Morning Squall

 第1話
「こんな高そうなもの頂いてしまっては、あとで何かお返ししなくちゃならないわねえ…」
家に帰ってきて早々に、キッチンにいた母に天真の父から土産にもらったブローチを見せると、それらをしげしげと眺めながら母がそうつぶやいた。
本当はどれくらいの価値があるものなのか分からないが、安っぽさは全くない。だからと言って豪華過ぎるわけでもなく、あかねくらいの年令にも似合うデザインだ。

「あ、そうだ」
あかねはブローチの入った箱を母の手から取り返し、足早に二階の自室へと駆け上がった。そして部屋のクローゼットのドアを開けると、数ヶ月前に買ったばかりのサマーニットブラウスを取り出して、胸に飾ってみる。
「やっぱ思った通りだぁ。この服に合わせたら良い感じだなー…」

……そろそろサマーニットとか着ても良い時期だし、今度友雅さんと逢うときはこれ着て行こうかな。

鏡に映してコーディネートを楽しんでいたあかねは、ふとそんな自分の姿を見て思い止まった。

今度逢うとき?それはいつになる?
特別約束をしたわけじゃないし、連絡先さえ知らない。
マンションは知っているけれど…まさか押し掛けるなんてことは出来っこない。

逢いたいとき、どうすればいいんだろう?いつやってくるか分からない偶然を期待しながら、町を歩いているしかない。
逢って話したいときがあるのに。逢って、彼の音を聞きたいと思うときもあるのに。

…………だけど、どうしてそんなに逢いたいと思うんだろう?

耳にこびりついて離れない、あのギターの音。目を閉じても浮かんでくる笑顔と共に、頭の中で絡み合う自分の『波動』と言う名のイマジネーション。

………理由なんて分からないけれど。

時々、とても逢いたくなる。何故か。

■■■

放課後のチャイムが鳴り響く。生徒達はざわめきながら席を立ち、思い思いの場所へと移動し始めた。課外講習へ出向く者、部活に向かう者、予備校へ向かう者……勿論バイト先へ行く者もそれなりにいる。
「んじゃ、お先にな。面倒くせーけど、音楽室まで行ってくらぁ」
天真はバッグを抱えたまま、コーラス部の活動拠点となっている音楽室へと向かって歩いていった。
あかねは天真に軽く手を振って、姿が見えなくなったあと鞄を手にして立ち上がった。

「さて……私は…と。予備校行かなくっちゃなー……」
今日はサボるわけにも行かない。前回までのテスト平均点が、志望校の合格ラインに達しているかどうか、講師直々に通達があるのだ。
前回はもう少し気合いを入れた努力が必要だ、と言われたこともあって気が滅入ったが、今回はあまり気負いがない。特別頑張ったつもりはないのだが、何故か緊張感というものが良い具合に緩やかになってきている。
今までのように予備校への道のりが、重いと感じることはなくなったし。気分的には上々といった感じが続いている。
だからこそ、毎日の勉強も苦にならない。


「さて、元宮さんは………と」
順番が回ってきて、あかねが講師の待つ部屋へと呼び出された。パラパラと今までのデータを熟読している。この沈黙が結構緊張するものなのだ。一体どんな言葉が出てくるか、あれこれと想像してしまう。
「……この間の試験は、以前とさほど点数は変わらないな。だが先週連続しておこなったテストの平均点は、わずかだが上がってきている。良い傾向にあると言えるな。」
比較的いつも厳しいこの講師が、こんな柔和な表情を浮かべることがあると初めて知った。
「勿論、努力はまだ必要ではあるが…この調子がずっと続くなら志望校も安定した合格ラインに入るだろう。このリズムで頑張りなさい。」
「…は、はい…ありがとうございます」
あかねは深く一礼をして、部屋を出た。廊下のひんやりした空気を感じたとたんに、どっと身体から力が抜けた。
何が功を奏したのか分からない。だけど確かに毎日勉強の中で学んだことが、すっと頭の中に吸収されていくのは実感出来ていた。それが、この結果だ。
「………よーし…がんばらなくっちゃ」
自分にそう言い聞かせて、あかねは教室へと戻っていった。

■■■

教室に戻ると、丁度あかねの列の一番後ろに座っている女子高生二人が、クリスタルカラーのMD
を取り出して何か話している。
「そうそう。で、そのメジャーデビュー曲ってのがね、バラードなんだけどすっごい良いんだよ。聞いてごらんよ!」
「えー?でもオリジナルじゃないんでしょぉ?何かそれって興ざめじゃないのー?」
「ま、そりゃそうなんだけどさ!でもホントに良いんだから聞いてみ!」
半ば押しつけるように一人の少女は、手に持っているMDをもう一人の少女へ手渡した。彼女たちの手元には、数人の若い男達のグラビア写真が置かれていた。
「で、そのお披露目ライブ行くでしょ?『Tumbling Dice』で来週あるヤツ。もうチケットGETしてあるんだから!」
パールピンクのマニキュアに彩られた、艶やかな指先に二枚のライブチケットが揺れている。

「『Tumbling Dice』……」
聞き覚えのあるその名前は、隣町にあるライブハウスのことだ。あまりその手の情報に詳しいわけではないが、インディーズのライブなどが多く行われていることで、それなりに名の知れた店であるせいであかねも情報の一つとして記憶に刻まれていた。
だが、それも今は違う。

『Tumbling Dice』。あの日、あの場所でのライブを抜け出して……。その先で出逢った一人の男。誰にも気付かれない狭い路地裏で、ギターを抱えていた彼の周りだけは輝いて見えて。
偶然だったのか、それとも彼の言ったように『運命』だったのか真実は分からないけれど、出会ったことは現実として残っている。

「でね、そのライブに着ていく服なんだけどねー………」
彼女たちの賑やかな話し声も、思い出している彼の音にはかなわない。
小刻みに揺れながら、心音に重なってゆく弦の音。静かに染みこんでくる深い音。全身がいつしか彼の音に浸っていき、目を閉じると全ての震えが止まってゆくような感じ。

あの音に触れたい。ここ数日、ずっとそんなことを考えている。
連絡さえ伝えられない彼を思っては、いつもそんな事を考えている。




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Megumi,Ka

suga