With You

 第4話
「そうか…。お母さんとやりあってしまったんだね。」
時間が経つにつれて落ち着きを取り戻したのか、あかねはぽつぽつと話を始めた。
学校の三者面談で、はじめて進路変更の意志を告白したこと。
そのことで母と口論になり、衝動的に飛び出して来てしまったこと。
何となく家に帰り辛くて、ずっと町を彷徨って歩いていたことも打ち明けた。
「仕方ないよ。君が進路を変えたことを、今まで何にも知らなかったんだ。あまりにも突然のことで、お母さんも気が動転していたんじゃないかな。」
「分かってます…。それは充分…分かってたことだったんです…けど…」

最初から受け止めてもらえるなんて、思っていなかったし、反対されるだろうと覚悟はあった。
それなのに、いざとなったら取り乱すばかりで。
「お母さん…私の成績が上がってて、すごく期待してくれてたから…。がっかりさせちゃうだろうなって、思ってたけど…。」
どうしても貫き通したい自分の意志と、支えてくれていた母へのわずかな罪悪感。
晴れて受験が合格して、喜ばせてあげたかった…と、そんな気持ちも残る。
だけど-------

「でも、それでも諦められないんだろう?」
背中を支えてくれる手が、じんわりと暖かくぬくもりを伝える。
「反対されても、険しい道でも覚悟の上で進みたいって、君自身が決めたことなんだものね。」
「はい…」
何度も何度も、悩んで悩み尽くして。
眠れない夜を繰り返しながら、自分が本当に選びたい道を探した。
そして選んだのは、敢えてまっさらな新しい道。
これから自分で切り開かなれけばいけない、一番過酷な道ではあるけれど…進む方向は、そこしかないと思った。

「じゃあ、もう答えは出てるじゃないか。あとは、粘るしかないね。」
友雅の手は背中を離れて、あかねの頬を左右から包んだ。
こつん、と額がぶつかる。
そして、少し上から視線を下ろし、彼は静かに微笑む。
「大丈夫だよ。ちゃんと何度も話せば、耳を傾けてくれるから。そんな風に一生懸命話せば、君がどれだけ真剣なのか、きっと分かってくれるよ。」
腫れぼったくなった瞼に、触れる指先。
涙のあとを拭き取るようにして、まつ毛をゆっくりとなぞる。

「君も、急にはね除けられたから、感情的になっちゃったんだね。本当はお母さんと言い争うつもりなんて、なかったんだよね?」
「…そう…」
「ちゃんと話したかっただけ。聞いて欲しかっただけ…だったんだよね。」
「そう…です」
再び込み上げて来た涙を止められず、首をうなだれていると、友雅は髪を何度も優しく撫でてくれた。
「聞いてもらえるまで、頑張らないとね」

励ましてくれたのだと思う。
諦めないで、泣いてなんかいないで、これからも頑張るようにと、応援してくれたのだと思う。
抱きしめながら、優しく頭を撫でてくれて。
でも、すべてが逆効果だった。
そう思ったとたんに、涙が-----どうやっても止まらなくなった。
「好きなだけ、胸を貸すよ。」

どうしてこんなにまで彼は、私の心を理解してくれているんだろう。
…彼が口にするのは、自分が欲しかったものばかりだ。
ただ、慰めて欲しかったわけじゃないんだ。肯定して欲しかったわけでもない。
取り乱した心を落ち着かせて、立ち上がれる時間が欲しかったのだ。
諦めないんだ、ともう一度、前を向いていけるまでの、羽を休める場所が。
それを彼は……全部理解してくれている。
その上で励ましてくれる言葉は、何よりも信頼出来る、強くて優しい言葉。

今は少しだけ、その言葉に甘えていたい。
貸してくれた胸にもたれて、淀んだものをすべて吐き出したい。
彼がそれを許してくれるのなら--------------------。

ライムのコロンがほのかに香り、撫でてくれる暖かい手は止まらない。

……このまま、甘えさせて欲しい。
今だけで良いから。


+++++


「とにかく、まずは家に連絡をしなくちゃね。」
どれだけ時間が経ったか分からないが、やっと涙を止めることが出来たあかねは、友雅の腕の中から起き上がることが出来た。
改めて時計を見ると、もう11時近いということに少し驚く。
「連絡をしたら、送って行くよ。でも、夜遊びの言い訳は今から考えておいた方が良いかな。」
笑いながらエンジンを掛けて、友雅はヘッドライトを付けた。
ぱっと駐車場周辺が明るくなったが、がらんとしている風景は変わりない。

駐車料金を支払うと、がくんと軽く車が揺れたあとで公道に滑り降りる。
駅前の大通りも、人や車の数も減っている。
ロータリーで客待ち中のタクシーも、少し暇そうに他のドライバーと雑談したり。
そんな光景を横目で流しながら、すっかり覚えたあかねの自宅への道を選ぶ。


「あの…帰りたくないです…」
カーステレオのボタンに手を伸ばしたとき、小さな声が助手席から聞こえた。
「今夜は帰りたくない…って言ったら、怒りますか…?」
バッグを両手で抱え込んで、あかねはもう一度友雅に言う。
その間にも車は緩やかなスピードで、道路を真っ直ぐに流れていく。
「一晩だけで良いんです…。一晩だけ…頭を冷やしたいと思って…」
「…そうか。」
交差点が近付いて来る。
その手前で、信号が赤に変わった。

一時停止した車は、ウインカーで右折を指示する。
カチカチ…カチカチ…と音を立てて、横断歩道が点滅したライトを反射している。
間もなく信号が青に変わると、友雅はハンドルを切って反対車線へと曲がった。
「それなら私の家においで。」
進んだ道を、もう一度戻る。
あかねの家とは逆の、郊外にある彼の自宅へと。
「ごめんなさい…わがまま言って…」
「良いよ。気持ちをリセットするには、焦らず時間を必要とするものだしね。」
そう言って友雅は、さっき押しそびれたステレオのボタンを押した。


いつものように流れてくる、あの曲。
耳を傾けているうちに、ギターの音を自然とたぐり寄せてしまう。

帰りたくなかったのは…母に逢いたくないのが理由だけじゃなかった。
もう少しだけ、一緒にいたかったから…だ。
何よりも居心地の良い場所。
暖かくて、優しい空気に包まれる場所が、彼のそばだと分かってしまった。

そして、同時に気付いたことがある。
母に対して、何故あんなにも感情を爆発してしまったのか…もうひとつの起爆剤が存在していたことを。
受験のことだけじゃなく、もうひとつ。
彼のことを吐き捨てられたのが…我慢できなかったのだ。

どうして彼のことに、そこまで反応してしまったのか。
その理由が……分かった。



…私、友雅さんのことが好き…。
今更かもしれないけれど…友雅さんのこと…好きだ…。

彼の横顔を目で追いつつ、あかねは初めて、自分の気持ちに確信を持った。





-----THE END-----




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Megumi,Ka

suga