立ち止まる時間(とき)

 第1話
「じゃ、次回は通常版にはこの2曲と…初回分のボーナストラックは、ライブ音源で良いね?」
「そうですね。ではジャケットも、そういうデザインで進めさせて貰います。」
まだ明るい時間なのに、窓はブラインドで覆われている。
あまりに良い天気で、太陽が少し眩しすぎるせいだ。
今日も暖かなコーヒーより、氷が浮かぶアイスコーヒーの方が喉に心地良い。
夏もすっかり過ぎたというのに、未だに汗ばむ日があったりして、季節の感覚が麻痺してしまいそうだ。

今回の最終会議が終了した。
打ち合わせ内容は、イノリたちの次回シングルのラインナップについて。
既に2曲は決定しているが、初回分のみ3曲入りにすることになったため、何の曲を入れるかで討論が続いていた。
今回のタイトル曲は、割と軽めのポップ調なロックだ。
デビュー曲が定番のロックだったので、少し毛色を変えた路線を試みた。
カップリングは、逆にストレートなロック。
そして、初回プレス用のボーナストラックは、皆からあれこれと案が出されたが、最終的には友雅の一声が決め手となった。

「曲はどれでも良いけれど、ライブ音源の方が良いと思うよ。」
「ライブ音源ですか…?」
それは、誰一人として挙げなかったアイデアである。
だが、イノリたちの一番の魅力は、綺麗なスタジオで録られた綺麗な音ではなく、一発勝負の生の音源。つまり、"ライブ"だ。
本当なら、実際にその場で体験すれば良いのだが、そうも行かない。
だったら…臨場感がそのまま伝わる、ライブの音源で一曲というのも良いのではないか。
「ライナーノーツに、ライブ写真を入れるのも良いね。更に、ユーザーの興味を惹き付ける。」
ライブの音に、ライブのビジュアル。
そうしてユーザーが、彼らのライブに足を運びたいと思うようになれば、知名度や売り上げにも影響するだろう。

「良いですね、そのアイデア採用しませんか?」
まず、彼らのマネージャーが賛成の意を掲げた。
他に異論を唱える者もおらず、同席していたイノリたちも賛成していたので、トントン拍子で結論は出た。



「なー、おっさんてさ、俺らのライブ何回見に来たことあんの?」
昼食を予約している店へ移動するため、エレベーターへ向かっている途中。
友雅の後ろを歩いていたイノリが、そんなことを尋ねて来た。
「ライブは一度だけだよ。最初の頃に、リハを見に行った時の回だけ。」
振り向かずに背を向けたまま、そして足も止めずに友雅は答えると、一回だけかよっ!?とリアクションが返って来た。
一度しか見ていないくせに、それだけであんなにも強く、ライブの音源を押して来たのか、彼は。

そんなイノリの驚きに対して、友雅は確信を持って言う。
「一回だけでも、あれを見れば分かるよ。君らの本当の力が発揮出来るのは、ライブなんだってね。」
今まで、ひとつのプロジェクトや一人orひとつのアーティストに対して、こんなに長く、そして深く付き合ったことはない。
ライブなどを見に行く機会も、殆どなかった。
しかし、そんな友雅でも、彼らがライブで創り上げる空間というものは、抜き出たレベルだと直感した。
特に凝った演出もないステージで、歌と演奏と、少しのMC。
それらに対し、驚くほどにオーディエンスの反応が素早く、そして彼ら自身も応対が早い。
受け手と送り手の、完璧な意志の疎通。
これによって彼らのライブ空間は、すべてが一体となる。
「誰もが楽しそうで、見ているこっちも気分が良くなってくる。そんなの、なかなかベテランのアーティストでも出来ないよ。」
「……ふ、ふーん…?」
ホールの前で立ち止まり、彼はエレベーターのボタンを押す。
背後のイノリは、そのまた背後にいるメンバーたちを、ちらっと振り返る。
エレベーター横のミラーに、皆が揃って照れくさそうに頭を掻く姿が目に入り、友雅はくすっとかすかに笑った。




スタジオから徒歩で5〜6分のところに、割と質の高いシティホテルがある。
今日のランチはその中にある、カジュアルなチャイニーズレストランに予約が入っていた。
ガラス張りの大きな窓の近くには、人工的な竹林と滝が設置されており、外からの光が入って目にも眩しい。
「夕べ、先週の全国店舗から届いていた予約数を、ざっとチェックしていたのですが、随分と好調ですよ。」
「PRに力を入れていたおかげで、メディアにもよく取り上げられますからね。」
「ライブ会場でも予約受付していますし、もっと伸びるんじゃないですか」
スタッフたちの会話は、景気の良い内容ばかり。
おかげで食事の席も、和やかな空気に包まれている。

……最初は物珍しいから立ち止まってくれる。けど、問題はそのあとなんだがね。
デビュー曲は、ビギナーズラックみたいなものが存在する。
初めて触れるから新鮮なのであって、そのあとは果たしてどうか。
いかに彼らの良いところを、ユーザーに最大限アピールし、着いて来てもらえるようにするか…。
メジャーの世界は、そういう意味で少々面倒くさい。
インディーズで自由気ままに、バンド活動していた方が楽かもしれないが。

「あ?何かあった?」
「いや、別に何でもないよ。」
「あっそ。じゃあ早く注文決めろよー。後ろでオーダー待ってるんだぜ」
確かに後ろを見ると、オーダー表を手にした店員が、じっと注文を待っている。

ま、イノリたちはまだまだ若いしね。
既に覚悟も出来ているだろうし、ちょっとしたことで崩れたりはしないだろう。
昔からのファンにも恵まれているから、そういうのもきっとプラスになる。
良い形で成長してゆくと良いね。
そんな風に思いながら、そろそろ適当に注文を済ませようか……と思った矢先、ポケットの中の携帯がブルブルと震えた。
「おっさんの携帯?」
「そうだね」
取り出した携帯を開いて見ると、"メール着信あり"の文字。
この番号に電話やメールを送って来る相手は、彼女くらいしかいない。
内容は些細なことで、特に重要でもない話題だったりするのだが、その文面から彼女の姿や笑顔が思い浮かんできて、目を通すだけでも胸が暖かくなる。
そう期待しながら、受信を確認しようとした友雅だった。
-------が、その期待は一瞬で裏切られた。

「申し訳ないけど、ちょっと電話を入れて来る。少し席を外させてもらうよ。」
「あ、ああ分かった」
友雅は即座に携帯を閉じ、再びポケットに放り込んでから、店の外へと出て行く。
「急用ですかね?何か仕事の話でしょうか」
「特に今は、別件は引き受けてないと言っていたけれどなあ…」
スタッフたちが首をひねる横で、イノリは違う意味で疑問を抱いていた。
彼のことだから、おそらく電話やメールをする相手と言ったら、彼女だろうと思っていた。
ちょっとくらい冷やかしてやろうか、とタイミングを計っていたのに、突然表情が強張ったのが、どうも気になる。

メールの相手とは、誰なんだろう。
普段、あまり表情を乱さない彼だから、その変化がイノリには不思議だった。



店から出て、フロアの奥にあるラウンジへと向かった。
昼時だが、ここに来るのは皆食事のためなので、こういうところでのんびりしている者は、ほとんどいない。
友雅は一番奥のソファに座り、もう一度携帯を取り出した。
「……こっちには、特に用件などないのにね」
メールアドレスと併せて、表示されている電話番号。
深いため息をついて、彼はその番号を発信させた。



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Megumi,Ka

suga