Daydream Believer

 第3話
店を出て、二人は再び車に乗り込んだ。
普段なら友雅が駅のロータリーまであかねを送っていくのだが、いつもより遅くなってしまった手前上、彼女の家まで送り届けるのが当然だ。
そう彼が言ってくれたのが、少しだけあかねは嬉しかった。

あかねの乗せたバスが見えなくなるまで、彼はずっとそこで見送ってくれているけれど、その姿が小さくなるうちに寂しくなってくる。でも今日は、家に着くまでの間もずっと一緒にいることが出来る。
だけど、それも今日が特別な一日だからこそのこと。
来週になったらこれまでと同じように、一週間に一度しか会えなくなるだろう。そうして、前のようにロータリーで別れることになる。
今までは当然だったことが、今日のせいで一層寂しくなるような気がして複雑だ。

ぼんやりと外のイルミネーションを眺めていると、突然ブレーキがかかって車が動きを止めた。
家に着くには、あまりにも早すぎる。店を出て、まだ5分くらいしか経っていないはずなのだが。
そう思って辺りをキョロキョロ見渡してみる。どことなく見覚えのある景色がそこにある。
「友雅さんっ!!」
びっくりしてあかねが運転席を見ると同時に、バタンとドアの開閉する音がした。エンジンをかけたまま、友雅は外に出てあかねを窓の外から覗き込む。
「すぐに戻るから、少しだけそこで待っておいで」
友雅はそう言い残して、エントランスに向かって早足で上がっていった。


いきなり彼のマンションの前で止まるものだから、心臓が飛び出るかと思った。
昼間の発言は冗談だと分かっているけれど、それでも…そんな事のあったすぐ後だからドキドキしてしまう。
ホッとしたようで、だけど早くなった心音は大人しくなってくれなくて。こんな調子だからからかわれるんだな、と自分の素直すぎる感情表現に溜息が出る。
恋愛なんて…したことがない。だから、本当の恋人同士が繰り広げる世界が分からない。早く知りたいけれど、こんな風にどきどきする雰囲気もくすぐったくて、決して悪い気がしないのだが。
今はまだ、キスだけで身体が固まってしまうくらい。まだまだ…先は長そうな気配。そんな想いを大切にしておきたい。


視線を感じた。誰か、友雅ではない視線があかねのことを見ている。
顔を上げると、ガラスの向こうから中を覗き込む目があった。
あかねが驚いて声を上げると、相手もそれに驚いた様子で車から身体を離した。
「すみません、人違いでした。驚かせてしまってごめんなさいね」
友雅のことを想う時とは違ったドキドキで、腰が抜けそうになっているあかねに頭を下げてから、名も知らない彼女はマンションの中に消えていった。
驚いたのには、幾つかの理由がある。
突然目の前に人が現れたこと。その彼女の長い髪が、金色に輝いていたこと。そして彼女が日本語を話していたこと。
そしてもう一つは……びっくりするくらい彼女が美しかったこと。
身動きに沿ってなびいた金髪は絹糸のようで、すらりとした長身にワインレッドのスーツが見とれるほど似合っていて。瞳はエメラルドのような色。唇はスーツと同じ色。
グラビア雑誌に出てくるスーパーモデルにも負けないくらいの、迫力のある美人だった。
これこそが、大人の女性という言葉に相応しい……同性でも息を呑む華やかさ。
「…あんな人になれたらなぁ…」
ぽつり、と本音が漏れた。
あんな女性だったら、友雅と一緒にいても様になるのだろう。あまりに、理想としては程遠いくらいの差があると分かってはいるのだが。


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クローゼットにしまいこんでいた小箱を手に、友雅は部屋を出ようとした時だった。
掴んだドアノブが外から引かれて、一瞬姿勢を崩しそうになった。
「…やっと戻られたのですね。一日中、どちらに向かわれていたのですか?」
緑色の瞳が、友雅の視線と大差ない位置で睨むようにこちらを見ている。
「用件なら後にしてくれるかな。急いで出掛けなくてはならないところがあるんでね。」
彼女の肩を払い除けるようにして、友雅は部屋を後にした。

せっかくの日曜日だと言うのに、最後に嫌な相手の顔を見てしまったな、と友雅はエレベーターの中で溜息をついた。
あかねを送って戻ってきても、あの調子ではしばらく部屋に居座ることは間違いない。どこかで時間を潰せる場所を探した方が良いだろうか。
どこか心当たりは……と考えているうちに、エレベーターは一階に到着してドアが開いた。


「待たせて悪かったね。どこにしまったか忘れていたものだから……」
運転席のドアが開いて、友雅が再び乗り込んできた。その手には、小さな小箱が握られていた。
「手を出して」
じゃんけんのパーのように手を開いて友雅に差し出すと、その小箱がちょこんと上に乗せられた。
「知人のヨーロッパ旅行のお土産だよ。たいしたものじゃないけれど、綺麗なものらしいから君にあげるよ」
「えっ?でも、お土産っていうくらいだから、友雅さんに買ってきたものじゃないんですか?」
エンジンがかかって、ヘッドライトが再び点滅した。エントランス近くの緑の垣根をライトが照らすと、あちこちに雨の滴が見える、
「良いんだよ。元々君のために買ってきてもらったものだから。」
友雅の言葉の意味が分からなかった。見ず知らずの友雅の知人に、土産を買ってきて貰う理由なんてあるはずがないのに。
ハンドルを切って、大通りに向かう。日曜の夜でも、まだまだ車の通行量は多い。
「何か土産を買ってきてくれると言うんでね。せっかくだから高校生の女の子に似合うようなものを探してきてくれって頼んだんだよ。だから、それは君のためのものというわけだ」
箱は小さいのに、しっかりとした包装がされている。細いリボンまで、丁寧に花の形に結ばれていてミニブーケのようだ。
「ありがとうございます…。でも、何か私、いつも友雅さんに貰ってばっかりで悪い感じ…」
「気にすることないよ。たいしたものをあげたわけじゃないしね」

友雅にとってはそうかもしれないけれど。あのショールだって、この…まだ中身の分からない贈り物だって、値段はきっとそれなりのものに違いない。
お返しくらいしたいとは思うのに、あかねには何を返せばいいのかも思い付かない。
天真や詩紋に尋ねてみても、年令が違うのだからあまり参考にはなりそうにない。父に聞いたら……怪しまれそうだし。

ふと、脳裏にさっきの女性の姿が浮かんだ。
あんな大人の女性なら、男性へのプレゼントのツボもバッチリなんだろうな……なんて、そんなことを考えた。
「あ、友雅さん…さっき戻ってくるとき、すごい美人に会いませんでした?」
信号で一時停止している時、あかねが小箱を抱えたまま尋ねてきた。ハンドルを持つ手が、少しぐらついた。
「さあ…。エレベーターだったからすれ違っていたのかな。見かけなかったけれど。」
しらをきったが、あかねが言うのは誰のことなのかは何となく察することが出来る。
「すごい美人さんだったんですよ。金髪でロングヘアで、モデルみたいな人。でも、日本語でしゃべってたから…日本にいるのが長いのかなあ。ハーフって感じもしなかったし」
やはり彼女のことか。あれだけ派手なら、夜目にも充分目立つだろう。まあ、性格的にも目立つことが好きな女ではあるが。
直接会ったのは二年ぶりになるが、風貌も性格も何一つ変わってなさそうだ。このまま家に戻ったら、面倒なことに巻き込まれてしまうに違いない。
「憧れるなぁ…無理だって分かってても、あんな美人になってみたいな…一日でも良いから」
夢見がちなことを思い描きながら、あかねがそんなことを言うと、友雅が素っ気ない口振りで妙なことを言った。
「美人ばかりが魅力的なものだとは限らないよ」

交差点を左折し、少し奥ばった住宅街に続く道を入っていく。ここまで来れば、あかねの家ももうすぐだ。
「表面なんて、いくらでも綺麗に出来るものだよ。個人的にはあまり興味がないね。それならよっぽど………」
意味深な台詞を途中で呑み込んで、友雅はゆっくりスピードを落とした。
あかねの家まで、あと数メートルだった。


+++++

「今日、本当に楽しかったです。ありがとうございました」
両親に感づかれると問い質されそうなので、少し離れたところで車を降りた。この時間なら、もう外を歩く人もいない。近所の人に見られることもないだろう。
「また、あんな風に偶然の出来事があると良いね。」
「そうですね。」
多分、もうそんなことはないかもしれないけれど。
「次は来週の日曜日。いつものところで、いいね?」
あかねはうなづいた。
いつもと同じ日曜日でも良い。友雅と会えるのには変わりないのだ。数時間でも数十分でも、会えないよりはずっと良い。

「おやすみ。また来週」
運転席の空いた窓から軽く手を振って、紺色のアウディは闇に溶けていった。



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Megumi,Ka

suga