雨上がりのRaindrops

 第2話
詩紋はテーブルセッティングを終えて、席を後にした。
残された二人は、焼きたてのパンをそれぞれにバスケットから取り上げて、手作りのジャムとバタークリームとともにほおばった。

「学校の友達…ね。そうか、君はまだ学生だったんだよねぇ」
「そ、そーですよ…バリバリの受験生ですもん」
「だから、かな?会ったときの音が少し重かったのはそのせいかな」
友雅の言葉に、あかねはふと思い出した。彼と出会ったときに言われたことを。

『愛らしくて、真っ直ぐで………でも、ちょっと今、自分の未来にとまどいを覚えている。そんな感じが、少しメロディーを重くさせているのかな?』

「友雅さんの言うとおりですよ…バッチリ当たってましたよ」
スクランブルエッグをフォークですくいながら、あかねは苦笑いをした。
「受験勉強が思ったように進まなくて…自分は何をやりたいんだろうな〜って考え出したら、何だか目の前のことが分け分からなくなっちゃって…」

情けないと思いつつも、苦笑するしかない自分の現実にあかねは飽きてきていた。でも、逃げ出してもそこに何があるかも分からない。逃げてたどり着く場所が見つからない。

「まあ、そんなに気にすることでもない。悩まないなんて人間である以上は無理だろうからね、どんな些細なことでもね」
カツン、と友雅がフォークであかねのグラスを叩いてみせた。
「私だって今、仕事のこと悩まされている最中だよ。つまり私と君は、悩みを抱える同士ってことだ。同士に出会えたと思って、その状況を楽しんでみようじゃないか」
人生経験が自分よりも遙かに長い故の余裕なのか、そんな悩みの素振りは一切友雅からは感じられない。むしろ悩みと同化して、その状況を楽しんでいるかにも見える。羨ましい…と心底あかねは思った。

「食事が済んだら、部屋に戻ろう。良いものを聞かせてあげるよ」
「良いもの……?誰かの歌とか?それとも友雅さんの弾き語りとか…?」
「うーん…歌は専門じゃないんだ。でも、まあそれに近いものかな。さ、早く食事を済ませてしまおう」
そう言って、友雅は食事に戻った。
あかねは彼に習って、同じようにフォークを動かした。

■■■

友雅の部屋に戻ったときには、既に昼が近かった。モーニングというよりも、ブランチに近い時間だったのかもしれない。
カーテンが開けっ放しになっている窓からは、暖かい明かりが差し込んでリビングを照らす。

「そこに座っておいで」
ソファを指さして、友雅は隣の部屋に向かった。言われた通りに腰を下ろして彼を待っていると、いつも抱えているギターを手にして戻ってきた。
そして、あかねのそばに腰を下ろして、飴色のボディのアコースティックギターを腕に抱えた。

「最後まで聞いていてごらん」
友雅は、そう言ってあかねに向かって笑った。
彼の指が、弦をなぞりはじめた。

-----------------------------。透明感のある音が、空気に馴染んで行く。

不思議な感じがした。今まで聞いてきた彼の音とは、どことなく違う…それは、はっきりとしたメロディラインが確立されているからだった。

即興でかきならす流れに乗ったメロディではなくて、時には強弱がつけられ、同じパートがリフレインされる。
ひとつの歌のような、そんな音だ。

しかし、明らかにそれは彼の音である。
どこかで聞いたような音ではなくて、彼の生み出すメロディが織り込まれているのは間違いなかった。
覚えやすく、飾り立てた複雑な音など全くなくて。その時折の情景にオーバーラップする音。

「どうだったかな?」

ぼんやりとその音に身を任せていたあかねは、友雅の声で目が覚めたように姿勢を正した。
「あ、うん……とっても…良い感じでした。覚えやすいっていうか…しっくり耳に残る感じで…」
あかねは正直に感想を答えると、彼は笑った。
「そうだろうね。昨日、君のことをイメージして浮かんだメロディをまとめてみたら、こんな感じに仕上がった。良い感じに出来上がったよ」
指で弦を弾いてメロディを一段落させると、ギターを腕からおろしてソファに立てかけた。

「私は曲を作る仕事をしているのだけど、ちょっと難題を押しつけられてしまっていてね…どんな音を作ればいいのか悩んでいたんだ。それで気分転換に、夜の町に出かけて君に会ったわけなのだけど。でも、君に会えてから良いモチーフがどんどん生まれてきた。私の悩みを解決してくれたのは…君だったってことだね」

その言葉がまるで口説き文句のように思えて、あかねは照れくさくて頬を染める。

「だから、君にもそういう何かきっかけみたいなものがあるさ。それは君自身が見つけるしかないから、私が教えられるものじゃないけれども、結構そういうのは近くに転がってたりするものだからね。足下を見てみるのもいいかもしれないよ」
友雅はそう告げると、再びギターを手にして指をなぞらせる。そこから歌が生まれて行く。

「初めて会ったときよりも、君の音はとても綺麗になってきている。物事は良い方向に向かってきている感じだ。あとはきっかけだけだね。君のしがらみとかを解放してくれる、何かを見つけられればきっと良い歌が出来る。頑張って見つけてごらん」

今度は目を合わせずに、そう言った。
あかねは少し呼吸を整えて、リビングに流れる音を目を凝らして辿った。曲線を描き、艶やかに流れていくメロディーに耳を澄ませていると、心の中が真っ白になってくるような気がした。

「いつか君が何かを見つけて、心が軽やかになったら…君に歌を作ってあげよう。君だけの歌をね、プレゼントしてあげるよ」

ソファに腰掛けるあかねと、フロアマットの上に直接腰を下ろしている友雅とでは、今だけはあかねの方が見下ろすような姿勢だ。緩やかなカールが混じる長い髪に、思っていた以上に長めの睫が上からだと見える。
「どんな歌が出来上がるか、私も楽しみにしているのだからね。頑張ってその何かを早く見つけて会いに来て欲しいものだね。分かったかい?」
「何か、今の言葉って…先生が生徒たしなめてるみたいな感じですよ」
「それくらい、君よりは世間の荒波を知っているってことだよ」


包み込まれる彼の奏でるメロディー。
部屋の中にしっとりと溶け合って流れ行き、あかねの身体の中を通り抜けては消えて行く。
この音は、自分の心の破片。荒削りで磨かれていないから、まだまだ光り輝くまでは時間がかかるけれど、友雅のアレンジでこれからどんどん変わっていけるような気がして。

そんな変化が、少し楽しみな気がして。

■■■

夕方近くになっていただろうか。
それでも日曜日では人通りが少なくなることはなく、まだ昼下がりと錯覚している人々が多くみられる。
友雅に付き添ってもらいながら、あかねはバス停に辿り着いた。そして友雅に向かって頭を下げた。

「色々とお世話になりました」
「いや、思いがけなく久しぶりに楽しんだよ。今度はもっと色気のある雰囲気で過ごしたいものだね」
そんな言葉を吐くとすぐに頬が赤くなるあかねの表情を、楽しみながら友雅は指先で軽く小突いて見せた。

「次は…いつ会えますか?」

遠くから近づいてくる、バスのエンジン音が坂を上ってくる。あかねがつぶやくように言った。
「うーん…いつでも思えば会えるんじゃないかな。どうやら私たちの間には運命があるらしいから」

偶然が重なり合って、出会おうと探して…そして出会って。

「その時は、もっと綺麗な君の音を聞かせて欲しいね」
バスのドアが開いて、振り向きざまに友雅がそう言って笑った。
扉は閉じられ、エンジンの音に包まれて友雅との距離が遠ざかる。
軽く手を上げて、ずっとそこでこちらを見ている友雅の姿は、まるで自分を見守ってくれているようなそんな気がして、少しも寂しいとは感じなかった。


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Megumi,Ka

suga