか?」
「いや…ホントに君とは、予想もつかない場所でよく逢うな、と思ってね」

出会った時から、そうだった。
路地の奥で、誰に聞かせるわけでもなく、ただギターを奏でていた。
わざと人に気付かれないように、あの場所を選んだはずだったのに、彼女はそこに現れた。
場所を変えても、まるでギターの音に引き寄せられるかのように、いつのまにか彼女はそこにいた。
約束した日でもないのに、カフェで出会ったり……そして、待っているはずの部屋ではなくて、通りかかったコンビニで、一足早く出会うことになるとは。
「…ホントだ。何か、そう考えたら不思議…」
友雅に言われて、改めてあかねも度重なった偶然に驚いた。

偶然も立て続けに起こるならば、何かしら特別な意味があるように思えてくる。
それは、一体何なのか。真実は分からないけれど、いつかきっと自然に意味が分かる時が来るんだろう。
その時が来るまで、いつ訪れるか予想も出来ない『偶然』という代物に、わくわく期待するのも楽しいはずだ。

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ドアを開けて部屋に入ると、エアコンが丁度良い温度で室内の温度をクールダウンさせていた。
「友雅さん、疲れてませんか?仕事…立て込んでるって聞いたんですけど…」
コットン生地の薄いジャケットを脱ぎ、ソファに腰を下ろした友雅の前に立って、あかねは彼の顔を見下ろした。
「珍しく根を詰めてしまっただけで、それほど切羽詰まっているわけじゃないよ。集中できるだけ、調子は良いっていうことだしね」
そう友雅は答えて、少しだけ力を抜いた身体を背もたれに預けた。
音楽業界で生きるようになって、もうかなりの時間が経っているけれど、そうそう本気になれる仕事に出会う機会はない。
ビジネスとして向き合う程度のものならば、自分から時間を割いてまで作業することは皆無と言って良いが、そうじゃないということは、今回の仕事は友雅にとっても
有意義な仕事なのだろう。

ピピ………と、電子音がミニキッチンの方で鳴った。
目を閉じてぼんやりとしていた友雅だったが、その音が聞こえたと同時に、あかねが目の前を横切って行ったことに気づいた。

ガサガサと何かをさぐる音。カチャカチャと、陶器のようなものがぶつかり合う音。
そうしてまたしばらくしていると、今度は鼻の奥をくすぐるような、香ばしい香りが漂ってきた。
「……コーヒー?」
ガラスのテーブルの上に、湯気の立った熱いコーヒーがカップに注がれて置いてある。
コーヒーなんか、備え付けのアメニティの中にあっただろうか。…いや、そんなものは見た覚えがないが。
「お茶の葉っぱも何もなかったから、コンビニに買いに行ったんですよ。もっと早く買いに行って、アイスコーヒー作っておければ良かったんですけど…」
ライティングデスクの椅子に腰掛けて、向かい合うあかねの手にはミルクティーのペットボトル。
二人の間に、一杯のコーヒーの香りが立ち上る。

「あ、何か食べるもの買ってくるの、忘れてた…!」
仕事を終えて疲れているのだから、軽食になるものも買っておこうと思っていたはずだったが、思いがけなく友雅と出会ってしまったせいで、そこまで頭が回らなくなっていた。
少しくらいは彼の疲れを癒してあげよう、なんて思って出かけたというのに、コーヒーだけじゃあまりに寂しいじゃないか。
肝心なところを飛び越してしまったみたいで、ふと小さなためいきをついてしまったあかねに、カップを手にした友雅は微笑んで答えた。
「…コーヒーだけで十分だよ。むしろ熱い方が個人的には好きだしね」
そういえば、友雅がアイスコーヒーを飲んでいるところ、見た事がないなあ、と考えながら、彼が喉を潤すのをあかねは見ていた。

「美味いね。仕事場で飲んでいるコーヒーより、ずっと良いよ」
一口を味わってから、ゆっくりと回数を重ねて味を確かめながら友雅は言う。
「どこにでもあるインスタントですよ?お湯で溶かすだけの、簡単なコーヒーですよ?缶コーヒーとかと変わらないですよ?」
「そういう意味じゃなくてね」
薄めのコーヒーはほろ苦さも控えめで、喉の渇きと意識を覚醒させるには丁度良い。
それよりも、なによりも、
「君が入れてくれただけで、十分美味しいと思うんだけどね」
気温の暑さとかのせいじゃなく、あかねの頬がうっすらと染まるのを見た。

「もう一杯、飲ませてくれるかな?」
空になったカップの底が見えるように傾けて、テーブルの上にそっと戻す。あかねは立ち上がって、そのカップを手に取る。
まだ、友雅の手のぬくもりが残るそれを両手で抱えて、部屋の奥のミニキッチンへとあかねは向かった。
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Megumi,Ka

suga