Brand-new Dream

 第2話
しばらくして、あかねの家に連絡を終えた天真が、父の書斎にやって来た。
「元宮さん、心配していただろう」
「まあね。でも、うちに泊まってるって言ったら、ホッとしたみたいだぜ」
とは言っても、ここにあかねの姿はない。
彼女は日本のどこか…。多分、さほど遠くではないだろうけれど、はっきりとした居場所は分からない。
「天真、明日あかねちゃんと学校で会ったら、私にも連絡しなさい。」
蘭が作った薄い水割りのグラスが、父の手の中でカランと音を立てる。
ちゃんと彼女が登校するか、それを確認するまでは完全に不安も拭えないので。
「でも、野暮なことは突っ込んじゃダメだからね、お兄ちゃん!」
天真の背中を肘で突きながら、蘭こそが野暮なことを突っ込む。

「しかし…おまえたち、全然知らないのか?あかねちゃんの相手。」
はしゃいでいる二人を前にして、森村がふとそんな疑問を投げかけた。
相手は結構年上で、社会人らしいというのは話に聞いていたが、それ以外は名前すらもどんな仕事をしているかも、耳にすることはなかった。
「分かんねぇなあ…。あいつ、あまりそういうこと言わないし。」
それでも肯定しないところを見れば、やはりそういう関係の相手なんだろうと察するところだ。

「でも、あかねの叔母さんに連絡を入れて欲しい言ったのは、その彼氏らしいぜ。」
「そうなのか?」
直接家に電話出来る状態ではないけれど、連絡しなければ両親を不安にさせてしまうばかりだ。
けれども、顔も素性も知らない自分が電話をしても、逆に向こうの猜疑心を煽ってしまうだけ。
「だから俺らに口裏合わせてもらって、叔母さんにあかねは大丈夫って連絡して欲しいって言ってたんだってさ、そいつ」
「へえー…そうだったんだ…」
電話の一部始終を聞いていたわけではないので、その内容に蘭は感心しながら耳を傾けていた。
「それと、あかねは今回の進路変更について、真面目に考えているってのも、一応伝えてやって欲しいって。」
あかねのことだけではなく、両親側の方も考慮して連絡を頼み、更に彼女の進路志望についてもフォローを忘れない。
随分と親密に打ち解けている相手なのだな…と、そんな風に思ってしまう。

「いいなぁ。やっぱり大人だよねぇ。何か、あかねちゃんのこと大切にしてるって感じ。」
蘭が溜息混じりに、羨ましそうな声を上げる。
これくらいの年頃になると、やはり大人の男性に憧れを抱くものなのだろうか。
ましてや友達のあかねが、そんな相手と恋愛中という現実があれば、なおさら夢見がちになってしまうものなのかもしれないが。
「あかねちゃんが信頼しているなら、そうおかしな相手ではないだろうけどな」
残った水割りを飲み終えて、グラスを片付けながら森村が言った。


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彼の家に着いた時には、日付が変わるまでわずかという時間だった。
人の気配がまったく無い佇まいに、深まる秋の空気がいっそう寒々と感じさせる。
だが、そのせいか小さな明かりが一つ灯っただけでも、周囲がふわっと暖かな雰囲気を醸し出す。
闇を照らすキャンドルライトのように、オレンジ色の明かりは夜の静寂に浮かび上がった。

「何か食べるもの、用意しようか」
あかねは横に首を振った。
ファーストフード店を点々としたおかげで、空腹感は未だに襲って来ないのだ。
「友雅さんは…?」
「私は、そうだな…。これから何か食べる気にはならないけど、少し胃の中に入れておいた方が良いかな。」
カーテンを閉め終えた彼はそう言って、キッチンへと歩いて行く。
そして冷蔵庫のドアを開けると、中から琺瑯製の容器を取り出した。
「これを暖めようかな。良い気分で眠りにつけそうだしね。」
中身は、野菜と肉をしっかり煮込んだスープ。
この間の日曜日に、あかねが作って持って来たものだ。

しかし友雅は、それをミルクパンに移そうとしたところで、何故か手を止めた。
「いや、止めておこうかな。」
「え、どうしてですか?」
もしかして、彼の口に合わなかった味だったり?
あまり好き嫌いとかなさそうだから、その点を気にしていなかったけれど。
予め、情報を仕入れておくべきだったかな、とかあかねは考えていたが、彼は全くそんな表情はしていない。
「実は今夜頂いてしまうと、明日の分がなくなってしまいそうなんだよ。」
蓋を開いて、中をあかねに見せる。
週末にたっぷり作って、ここに持って来たはずのスープは、野菜と肉のかけらが少しだけ底に残っていた。

「そういうことで、今夜はミルクでも暖めて飲んで寝るだけにしよう。」
友雅はそれをもう一度冷蔵庫にしまうと、代わりに牛乳のパックを取り出した。
自分が普段使うカップと、あかねが来る時にいつも使うカップが、並んでテーブルの上に置かれる。
「あたし、明日早く起きて、何か作ります!」
確かいろいろと買い込んだから、残っているものを使えば新しいスープくらいは…とあかねが切り出すと、友雅は指先で彼女の唇を押し止めた。
「君は、今はせかせかしちゃいけない時だよ。ここで一晩ゆっくり休んで、落ち着くことが第一。」
そう言って微笑んたあとで、スープを暖めるために用意したミルクパンの中へ、牛乳を注ぎ入れた。


コンロの火が燃える音と、部屋の時計の秒針が動く音が響く。
「日付、変わってしまったね。」
文字盤は午前0時を15分ほど過ぎている。
ほんの少しの時間で、ふつふつと小さな泡が立って牛乳が暖まって来た。
沸騰しかけたところで火を止めて、ふたつのカップに注ぎ入れる。甘く暖かな香りが、冷え込んで来たキッチンに広がる。
「それを飲みながら、ちょっとの間ソファでくつろいでいてくれるかい?」
あかねに自分のカップも手渡した友雅は、廊下に出て行く。
カチンと奥にある寝室の照明がついて、部屋の物音がリビングのあかねの耳にも届いた。

しばらくして戻って来た友雅が、あかねの前に差し出したのは一着のパジャマ。
どことなく見覚えのある、柔らかな肌触りのフランネル。
「これ、いっそのことだから、君専用にしてしまおうか?」
笑いながら言われて、あかねは以前の記憶を蘇らせた。
初めて彼のマンションに泊まった時も、そしてこの家に以前泊まった時も、これを着替えに使わせてもらったのだった。
でも、あの時はどちらの日も雨が降っていたから、着替えが必要だったのだけど。
「そのままで寝ると、制服に皺がついてしまうよ?」
「あ…そうか…」
ブレザーは脱ぐから良いとしても、ブラウスやスカートは座ったり立ったりを繰り返しているだけで、すぐに皺が出来てしまう。

「皺だらけの格好で明日友達に会ったら…今夜のコト、詮索されちゃうかもしれないよ?」
詮索されてしまう?
首をかしげるあかねに、友雅は顔を近付かせる。
「今頃イノリが、君の友達に連絡してくれているはずだし。おそらく、今夜君は彼氏のところに泊まっている…ことになっているんじゃないかな」
「かっ…彼氏…っ!?」
艶やかに微笑む友雅の顔と向かい合い、あかねの顔が一気に赤く色を変える。
「君くらいの年頃の男の子なら、いろいろと想像力が豊かな時だからね。特に…男女のコトに関しては。」
頭の中に巡り巡ってくる、いつもの天真の様子。ついでに、妹の蘭の顔も一緒に。
ああ、間違いなくあの二人のことだから、友雅の言うとおりに誇張して想像を膨らませているに違いない。

「そんな風に思われないように、早く向こうで着替えておいで。」
友雅はパジャマをあかねに持たせ、そっと隣の寝室へ向かうように背中を押した。



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Megumi,Ka

suga