Morning Squall

 第3話
一人分しかなかったテーブルの上のティーセットは、詩紋の手によってもう一人分のカップが追加された。
ふわりとほろ苦さが漂うコーヒーカップを挟んで、あかねの向かい側には友雅の姿がある。

「それにしても、嬉しい偶然だね。こんなところで逢うことが出来るとは……」
男性の指にしては長くてしなやかな手が、小綺麗なボーンチャイナのカップを手に取る。入れ立ての熱いコーヒーを、静かに友雅は口に運んだ。
さっき飲んだばかりのアメリカンとは、味が全く違う。挽いた豆の味が香りに溶け込み、丁度良い苦さが友雅の味覚に合っていて、素直に美味いと感じられる。
同じコーヒーでも、ここまで味が違うと感じるのは……もしかすると入れ方だけではないかもしれない。
あかねを見て、友雅はそんなことを思った。

「今日はどうしたんだい?誰かと待ち合わせにしては、随分早い時間のように思えるけれど。」

童話の中に出てくるようなアンティーク調のホールクロックは、午前9時の文字盤を差している。何か特別な用事でもなければ、こんなところにいるなんて大人でも滅多にない。それが女子高生、しかも一人でとなると色々な憶測が頭の中をよぎる。
「デートの待ち合わせかな?」
「そ、そんなんじゃないですっ!!!!」
思わず声が大きくなって、友雅に詰め寄るように身を乗り出していた。
「ちょ、ちょっと……散歩っていうか…お天気良かったんで……」
手元のミルクティにスプーン二杯のシュガーを入れて、くるくるとかき混ぜる。手持ち無沙汰で必要以上に回るスプーンの音が、陶器に当たってかちゃかちゃと鳴り響く。

散歩。というような格好には到底見えない。サーモンピンクのサマーニットに、クリスタルビーズの華奢なブレスレット。足下はジョギングシューズではなく、淡いクリーム色のローヒール……誰かと待ち合わせなのかと思っても仕方がない。
だが、友雅はそれ以上は問いつめようとはしなかった。

「お休みの日に朝から散歩とは、健康的で良いね。私とは全然違う…羨ましいよ。」
ミニサラダのガラスカップに添えられた、ミニトマトをフォークに突き刺した友雅は、少し目をこすりながらそう言った。
「友雅さんは……寝不足、ですか?」
「仕事がちょっと上手くまとまらなくて、夕べは徹夜してしまってね。食事を済ませたら一眠りするために、部屋に戻ろうと思っていたところだったんだよ。」
明け方まで拘束される仕事。以前、音楽関係の仕事をしていると聞いたことはあるけれど、具体的なことまでは知らない。
天真の父も音楽業界の人間ではあるが、徹夜で勤務という話は殆ど聞いたことがない。同じように音楽を生業にしている者でも、随分生活サイクルの違いがあるものだ。
「疲れてるんですね……」
ぽつりとつぶやいた声を耳にして、顔を上げた友雅の瞳に移ったのは、少し不安そうなあかねの表情だった。
「まあ、疲れていないといえば嘘になる。手こずっていたからこそ、こんな時間まで長引いてしまったものだからね。体力もさることながら、気力もかなり燃焼してしまったらしいしね。」
友雅はそう答えると、一つ欠伸をしてから身体を後ろに伸ばした。


逢えたのは嬉しかったけれど………。

あかねは友雅の仕草を見ながら、戸惑いを覚え始めていた。
おそらく彼は一晩中仕事に追われて、疲れがピークに達しているだろう。もしかしたらこうして、自分の話し相手をしていることさえも、彼の疲労を増幅させているのかもしれない。
こんな状態を予想などは出来なかったけれど、このままこうして向かい合っていたとしたら…何かしら彼は自分を気遣って話しかけてくれるに違いない。
だけど、こんなに疲れているのに……………。


「あの、早くお部屋帰って、ゆっくり眠って下さいね。」
そう言ってあかねは、隣の椅子に置いていたバッグを手に取った。
自分は席を後にした方が良いだろう。そうすれば彼も落ち着いて家に帰って眠りにつくことが出来るに違いない。
綺麗に切りそろえたピンク色の爪の右手が、テーブルの上にあるオーダーシートに伸びる。

そのとたん、友雅の手があかねの手へと伸びてきたかと思うと、上から軽く押さえつけるようにして重なった。
「………帰ってしまうのかい?」
「えっ?……☆あ、も、もう用事済んだんで…。それに、お疲れのところをお邪魔しちゃ悪いし………!」
重なった手が、あかねの手のひらをぎゅっと強く握りしめる。まるで引き止めるかのように、堅く、強く。
「済んだ用事って、何?」
「は?あ…っ…………っ!え、えーと………」
頭の中が混乱してきた。

ここにやってきた用事……それは、友雅に逢いたかったから。それだけだ。
こうして逢えたのだから、用事は済んだ…と言いたかったのだが、そんな恥ずかしいことをさらっと言えるわけがない。
どういう風に答えれば、ごまかせるだろうか。
後輩の詩紋に借りた本を返しに…なんて、そんなのは学校で出来ることだし、ここのバイトの面接…なんて、こんな朝早くから行うはずなんてないし。
パニック状態に陥る寸前のあかねの手を、しっかりと握る友雅の手からぬくもりが伝わる。

「君の時間に余裕があるのだったら…よかったらもうしばらく、一緒にいてくれないかい?」


------そんな風に微笑んで見つめられて、しかも手を握られたまま、そんなことを言われたら。
------断ることなんて、できやしない。


「ああ、でも君は受験生だったんだね。そうなると…休日ものんびりと、ゆっくりしていられないのかな。」
「そ、そういうわけじゃない…ですけどっ」

受験生にあるまじき思考かもしれないけれど、例え予備校で何かがあったとしても…友雅にそんなこと言われたら、彼の誘いを選んでしまうような気がする。
「別に…特別なにも…用事ないです。」
そうあかねが答えると、ふっと手のひらの上に感じていた友雅のぬくもりが消えた。
「じゃあ、私に今日は付き合ってもらえるかな?」
友雅がそう尋ねると、あかねは少し頬を染めてうつむいたまま、こくりと何度もうなづいてみせた。

ガタン、と音がして、友雅が椅子から立ち上がった。テーブルの上には、まだ冷めていない熱いコーヒーと、出来上がったばかりのBLTホットサンド。席を立つには早すぎる。
そして友雅はあかねの丁度後ろまで歩いてゆき、今まで彼女が座っていた椅子をそっと後ろに引き下げた。
「それじゃ改めて、どうぞ、席に座りなさい。」
そう言った友雅の姿は、いつもあかねが見ていたようなラフなスタイルと代わり映えしなかったが、その仕草は紳士そのもので、自分まで淑女になったような気がしてくる。
友雅が引いてくれた椅子にもう一度腰を下ろすと、詩紋を呼ぶ彼の声がした。
「取り敢えず、好きなものを頼みなさい。語り合うには、喉を潤す飲み物と、少し甘いものが欲しくなったりするだろう?」

気持ちを切り替えて、これからは……二人の時間。
まだどういう風に過ごそうか、なんて予定も何もたってはいないけれど。取り敢えずもうしばらく一緒にいられるのは確か。

それが、どうしてこんなに嬉しいんだろう。

そして……こんな一回り近くも年の離れた、まだ知り合って間もない彼女と一緒にいることが、何故こんなに気分を落ち着かせてくれるのだろう。

向かい合った視線の先に、その存在があることが嬉しいと感じる。

まだまだ何も知らない二人なのに、不安が感じないのは何故なんだろう…?





---THE END---


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Megumi,Ka

suga