新しい風景

 第3話
とは言っても、やはり人の手が入らない庭は雑草が我が物顔で茂っていた。
芝生の残骸は残っているが、あちこちは枯れて禿げていて、そしてその間から長い草が張り出してきている。花の姿も見えない。
「すごいー!こんな広い庭なんて見たことない!!」
わずかに残る幼い日の記憶に刻まれた景色と、現在の景色の違いに溜息をこぼそうとした友雅の後ろから、あかねのはしゃぐような声が飛び出してきた。
「うちの庭なんて、この五分の一くらいですよー!いいなぁ、こんな庭があったらいいなー」
雑草があるのも気にせずに、彼女は庭の真ん中まで早足で駆けていったかと思うと、隅々まで確かめるように走り回っては錆び付いたワイヤー細工の花壇フェンスまで探している。

友雅が少しだけ途方に暮れるような気になると、いつもあかねがその空気を払拭してくれる。
こんなにまで荒れた風景でも、そこには楽しめる何かがまだ残っているのだと、彼女の明るい表情が教えてくれているような気がして。こちらまで気持ちが軽くなる。
無邪気にあかねが笑ってくれることが、目に見えるものへの価値観を変えてゆく。たった一人の少女の力に、友雅は少し驚きながらも悪い気はしなかった。

ふと、目を遣った奥の壁に這う蔓草の中に、黄色い花の姿を見つけた。広すぎるほどの庭の中で、ほんの一片でしかなかったのでとっさには気付かなかったが、近づいてみてそれが薔薇の花であることを確認した。
「どうしたんですか?何か見つかったんですか?」
あかねが急いで駆け寄ってきた。すると、そこには無数の黄色の薔薇が咲いていた。
「うわー。お花咲いてるんですね…。誰も手入れしてないのに、すごい強い薔薇なんですね」
確かに、もしも庭の手入れをしているのであれば、まずはこの芝生の整備をするだろう。それをせずに薔薇だけ世話をするなんて人は、まずいないだろうし。庭の芝生がこんな荒れ状態では、薔薇だって手入れなどされていないはず。
自然に育ち、自然に生きている薔薇の色は、しっかりしたカナリアイエローで緑に映える。
「多分……祖母の育てていた薔薇の残りかな?」
「おばあさん…?」
棘は大きめなので、気を付ければ触れても指先を傷付ける心配はなさそうだ。柔らかそうな花弁がフリルのように幾重にも重なり、荒れた庭のかたすみを彩っている。
「私がここに住んでいた頃は、両親と祖父母がいたからね。祖母は花を育てるのが好きで、特にこの黄色の薔薇が一番気に入っていたんだよ」
こんな昔のことを思い出したのは、何年ぶりだろう?


いつもとは違う場所にいるからだろうか。妙に口先がなめらかになっているらしい。
「小学校に入るまでの、生まれてからの…ほんの5〜6年の間だけかな。ここに住んでいたのは、ほんとに短い間だけだったんだ。今はもう荒れ放題の庭も、その頃は綺麗に手入れがされていてね。この薔薇ももっと大きな花をたくさん付けていたのを何となく覚えているよ」
今は壁にわずかにつたうほどの薔薇も、あの頃は壁一面を彩るほどに蔓を伸ばし、花をつけていた。壁一面が黄色に染まっていた。
屋敷のあちこちには切った薔薇が飾られていて、時折やってくる客人に花束として贈ったりもしていた。甘い花の香りは、どこにいっても漂っていた。
しかし、そんな時間もあっという間に終わってしまった。
「まあ、そのあと両親が離婚したりしたものだから、この屋敷から離れてしまったけどもね。結局はここにいた時間よりも、他で過ごした時間の方が長いから、あまり懐かしいと思うことはないんだけれど。」
それからずっと、ここを訪れることは一度もなかった。二十年以上経って、やっと再び訪れたというわけだ。
「母方の方もそれなりに裕福な家庭だったから、その後も生活に苦労したという記憶は幸いなかったけれども。でも、人間関係は恵まれた覚えはなかったね。」
父とはそれっきり会うこともなく、数年前に亡くなったとだけ聞いた。高校卒業後は母の元を離れて、そのまま家に帰ることはなく今に至る。

どうにか生活出来る環境を経て、今のような仕事に就いて生活にも困らない日常が続いているが、頻繁に連絡を取る相手は殆どいないと言って良い。
仕事の関係者は仕事が終われば付き合いもないし、粘着的な関係を迫られるのは束縛されているようで好きになれない。

「良い出会いっていうのも、あまりなかったね」
「……恋人とか、もですか?」
あかねが尋ねた。ふと数人の女性が脳裏に浮かんだが、顔もはっきり覚えていない。果たして彼女たちを恋人と呼んで良いのかも、微妙な関係だったと言って良いだろう。
「そうだね。私にとっては仕事の相手と同じだった。ずっと一緒にいたい、とまで思える人と会ったことがないからね。だから、そういう出会いなんてないものだと思っていたんだよ。」

---------だが、それを覆すような出会いというものは、突然に訪れるものだ。

「だけど、そういうわけでもないのかな、と思うようにもなったよ」
ぱきっと音を立てて、友雅の指が薔薇を手折った。一輪折って、そしてもう一輪と小さな花が彼の腕に集まってくる。
「ずっと一緒にとはいかなくても、またこれからも会いたいとかね、そう思えるような出会いっていうものがあるのを知ったからだろうね。」
これを恋だなんて思っていない。
だが、彼女とは再び会いたいと思っていた。初めて会ったときから、また会えたらいいと思っていた。
そして運命は悪戯を繰り返し、出会う機会を次々と二人に与えてゆき……こうして今、ここにいる。


友雅の腕には、7本ほどの薔薇の枝が抱えられていた。その眩しい花の色を眺めながら、ぽつりとあかねがつぶやく。
「何だか…友雅さんの、知られて欲しくないことを知っちゃったような…そんな気がするんですけど……」
少しうなだれた彼女の頭を、そっと撫でるように友雅の手が触れた。
「良いんだよ。自分から話したくて話したことだし。それに、何となくね…聞いて欲しかったのかもしれない。」
「でも、それってあまり思い出したくないことでしょう?」
「確かにね。だけど…良いんだよ。君には知って欲しいような、そんな気がして話してしまったんだから。」
さっきは彼女のことを気にして、自分からその話題を避けていたのに。何故かここに来たら、彼女にはどんなことでも話してしまってもいいと思うようになってしまった。
というよりも、彼女の前にいると心の扉が緩やかに開くような気がしたからだ。
「……私に?」
「そう。不思議だけれどね。今までこんなこと、誰にも話したことなんてなかったのにね。」
私生活の過去なんて話は、聞くのも話すのも好きではなかった。
それなのに。


汚れた外壁。ほこりだらけの窓ガラス。さっきまで降っていた小さな雨の滴が、レースのようにこびりついている。
生い茂った木々に包まれた庭と、もう明かりさえ灯らない何十年も空き家のままになった古めかしい洋館。不安定な天候では昼間でも薄暗い。
「ギターの一本でも持ってくれば良かったかな」
あかねを見つめながら、友雅が言った。
「突然、無性に君の音が奏でたくなったよ。」
不思議な感情が胸にわき上がって、友雅の中で音楽が生まれ始めている。瞳にあかねの姿を焼き付けて、メロディーが溢れ出してくる。
「書き留めておきたいけれど、生憎メモもペンもないしね…」
「ちょっと待ってて下さい!バッグの中…もしかしたら何かあるかも……」
あかねは慌てて手に持っていたバッグのファスナーを開けて、中身をあれこれと探り始めた。
ハンカチと携帯とメイクポーチと……手帳。
「あ、手帳なら……」
と取り出してから気付いた。ペンが…入っていなかった。
そういえば昨日、講習のスケジュールを書くので取り出して、そのまま机の上のペン立てに入れてしまったのだ。紙があっても、ペンがなくてはどうにもならない。
「すいません…ペンを忘れちゃって……」
自分のドジに情けなくなって、思わずぺこりと頭を下げてしまう。そんなあかねの頬を、友雅が笑いながら撫でた。
「大丈夫だよ。そう簡単には忘れたりはしないから気にしないで良い。」
書き残さなくても、音を残さなくても、忘れたりしないだろう。彼女のことを思い描けば、きっと自然にこの音が蘇ってくるはずだ。
優しくて暖かい音はどこか懐かしく、心を穏やかにさせてくれる癒しのメロディ。

「今までにない、とてもいい音が浮かんでくる。素敵な音だよ」
聞かせることが出来ないのが残念だけれど。
「私は好きだよ、この音が……」

あかねの胸の奥が、どきんと震えた。『好きだ』という言葉に過剰なほど反応してしまったせいだ。
音が好きだ、と彼は言ったはずなのに。何故かどきどきして落ち着かなくなる。

「君だけが生み出せる音だね。誰にも真似の出来ない…素敵な音だ。」
彼女らしい音。彼女を表現するためのメロディが、面白いように出来上がってくる。
数え切れない音楽が生まれては消えてゆく中で、友雅が生まれてはじめて経験した、体温に似た水の流れのように身体に浸透して来る音。

友雅の手が、そっと肩に手が触れた。身体中が脈打っているのが、その手のひらに伝わってしまいそうな気がして、一瞬ぐっと息を止めた。
シトラスのコロンの香りに混じって、甘い薔薇の香りが身近に感じる。すうっと再び息を吸い込む。
肩に触れていた手が頬から顎を辿り、ゆっくりと少しだけ引き寄せられた。


はじめて重なったその唇からは、ほろ苦いエスプレッソの香りがした。





-----THE END-----


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Megumi,Ka

suga