With You

 第1話
それは、午後6時を過ぎた頃だった。
もうそろそろ夕飯が出来ているだろうと、階段を下りて来た天真の耳に、電話が鳴り響く音が聞こえて来た。
足早に居間に向かったが、タッチの差で受話器を取ったのは蘭。
「はい、もしもし…。はい、森村ですが。……あ、こんばんわー!」
かしこまった口振りではないため、相手は知り合いらしい。
まあ、それなら蘭に任せておいていいか、と天真はカウンターの中を覗き込んで、揚がっているフライを味見しようと、手を伸ばした。

「お兄ちゃん、あかねちゃんのお母さんから電話!」
「あ?俺に?」
海老フライをつまむ一歩手前で、残念ながら妨害が入る。
渋々天真は蘭のところへ行き、突き出された受話器を受け取った。
「もしもし?電話、代わりましたけどー」
『ああ、天真くん?ごめんなさいね、夜遅くに…』
あかねの母がそう言うので、電話機のモニタに映る時刻を見ると、PM7:25。
まだ夜遅い、という時間でもないが、そんな感覚も分からなかったのだろう。
彼女の声はどこか、落ち着かないような気がする。

『あの…うちの子、どこにいるか知らない?』
「どこに…って、あいつ、帰ってないんですか?』
キッチンに引っ込もうとしていた蘭が、妙なやり取りに気付いて、すぐに天真のところへ戻って来た。
「あかねちゃん、家に帰ってないの!?」
後ろから覗き込む蘭に、しーっと声を抑えるように合図しながら、天真は二・三度うなづいた。
『家に戻った様子もないのよ。留守電とかの連絡も入ってないし…。あんな調子で飛び出したから、ちょっと心配で…。』

あかねが保護者面談中、天真と詩紋は同じフロアの踊り場で待機していた。
何せ、親や教師さえも思ってもみなかった、進路変更を切り出す一大事。
それを聞いた周囲が、どんなことになるのやら…。
興味というよりも不安が大きくて、何となく放課後も居残っていた。
不安は見事に的中し、しばらくして教室から聞こえたのは、あかねの高揚した声。
部屋から飛び出してきた彼女は、天真と詩紋の姿にも気付かずに走り去ったきり、戻って来なかった。
『どこに行くとか…連絡ないかしら…』
「すいません。悪いんですけど、俺も今んとこは何も…」
携帯はさっきまでいじっていたが、あかねから着信もメールもなかった。
『何回か携帯に掛けてはみたんだけど…出なくて』
あんな調子で飛び出したから、家から連絡だと分かれば出るはずがない。
家に戻らないのは、間違いなく母や父と顔を合わせたくないからだろうし。

「俺、ちょっと他の友達とかにも聞いてみますよ。あと、蘭にも。」
詩紋のところには既に連絡済みで、何も情報は得られなかった。
塾にも念のため電話をしたが、ここには来ていないという返事しかなかった。
『とにかく、居場所さえ分かれば良いわ…。何か分かったら…』
「ええ、すぐおばさんとこに連絡しますんで。取り敢えず、もうちょっと待ってて下さい。」
宥めるように少し強めに言って、天真は受話器をそっと置いた。

「ねえお兄ちゃん!あかねちゃんどうしたの?!」
「…ちょっとな。派手な親子ゲンカやっちまってさー…多分、家に帰り辛くてウロついてるんじゃねえかな…」
そうは言っても、もう午後7時半を過ぎた。
さっきは遅いとは思わなかったが、あかねが飛び出した時間から換算すると、やはり随分と時間が経っている。
女子高生が一人で、しかも家に帰っていないのなら制服のままで、夜遅くフラフラしているのは物騒だ。
「お兄ちゃん連絡してみたら!?もし、家に帰りたくないんだったら、うちに来てもらえば安心じゃない」
「そうだな。じゃ、俺ちょっと連絡してみるわ」
天真は廊下に出ると、父が玄関先にいたことも気付かずに、階段を一気に駆け上がって行った。

「なんだ?天真の奴…随分慌ててるみたいだったが、どうかしたのか」
「あ、おかえりなさいお父さん。あのね、実はあかねちゃんが……」
詳しい事情までは把握出来ていないが、蘭は今しがた電話で話していたことを、帰宅したばかりの父に説明をした。


+++++


駅前のからくり時計が、午後7時のメロディーを奏でている。
改札に続くペデストリアンデッキや、バスのロータリーに並ぶ人々は、スーツ姿のサラリーマンやOLばかり。
黄昏時なら、自分と同じような制服の学生が多かったのに、時間と共に行き交う年齢層は変わっていく。
学生はもう、既に帰宅している時間。
その中をふらふらと、宛ても無く自分は歩いている。
どこに行くわけでもないのに、ただ家に帰りたくないから。
人混みの中に紛れ込んで…時間が流れて行くのだけを待つ。

でも、時間が過ぎて何になるんだろう。
8時になっても、9時になっても、家に戻らないのならどこに行けば良い?
女子高生が一人で、朝まで過ごせるところなんて…例えあったとしても、制服のままでは通報されてしまう。

だけど、今日だけは…。
母の顔も見たくないし、父とも話もしたくない。
こうなることは分かっていたけれど、まだ気持ちが落ち着きを取り戻せない。
せめて一晩だけ…頭を冷やしたい。
少し冷静になって、もう一度両親に向き合う力を蓄えるために、時間が欲しい。

「どうしよう…これから…。」
目に入ったファーストフード店に、取り敢えずあかねは足を踏み入れる。
もうこれで、4軒目のはしごになっていた。





----------PM8:44。

今夜のスタジオは打ち合わせが中心であるため、比較的静かな空気が漂っている。
デモテープが繰り返し流れているが、それも単なる無音を消すためのBGM。
テーブルの上に、飲み終えたコーヒーの紙コップが数個。
散乱している書類の中には、手書きのスコアも混在していた。
「まだ新しい曲は、出来上がっていないんだろう?」
「出来上がってはないけどー…ま、今週中に何とか2曲くらいなら。」
歌詞は既に完成しているが、曲の方はなかなかスムーズに進まない。
Bメロで転調を入れるか、それともAメロの繰り返しでサビに突入するか。
そこのところの決定打を、まだ決めかねている最中。
「普通だったらそのまんまが良いと思うんだけど、それじゃ何かつまんない気がしてさー…」
ソファに寝転がって、イノリはチラッと友雅の反応を伺う。
ポロッと何かアドバイスでもくれないだろうか…とか、虫の良いことを考えてみたが、やはり期待は出来無そうだ。

「一刻も早く、聞かせてもらいたいね。」
「へぇへぇ…何とかスピードアップガンバリマスよぅ…」
倦怠感丸出しで、ごろりとソファにひれ伏すイノリを、笑いながら眺めつつ書類に目を通す。
走り書きで記されているのは、新曲候補の歌詞。
彼らの歌詞の殆どは、イノリが作っている。
リズムの早い爽快感のある曲も、流れるように優しいバラードでも、決して彼は言葉に嘘を付かない。
だからこそ彼らの音は、自然に胸の奥まで染みこんでくる。

これまでは、過去のインディーズ曲からのピックアップばかりだったが、まったく新しく彼が作る曲を聴くのは初めてだ。
インディーズからメジャーへと変わりつつある今、イノリたちの中でどんな変化が起こっているか。
それらが、彼らの音にどんな影響を与えるか。
友雅には心なしか、それを耳にする時を楽しみに待っている。



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Megumi,Ka

suga