Daydream Believer

 第4話
あかねの家に続く道を抜けて、手前の大通りに向かう信号で一時停止になる。
さて、これからどうしようか。とにかく家に戻るのは避けたい。
明け方まで開いているバーで時間を潰すか、それともどこかホテルでも借りて一晩を誤魔化すか。
赤信号が緑色に変わる。アクセルをゆっくり踏み込んで走り出す。

そういえば。
ふと、思い付いた場所があった。あそこなら彼女の目を眩ませられる。それに加えて、明日になって仕事に出掛ける必要もない。好都合の場所だ。
多分まだ誰かしら、残っているに違いない。
友雅はハンドルを切って、逆の方向へ車を走らせた。

+++++

夜半過ぎになって、雨足は少し強くなってきたようだ。スタジオ内は防音が整っているので雨音は聞こえないが、さっき買い出しから帰ってきたスタッフの頭が、予想以上に濡れていたことで天気の変化を知ることが出来た。
「そんじゃさ、ここのフレーズをカットして、リフレインのところに持ってくればしっくり来るんじゃん?」
既に冷めてしなびてきているポテトを、数本まとめてかじりながらイノリは赤ペンを走らせる。二度目の添削だが、何とかイメージがコンパクトにまとまってきた。

今日はサウンド以外の仕事を中心にしている。友雅が日曜は休みなので、一日中歌詞作りに専念していた。
デビューアルバムには新曲が7曲。そのうち完全に仕上がっている歌詞は5曲。あと残り2曲のうち、手こずっているのがこの曲の歌詞だ。
明るい感じにしようか、それともメロウな内容にしようか。作曲したのは友雅だが、どちらにも応用のききそうなメロディだからかえって悩んでしまうのだ。

「やっぱ…こっちだな。せっかくのデビューアルバムなんだし、ハッピーな方向で始めたいもんなぁ」
椅子に腰掛けて、スピーカーの上に足を投げ出す。黒いブーツに包まれた爪先が、スタジオ内に流れているインストルメンタルにリズムを合わせる。
「あのさあ、さっき買ってきた中に甘いもんなかったー?」
後ろで作業をしているスタッフの方に首を傾けて、イノリが大声で言ったその方向に、廊下と通じるドアがあった。
そこに立っている男が目に入ったとたん、イノリは持っていた赤ペンをぽとりと床に落としてしまった。

「おっさん…何やってんだよ、こんな時間に!」
「ちょっと、家に帰れない事情が出来たものでね。せっかくだから仕事に励もうかと思って、やって来たんだけどね」
友雅の手には、すぐ近くにあるドーナツ屋のカラフルなボックスが握られていた。
「手ぶらでも何だから、差し入れを持ってきたよ。甘いもの欲しかったところだったんだろう?ハニードーナツ、5つ買ってきてあるよ」
ちなみにそれこそが、イノリの好物である。よくそんなことを覚えているもんだ。
でも、まあせっかくの差し入れだ。ボックスを受け取ったイノリは、シュガーコーティングのかかったドーナツを一つ取り上げて思い切りほおばった。やはり疲れている時は、こんな甘いものが身体にパワーを与えてくれる。

「そうは言っても、今日はおっさんの仕事はないぜ?あんた今日は休むって言ってたから、違う作業をしてたところだからさ」
少しほろ苦いショコラボールを一つ取り上げて、一口だけかじってみたが、ビターとは言っても友雅にはさすがに甘すぎた。ミニテーブルの上にあるポットから、熱いコーヒーをカップに注いだ。
そのテーブルに置かれている紙の山。ファイルと床に転がる赤ペン。ぎっしり書かれた文字の羅列。
「…歌詞作りか。それじゃ私は範疇外というわけだ」
「そ。だから来てくれてもお仕事ないんだよ」
イノリはそう答えながら、二つ目のドーナツに手をかけた。

「それなら丁度良い。しばらく隣で横になっているよ」
「はぁ!?」
カップのコーヒーを半分残したまま、友雅はジャケットを脱いで隣の控え室へのドアを開けた。そこはソファが置かれているため、徹夜仕事の時などは仮眠室になることがある。
「今日は疲れたからね。朝になったら遠慮無く起こしていいよ」
そう言い残して、ドアが閉まった。
「一体何しに来たんだよ…」
友雅の行動を呆れつつ眺めながら、イノリは指先についたはちみつを舐め取った。


■■■

ゆっくりと風呂で身体の疲れを洗い流し、長い一日が終わった。
濡れた髪の毛をタオルで拭きつつ、あかねは自分の部屋のある二階へ上がっていった。

ベッドに寝転がって、目を閉じて今日のことを思い出してみる。
初めて乗った車。初めて行った場所。古めかしい洋館、異国情緒の残る町並み。その景色の中に必ず友雅がいた。

……友雅さんの住んでたお屋敷、すごかったなあ…お城みたいだった。

薔薇の咲く庭、生い茂る緑と広い庭。絵本で思い描いた風景と大差ない世界が、そこに実際にあることに驚かされた。あんな建物に住む人は、どこかのお姫様か王子様しかいないと思っていたのに、身近にそんな人がいるとは思わなかった。
身近。身近…な存在だろうか。友雅と自分は、どれくらいの立場にいるんだろう。
ただの知人よりは親しいと思う。一緒に過ごした時間も、もう結構長くなってきた。でも、友達というには立場が違いすぎる。
………恋人。そんなフレーズが浮かんできて、風呂で既に暖まっている身体が更に熱を帯びてきた。
違う。そんなことあるはずない。友雅とはそんな関係じゃない。大人の彼にとっては、自分なんて子供と同じくらいのレベルなのだし。
そのフレーズを吹っ切ろうとしたのに、今度はあろうことか……あのシーンが浮かんできてしまった。

今日、生まれて初めて触れた唇。そっと指先を伸ばして触れる、この唇に重なったもう一つの唇の感触。
一気に熱が上昇してきた。風呂から上がったあとで良かった…入浴中にこんなことを思い出したら、のぼせて倒れていたに違いない。

「あ、そ、そうだ……っ」
自分で気持ちをごまかしながら、あかねは起き上がってバッグを取り上げた。
帰り道、友雅がくれた箱の中身をまだ見ていなかった。せっかくくれたものだから、ちゃんと中身を開けて確認しなくては。

リボンをほどき、包装紙を広げる。小さな箱の蓋を開けると、白いパラフィン紙が掛かって中身を隠していた。
それをつまみ上げると、中身が露わになる。きらきらしたものが、その中に閉じこめられていた。


………えっ……?

あかねは目を疑った。
これと同じものを見たことがある。そして、それは確か………。

クローゼットに駆け寄って、引き出しを開けた。丁度同じくらいの箱を取り出して、その蓋を開けてみる。
二つ並べて、もう一度見る。
シルバー細工の木の葉のブローチ。その上にちらばる雨粒のようなブルートパーズ。
全く同じものだ。

ヨーロッパのお土産と、友雅はあのとき言っていた。そしてこのブローチは、天真の父がロンドンのお土産に買ってきてくれたものだ。
あかねには分からないが、もしかするとブランド品か?特にロゴやモノグラムというものは見あたらないのだが。
ロンドンに行った者は誰もが立ち寄るような、名店と呼ばれる店の品物なんだろうか。一度も海外など行ったことのないあかねには、そんなこと分かるわけがない。
だが、だからと言って同じものが揃うなんてことあるんだろうか…。

銀色の二つの木の葉は、あかねの疑問符など気にせずに輝いている。





-----THE END-----


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Megumi,Ka

suga