雨に歌えば

 第3話
「さっきは調子に乗って、ずいぶんと言いたいことを遠慮無く言ってくれたねえ?」
森村が部屋を後にして、再び二人だけになった部屋の中で友雅がイノリを見て言った。
「感謝しろって。俺がサポートしてやったから、森村のおっさんも引き下がってくれたんだぜ?そうでもしなかったら、日曜デートはCLEARってことになったんだからさ。」
悪びれもせずイノリは答えて、氷が半分溶けかかって薄くなったコーラのストローを吸った。
「ま、大目にみてあげるとするよ、今回はね」
特別たしなめるわけでもなく、友雅はイノリを見てから深くソファに腰を下ろした。

「例の彼女、だろ?毎週デートしてる相手って」
「そうだよ。他にはそんな相手いないからねえ」
「……あんた……ホントに女、他にいないわけ?」
イノリが不思議そうに友雅の顔をしげしげと見る。
男の自分が言うのもなんだが、友雅のような艶のある男だったら、まとわりつく女性の一人か二人くらいいても、別段珍しくないと思うのだが。
女子高生の彼女一人に集中するような、そんな一途な想いを抱く男にも見えないし。むしろ部屋を日替わりで違う女性が行き来していたとしても、違和感がないように思えてしまうのに。

「後から着いてくる女性はいるかもしれないけれど」
ほら、とイノリは納得した。
しかし。

「でも、会いたいと思って会うのは…一人だけかな」
そう答えた友雅の瞳は、つかみ所のない彼の心のようにどこか遠くに飛んでいるように思えた。それは多分、彼の中にあるたった一つの存在の彼女がいる場所に違いない。

こう見えて友雅は、驚くほど浪漫派な価値観を持っているらしい。
ちょっとした台詞にしても、確かに気障な感じはするのだけれど、こちらが思い付かないような表現の言葉を綴ったりする。
まるでそれはラブソングの歌詞のように甘くて、そして胸に響く。歌を歌うように、彼は言葉を囁く。

彼が紡ぐ音にしろ言葉にしろ、それは一つの音楽そのもので。まさに彼は音楽を奏でるために生まれてきたのではないだろうかと、そんなことさえ思ってしまうほど…イノリは友雅という男に興味をそそられていた。
どんな音さえも、どんな情景でさえも最上級の音楽に仕上げるだけの力。友雅だったら、きっと自分の作品を最高の状態に仕上げてくれると、今は何一つ疑わずにそう素直に思えている。


■■■


午後4時近く。夕べから続いていたレコーディングは一旦終了するメドが付き、スタッフたちはホッとしながら帰宅の用意を始めていた。
スタジオからロビーに上がると、ガラス張りの大きな窓に小さな水滴がレースのように張り付いていた。
「雨か…梅雨だから仕方がないね」
諦めたように外を見ながら立ちつくしている友雅を見つけたのは、あとからスタジオを出てきたイノリとマネージャーだった。

「橘さん、これからまっすぐお帰りですか?」
「まあね。さすがに私も今回は疲れたしねぇ」
少し冗談じみた言い方をしながら、肩や首を何度か動かしてみる。そうは言っても疲労があることは事実で、関節がぎしぎしきしむような音がした。
「外さぁ、雨降ってんだろ?車出すから途中まで乗ってったら?」
隣にいるマネージャーの顔色を伺いながら、イノリは言葉だけ友雅に向ける。
「そうですね。どうぞご一緒にお乗り下さい。ご自宅までお送り致しますので。」
雨はさほど強いわけではない。足早に歩いて、道沿いのアーケードに立ち寄りながら歩いていけば、傘がなくても自宅のマンションまでなら戻れるだろう。

「小雨だから、傘がなくても別に大丈夫だろうけれどもね……」
「いや、橘さん、車の方が何かと融通利きますから遠慮ならさずに。」
妙にイノリのマネージャーが断言して言うので、何事かあったのかと不思議に思ったのだが、ガラス窓の外に華やかな雨傘が花のように咲いている一群を見つけて、友雅は『なるほど』と納得した。

小雨の中で傘をさして待っているのは、年の頃ならあかねと同じくらいの女子高生が十人くらい…だろうか。お目当ては勿論、自分の後ろにいる彼だろう。
デビュー前ではあるが同世代からの、それなりの定着した人気をすでに蓄えている彼であるから、こうして『出待ち』をするファンも珍しくはない。
というわけで、裏口から車で帰るということをマネージャーが強調するのは、つまりファンの混乱を避けるという意味もある。新人とはいえ、こういう扱いは立派に一人前だ。


「イノリくん!!!」
イノリの姿がガラス越しに見えると、わっと彼女たちは垣根を超えて覗き込むようにこちらを覗き込んだ。手にはプレゼントらしきものや、デジカメ、携帯などの必需品(?)を携えている。
思った以上に熱心なファンは、イノリが出てくるのを今か今かと待ち焦がれているようだ。

ふと、何を思ったか友雅が玄関へと一人で歩き出した。
「橘さん!乗らないんですか?!」
マネージャーが友雅を呼ぶ。
「私は少しゆっくり街を歩いて帰るよ。君らは早く今のうちに裏に行きなさい」
彼は軽く手をかざすように振ってから、少女たちに囲まれたエントランスをさっとすり抜けて、少し霧雨に曇った町中へと消えていった。
「…取り敢えず、言うとおりにしようぜ。オレも疲れてるから、ファンサービスは今日は出来そうにもないし」
ぽん、とイノリがマネージャーの肩を叩いた。



その一瞬、甘い風が通りすぎた気がした。数人の少女が、身動きを止めて風の方向を振り向く。
「………ちょっと。あの男の人、誰……?」
長い髪でゆるやかな波を描いた男性の背中が、彼女たちの視線にも気付かずに遠くへと消えていくのを何人かが黙って眺めていた。
「なんか…ステキな人…」
一人がぽつりとこぼすと、隣にいた友達らしき少女がうなづく。
「イノリくんも良いけど…なんだか大人の色気…みたいな……そんな感じ」

言葉を交わすこともなく、ただ通り過ぎただけなのに。
驚くほどにその存在は鮮やかに艶やかに、彼女たちの目に焼き付いた。


■■■


雨というのに町中は人通りが途切れることはなく、賑やかな風景が今日も繰り広げられている。
とは言え、夕暮れにもなれば日差しの入らないこの天気。
相変わらず雨は小降りのままだが、少しずつ湿ってきているジャケットの感触も手伝って、少々肌寒くなってきた。

友雅は、いつものカフェへと向かっていた。
このまま家に帰ったところで、誰か待っているというわけでもあるまいし。少しコーヒーでも飲んで、暖まってから帰ろうかと思いながら足が向いていた。

家に帰って…一眠りして朝になったら日曜日。
先週の別れ際に決めた、いつものカフェで午前10時に待ち合わせの約束。例えこんな天気が続いたとしても、明日は週に一度の大切な日曜日だ。

店の前まで来て、ふと友雅は足を止めた。
『明日も来るんだから、今日はいいか…』
確かにこの店のコーヒーは美味いし、賑やかすぎない客層と店内も友雅の好みに合っているのだが、今日来てまた明日と毎日通うのも何だし。
それに、向かい側に誰もいない席でくつろぐのは、少々つまらないかな、と思ったりもした。
…そんなこと、今まで考えたこともなかったというのに。

友雅は向きを変えて、来た道を戻ろうと歩き出した。
取り敢えず今日は、買い置きのインスタントコーヒーで我慢しておこう。明日になったら、いつもより美味いコーヒーを味わえることは間違いないのだから。
歩き出して店から5メートルほど離れた頃、カランカランとドアベルの鳴る音が背後で聞こえた。
店から誰かが出てきたのだろう。客だろうか、それともスタッフだろうか。


何気なしに振り返った。
直感などがあったわけなじゃなかった。
なのに、振り返った瞬間に視線がぶつかったのは、そこにいた人がお互いにとって、逢いたい人であったから。


「と…友雅さん?」
開きかけた赤いギンガムチェックの傘が、するりと彼女の手からこぼれ落ちた。
そして、もう一つの手に持たれた白いボックスが、隙間を抜けて地面に落ちようとしたのを、駆け寄った友雅の手が受け止めた。

「約束、1日間違えていたかな…」
ギフトボックスをあかねの手の上に戻して、友雅は静かに微笑む。
「そんなことないです。約束は…明日の日曜日のはず…」
「そうだね。そのはずだったんだ。なのにこんな偶然な出来事が起こるなんて…ね」

運命があるのなら、偶然さえも自ら起こすことができる。
いつだって逢いたい。そう思ってた。いつだってずっと、一人のことだけ考えていた。
そして、目の前に降ってきた偶然という名の運命の欠片。


ほんの少しだけ強くなった雨に、まだ二人は気付かない。



-----THE END-----

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Megumi,Ka

suga