Morning Squall

 第2話
「誰が口を出せって言ったよ!そんな口うるさいアドバイスなんざ、こっちから願いさげだ!」

まだ若い少年の勢いだった怒鳴り声が、スタジオ全体に響き渡った。

ビルの地下にある、コンクリートに包まれたレコーディングスタジオ。
そこにいるのは十代半ばの少年たちが5人。ギターやドラムスティックを手にした者もいれば、ヘッドフォンとマイクのみという者もいる。
その他にミキシングなどのレコーディングスタッフが数人。
もちろんそこには責任者の森村の姿もあった。そして…友雅の姿も、だ。

「大体、演奏するのはこいつらで、唄うのは俺だろうが!あんたは曲を作っただけだろう!そんな細かいところまでとやかく言うな!」
連続して大声で怒鳴っているのは、ヴォーカルと思われる少年だった。赤く染めた髪を立てて、スティンガーな雰囲気を醸し出そうとしてはいるが、まだその面持ちはあどけなさを残した少年さが抜け切れていない。

「……曲を作った立場として、最低限のレベルで演奏をしてもらいたいんだが。そんな要望も受け入れてもらえないほど、私の権利というのは皆無に等しいのかい?」
今にも血管が切れそうなヒートアップ状態の少年に比べて、友雅の方はあっさりと落ち着いたたたずまいである。だが、その静かな中には強固な職人気質が見え隠れしている。
「い、いや…橘さんのおっしゃることは最もで…。ですが彼らは、これからデビューするわけですから、若干のアマチュア的な部分もありますんで…完全なものを求めるのは、少々難しいのではないかと………」
低姿勢で森村が友雅に取り入ろうとすると、今度は彼らの方が突っかかってくる。
「じゃあ何か!?俺たちがトーシロで、プロの技力もねえって、そうおっさんは言うのかよ!」
「いや、そうじゃない!それは誤解だ!君らは十分デビューするだけの実力があって……」
今度は年端も行かない少年達に、森村は頭を下げることになる。社内ではある程度の権力をも折っている彼も、ミュージシャン相手になると中間管理職と大差ない仕打ちを強いられる。
華やかそうな業界の表向きとは違って、なかなか苦労の耐えない仕事だ。

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「申し訳有りません。何せまだ若い子たちなものですから血気盛んで、引くことを知らないものですから………」
天上まで届く窓からは、眩しい日差しが屋内全域まで注ぎ込まれる。アイボリー一色で塗り固められたサンルーム風のカフェには、人の姿もまばらにしか見て取れない。
時計の針は午前8時。
日曜の朝ともなれば、通行人さえ少ないのも当然と言える。
「私もね、自分の作品には完璧を求めたい人間なんでね。……悪いけど、彼らの演奏を聴いた限りでは、私のイメージには程遠い。残念だが、出来ることならオクラ入りにしてもらいたいくらいなんだが……」
「そ、それだけは勘弁してくださいよ!せっかく橘さんに作って頂いた一曲を、うやむやにするのは、それこそもったいないじゃないですか…!」
予想外の友雅の申し立てに対して、森村の顔色が一層曇った。
「しかしねぇ………悪いが私もプロだからねぇ…」
引き下がりたくない、最小限レベルの一線。例えそれが周囲には理解してもらえなくとも、友雅の音楽意識の中では常に優先されるもの。その頑固さ故に、表舞台に彼が出てくる機会が少なくなっているのだが、そんなことは彼にとってはどうでも良いことでしかない。

「申し訳有りません!今回だけはどうか…御願いします!」
森村はテーブルに両手を付き、深々と頭を下げた。
「お望みであれば…契約金などを今一度考慮し直しても結構ですので、どうか今回だけは譲歩願えないでしょうか?」
今回の友雅との契約金は、業界内でも破格の規模だ。そんな大金を動かしてでも、彼の音楽を手に入れたい者たちは数多い。それでも彼が落ちることは少ないという現実を見てきた森村としては、どんな手を使おうとも、ここまで来た友雅とのつながりを断ち切ることだけは出来ない。

「もう少し、ヴォーカルの彼の歌い方をチェックさせてもらいたいね。それ以外の演奏は大目に見るとして…それくらいは私の権利を主張させてもらえるよう、彼に取り入ってもらいたいね。」
友雅の一言に、森村は深い溜息をついて頭を抱えた。

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カフェで出されたアメリカンは、あまり美味いものではなかった。あれなら自分で入れた方がマシな気もする。
そのせいもあって、更に気分は低迷しつつあった。
日曜の朝、青空が広がって天気は良い休日だと言うのに、夕べから徹夜でスタジオにこもりきりだったために、頭の中もすっきりとしない。
「どこかで少し胃をふくらませてから、家に帰って今日はゆっくり寝た方が良いな」
特別眠いという気はないが、おそらく気付かないところで疲れがあるのだと思う。どっちみち、また明日の朝からスタジオに入らなくてはならないことになっている。
それまでの時間、のんびり自由に過ごしても誰も文句は言わないだろう。
友雅はワッフル生地のシャツを上着代わりに羽織って、いつものカフェへと向かった。

ちょっとしたブランチを取るときに、必ずやってくるマンション近くのカフェ。緑に包まれた静かな佇まいが、隠れ家的な雰囲気を持っていて落ち着いて過ごせるのが気に入っていた。
大概は一人のときに気分転換を兼ねてやってくる店だが、この間だけは違っていた。

………どうしているだろう?

一瞬でも目を反らしたら見失ってしまうほどに、くるくると変わる表情や仕草が愛らしくて。それでいて吸い込まれそうなほど、透明な瞳の輝きを持っていた彼女は……………。

「彼女のために、なら…いくらでも歌なんて作れそうなんだけれどもね…。」

彼女の表情ごとに、メロディーは違う音を奏でる。時には軽やかにリズミカルに、その反面でしっとりとした、ラブソングに似合うバラードのようなメロディーさえも生まれて来る。
思い出しただけでも、フレーズが溢れだしてきて…とめどなく溢れだして。

………逢いたい、と思ったら……運命は私たちを引き寄せてくれるだろうかね?



「ねえ…あの…聞いても良い?」
ミルクティーのカップが、二杯目を飲み干そうとしていた頃、詩紋があかねのそばにやってきて小声で何か尋ねようとした。
「あかねちゃん…て、本当にあの人と何でもないの?」
最後の一滴を飲み終えようとしたあかねは、詩紋の問いかけに思わず喉を詰まらせそうになった。
「な、何でも…ないって…別に、その…何でも…ない…よ」
思わず声が上ずってしまうところが、周りから見れば十分に怪しいと思われても仕方がないことまで、今のあかねには気が回らない。
…何でもない。何でもない、ただの知り合い……には違いないのだけれど。
それなのに、何故か逢いたくてたまらなくて、またここに来てしまった。一緒に朝食を取りにやってきた、この店だったら……もしかしたらまた彼がやってくるんじゃないか、なんて期待を少し抱いて。

普通の日曜の朝なら、まだベッドの中でうずくまっている時刻だというのに、この店に行こうと決意した時から、気持ちが高ぶって夕べはろくに眠れなかった。
逢えるという確信があるわけじゃないのだが、ほんの少しの偶然に過剰なほどの期待を込めて、こうしてオープンテラスのチェアに腰を下ろしている。

……逢いたい、って思ったら……ねぇ?本当に運命があるんだったら……引き合わせてくれるかな……?

やって来るかも分からない相手を想い描きながら、あかねは声にならない独り言をつぶやいた。


-----------カラ……ン。

ドアに取り付けられたベルが、軽やかな金属音を奏でる。客もまだ少ない店内の間をすり抜けるように、その音は響き渡った。
「いらっしゃいま………」
慌てて詩紋がメニューを持って、入口に姿を現した客のところへと向かっていこうとした。

その時、あかねは声も出さずに椅子から立ち上がった。

そして彼はドアの前に立ちつくしたままで、あかねをじっと見つめた。
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Megumi,Ka

suga