雨上がりのRaindrops

 第1話
窓から差し込む優しい朝日が、閉じられたまぶたを外側からくすぐる。
ふんわりとした枕に顔をうずめて、猫のように目をこすった。
いつもの朝と、どこか違う心地良さ。
ベッドのクッションの沈み具合、身体を包み込む毛布の肌触り………何かがいつもと違う。だけど、とても気持ちが良い。

「ん〜………今…何時だろ…」
ベッドの中から手を伸ばして、目覚まし時計をつかもうとした…が、普段なら必ず枕元にある時計に手が触れない。
どこか他の場所に置き忘れてしまったか…?
と、伸ばしたあかねの手が、誰かの手のひらにぎゅっと握りしめられた。
母の手にしては…大きい。でも、父の手にしてはしなやかだ。
だけど覚えている、この手のひらの感触。
この手は………。

「お目覚めかな?眠り姫」
ゆっくりと目を開いて、枕元を見る。
そして、そこにいる彼の姿を捕らえる。
「きゃああああっ!!!」
現状を察したあかねは、慌てて手を引っ込めようと力を入れたが、さすがに友雅の力にはかなうはずがなく、しっかりと握られた手はほぐれなかった。
「起きたとたんに悲鳴を上げられるとは…少し傷つくねぇ」
そう言いながらも彼は笑顔で、あかねの顔を見つめている。
「ご、ごめんなさい!まさかそこに、お兄さんがいると思わなくて……」
「悪かったね、さすがにソファで寝ていたら身体が痛くなってしまって、隣にもぐらせてもらったんだ。でも、君が期待しているようなことはしていないから、安心して良いよ」
「そそそそそそそっ…そんな期待なんてっ!お、お兄さん変なこと言わないでくださいよぉっ!」
顔を真っ赤にしたあかねの額を、友雅は指先で軽く小突いてみる。
「おや…私の名前、眠ってすっかり忘れてしまったのかな?」
「あ…友雅…さん…」
「そう。覚えていてくれて嬉しいよ。」
満足そうに笑った友雅は、ベッドサイドの窓にかかるカーテンを開く。
一気にまぶしい光が、寝室全体を照らした。

「さて…天気も良いことだし、そろそろお腹が空いてきた頃じゃないかな?」
太陽を背中に受けて、友雅はベッドに中にいるあかねの方を振り向いて言った。
ブランケットに隠れた手のひらで、そっと腹部をさすってみる。
今にも音を鳴らしそうな気配。

そういえば夕べはろくに食事なんてしていなかった。
ファーストフードを何件か回って、簡単な食事とドリンクでやりすごして、そしてここにやってきてからは…ホットミルク一杯だけ。空腹になるのも当然だ。
「着替えたら、朝食でもどこかに食べに行こう。この辺りのオープンカフェは、なかなか雰囲気の良いところが多いから、君みたいな女の子は気に入ると思うよ」
そう言いながら笑って寝室を後にした友雅の笑顔は、朝の日差しより目に眩しい。



ホテルマンのように、見栄えする完璧な出来映えにはほど遠いが、取り敢えずベッドメイキングも整えてからあかねは寝室を出た。
ガラスの組み込まれたリビングのドアを開けると、漂うコーヒーの香り。
朝らしい匂いがする。
「目覚ましに、一杯飲んでいくかい?」
スパッタリング模様のマグカップを片手に、友雅はソファに腰掛けてあかねを待っていた。
「あ…はぁ…」
まだはっきりと頭が冴えていないのか、どこかぼんやりしているような表情を残すあかねに、冷たいミルクを混ぜたカフェオレをカップに注いで手渡した。
いつもと甘さと苦さの違うコーヒー。

「じゃ、行こうか」
友雅はコットンの薄手のシャツ一枚で、普段着のまま玄関に向かった。

■■■

そういえばこの辺りは、閑静な住宅街として有名な地区だったのだ。
中心街には近くて車の通りもあるが、公園を通り抜けると、緑が多い比較的静かな町並みが広がる。よくドラマなどの撮影にも使われる風景だ。
洒落た雰囲気のカフェや、小さなギャラリーを兼ねたビストロ…隠れ家的なセンスの良い店が、所々に転々と見つけられる。

友雅があかねを連れていったのは、公園に面したオープンテラスが隣接している、煉瓦造りの小さな洋館風のカフェだった。
雨上がりの朝の緑が、庭全体を包んでいる。
きらりと光る雨粒もまだ残っている。
ウッドチェアセットが並ぶテラスに腰を下ろして、小綺麗なスタイルのスタッフが持ってきたメニューを開き、モーニングセットを気軽な口調で友雅は2セットオーダーした。

「どうしたんだい?お腹がすいて声も出せないのかな?」
レモンの味がするミネラルウォーターのコップを、長い指先でグラスハープを奏でるようにしてもて遊びながら、友雅が言った。
「…友雅さんて、いつもこういうところで朝御飯食べたりしてるんですか?」
「まあ、普段は朝は食べないから。コーヒーくらいだね、せいぜい。あとは適当にこういう所でちょっと食事したりね、そんな感じだよ」
「…自分で作ったり…は…」
あかねはそう言いかけて、声を潰した。
あの殺風景な部屋と、何も生活感のないキッチンの風景を見れば、彼が自炊などするタイプじゃないことは既に分かっている。
「食べることには興味があまりないんでね。適度なものを食べられればいい…ってくらいかな。たまに作ってもらえるときには食べるけれど」
そう、友雅は言って笑った。

『作ってもらえるとき』…という言い方は、食事を作ってくれる誰かが部屋に立ち入っているということを意味する。
友雅くらいの年令の男だったら恋人がいたって全然問題はないし、彼くらいのルックスなら恋人には困らないだろう。
でも、それを当然だと思いながらもどこか少し、締め付けられるようなかすかな痛みがある。
あかね自身が気付かないような、小さくて敏感な心の一部がきゅんと押さえつけられる、そんな感じがする。

「お待たせ致しました。モーニングセットのスクランブルエッグと、ポーチドエッグをお持ちいたしました」
陶器の食器が触れあう音がして、あかねは現実の世界に引き戻された。
ウエイターの手が、丁寧にテーブルセッティングを始めようとした、その時。
「…あかねちゃんっ!?」
聞き覚えのあるあどけない声に顔を上げた。
緩やかな綿毛のようにふんわりした金色の髪。大きな瞳があかねを見ている。
「詩紋くんっ!!」
あかねたちのテーブルに食事を運んできたのは、店のエプロンを身に付けた詩紋だった。

「ど、どうして詩紋くんがここに……」
あわてふためくと同時に、心音が大きく鳴り響く。
友雅はいたって部外者的な表情をして、外側から二人の情景を眺めているといった感じだ。
「どうして…って、僕、日曜はここでアルバイトしてるって言わなかった?親戚の叔父さんがここでシェフしてるから…って」
アルバイトのことは聞いたことがあるが、まさかこの店だとは思わなかった。
それに、この辺りはあかねたちの年令でうろつけるような雰囲気ではないし、詩紋がバイトをしているからと言って、顔を覗くついでに店にやってきたことなんてなかった。

そんなことより…詩紋の目が気になる。
初めて見る友雅の姿に目を奪われ、そのあとどんな言葉が出てくるのか。
どんなことを言われるのか、気が気でならない。


「可愛らしいお友達がいるんだねぇ。」
あかねが気を惑わせているのも知らず、詩紋を見て友雅はそう言って微笑んだ。




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Megumi,Ka

suga