「それで…と。どうするんだ、元宮。」
ひととおり母と話を終えた担任は、今度はあかねの方を見て、身を乗り出した。
そして自分の人差し指を、開いたファイルの上でトントンと鳴らす。
「志望校を目指すのか?それとも、上の国立に挑戦してみるか?」
「あ、あの……」
並べられた、大学のパンフレット。
穴が開くほど熟読した、最初の志望校の案内の隣に、自分は縁がないと思っていた国立大学のものがある。
それだけ、距離が狭まったという現実。
自分の力は、間違いなく上昇しているのだ…が。
「今のままなら、十分大丈夫だぞ。やっぱり私立よりは、国立の方が親御さんも安心なんじゃないかと……」
国立に進学してくれた方が、学校としても色々と都合が良いので、担任はそういうこともあり上を勧めてくる。
でも、それは……自分の求めている場所じゃない。
ばん!と両手を付いて、あかねは立ち上がった。
「あのっ!実は私…その……大学進学…止めようと思ってて…」
勢いに任せて、ついに口にした本心。
一瞬、指導室の中が凍ったように静まりかえった。
「ちょ、ちょっとあかね!?あんた一体、何を…!」
「元宮?どうした?おまえ…こんなに成績が上がってて、何でそんないきなり…」
予想通りの展開。慌てる母と、戸惑う担任。
すんなり"OK"とは行かないって、分かっていた。
必ず一度は、反対されるだろうと。
自分だって親の立場だったら、そんなリアクションを取ったに違いないし。
「い、いきなりじゃないです。しばらく前から、ずっと考えていたことで…」
「ちょっと待ちなさい!あんた、どうかしちゃったんじゃないの!?」
母があかねの腕を、ぐいっと掴んだ。
とにかく落ち着いて、もう一度席に着け、と担任が宥めるように言う。
そんな彼の方が、落ち着きを取り戻せないようだが。
「あんた!私立の女子大に行く為に、頑張って来たんじゃない!それを何で今頃やめるだなんて…」
「だからっ、前から考えてたって言ってるじゃない!」
捕まれた腕を振り解いて、あかねは母の顔を見上げた。
「…元宮、おまえ…他に進学したいところがあるのか?だから、入試の申し込みも延ばしていたのか?」
少々ムードが険悪な二人の間に、わざとやんわり担任が割り込んでくる。
「とにかく、言ってみろ。理由があって、大学進学を止めたいんだろう?」
理由がなかったら、こんなに悩んだりしなかった。
諦められないものがなければ、ただ流されて楽に生きる道を選んでいた。
そう、諦めることが出来ないもの。
見つけた、自分の夢へ続く道。
「……音楽関係の専門学校に…行きたいと思っています…」
顔を上げなかったから分からなかったけれど、その言葉を聞いた時、多分母は唖然としていたに違いない。
「音楽の専門学校?まさか、ミュージシャンとか目指すわけじゃないだろ?」
「違います。あの、マネージメントみたいな仕事の方で…」
ピアノさえも弾けない自分には、音楽に直接関わるのは無理だ。
それでも、たった一曲の出逢いが人を変えるような、そんな巡り会いの喜びや楽しさを、多くの人たちに知って欲しいから。
レコーディングに立ち会ったり、販売促進の企画営業etc…。
裏方ではあるけれど、そんな風に音楽をエスコートする立場にいたい。
「いくつか、学校は見繕ってあるんです。そういうマネージメントの専門科目を持った学校があって…」
虱潰しに、近場から探し尽くした。
生憎県内にはなかったけれど、隣の県になら専門学校があった。
家から通うとなると少し遠いが、通学出来ない距離でもないという、正直微妙なところ。
「ちょっと待ちなさい!」
やや強めの母の声に、あかねはびくっとして担任との会話を止めた。
「あんた、自分が何を言ってるのか分かってんの?音楽の勉強なんて、今まで全然やったこともないのに、モノになるわけじゃないでしょう!」
「だから学校に行って、ちゃんと勉強したいって言ってるんじゃない…」
「それは最初から、そういう道を考えている人が言うことよ!付け焼き刃のあんたなんて、無理に決まってるでしょ!」
悔しい。相手を黙らせるような、説得力のある答えが自分にはない。
未知の世界へ、これから踏み入れようとする手前では、強く断言出来る確信がどこにもない。
無力で、手に入れたものは何もなくて。
だけど…手に入れたいものが、確かにある。
「何で最初から、そう決めつけるのよっ!!」
「お、おい…元宮、落ち着けっ」
そんなこと言われたって、もう火がついてしまった。止められない。
慌てる担任を見ようともせずに、あかねは母に食って掛かった。
「私だってずっと考えてたのよ!どうした方が良いか悩んで悩んで…でも、諦められなかったんだもの!」
いつのまにか成績が上がって、それまで目指していたものが、手に届く位置に辿り着いた。
けれどもそれは、自分が本当に欲しかったものではなくて、宛てがないから取り敢えず定めていた目標。
「一から始めなきゃいけないのは、もう覚悟してるもの。難しいことだって分かってる。でも、本当に自分がやりたいことなんだって、分かったんだもの。」
天真の父に連れられて、現場の空気をこの目で確かめた。
音楽というメディアは大きくて、あかねが見たものはその一部に過ぎないだろう。
しかしそこで生きる人々が、真剣にひとつの音楽に向き合っている姿は、明らかにあかねが求めている世界に違いなかった。
「諦められません。私、大学じゃなく専門学校に行くつもりですっ…」
軌道修正は、もう出来ない。
そう簡単に変えられるような、思いじゃないから。
真剣に言い切ったあかねに、担任は複雑な表情で頭を掻く。
こんな成績で専門学校に変更なんて、正直勿体無すぎる。
けれども、ここまで真面目に進路変更を考えているのなら、それを考慮してやった方が良いのだろうか…難しい。
「デートしてるうちに、変なこと吹き込まれたんじゃないの…?」
ぽそっと小さな声でつぶやいた母に、あかねの瞳が向けられた。
「何言ってるのよ…」
「全く、どこの誰だか知らないけど…。大体、受験生を平気で連れ回してるんだから、そもそもそこから常識が……」
しらっと目をそらして言った母の前で、あかねが机をばん!と叩いた。
「何でそんな話になるのよ!将来を自分で選ぶんだって…ただ、そう言ってるだけじゃない!」
それなのに、どうして…矛先が彼に行くんだ。
「成績だって落ちてないし、テストだって上位保ってるじゃない!帰りだって…そんなに遅くならないように帰ってるし…」
本当はもう少し、といつも思う。
けれど、彼が遅くならないように気を遣ってくれるから、門限を超えたことは一度もない。
だが、母にとってはそんな過去など、今は関係がなかった。
「成績がいくら上がったって、それが通用しない進路じゃ、何にもならないじゃないのよ」
溜息をついて、母は頭を抱える。
成績に準じた大学に行くために、受験勉強を続けてきたというのに。
ここで進路を変えては意味がないだろう、という事だ。
「まったく…余計な知識を入れてくれて…」
「いい加減にしてよ!」
耐えかねたあかねが、椅子から立ち上がった。
「何も知らない人のこと、どうこう言わないでよっ!あの人は……っ…」
----------あの人は、私に一番大切なことを教えてくれた。
あの人と出会ったことで、自分の足で歩き出すことを知って。
そうして、本当に自分が生きたい場所を見つけられた。
感謝してもしきれないくらい、出逢えた運命に幸せを感じているのに。
「おい、元宮!どこに行くんだ!」
担任が呼び止める声も聞かず、あかねは二人から顔を逸らして教室を出ていく。
バタン!と投げやりな戸を閉める音が響くと、廊下が少しざわめいていた。
「……何考えてんの…あの子ったら…」
肩を落としてうつむく母を残し、彼女を追い掛けてゆくことも出来ない担任は、困ったようにその場に座り続けた。
-----THE END-----
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