抱えたカケラ

 第4話
「それで…と。どうするんだ、元宮。」
ひととおり母と話を終えた担任は、今度はあかねの方を見て、身を乗り出した。
そして自分の人差し指を、開いたファイルの上でトントンと鳴らす。
「志望校を目指すのか?それとも、上の国立に挑戦してみるか?」
「あ、あの……」
並べられた、大学のパンフレット。
穴が開くほど熟読した、最初の志望校の案内の隣に、自分は縁がないと思っていた国立大学のものがある。
それだけ、距離が狭まったという現実。
自分の力は、間違いなく上昇しているのだ…が。

「今のままなら、十分大丈夫だぞ。やっぱり私立よりは、国立の方が親御さんも安心なんじゃないかと……」
国立に進学してくれた方が、学校としても色々と都合が良いので、担任はそういうこともあり上を勧めてくる。
でも、それは……自分の求めている場所じゃない。

ばん!と両手を付いて、あかねは立ち上がった。
「あのっ!実は私…その……大学進学…止めようと思ってて…」
勢いに任せて、ついに口にした本心。
一瞬、指導室の中が凍ったように静まりかえった。


「ちょ、ちょっとあかね!?あんた一体、何を…!」
「元宮?どうした?おまえ…こんなに成績が上がってて、何でそんないきなり…」
予想通りの展開。慌てる母と、戸惑う担任。
すんなり"OK"とは行かないって、分かっていた。
必ず一度は、反対されるだろうと。
自分だって親の立場だったら、そんなリアクションを取ったに違いないし。
「い、いきなりじゃないです。しばらく前から、ずっと考えていたことで…」
「ちょっと待ちなさい!あんた、どうかしちゃったんじゃないの!?」
母があかねの腕を、ぐいっと掴んだ。
とにかく落ち着いて、もう一度席に着け、と担任が宥めるように言う。
そんな彼の方が、落ち着きを取り戻せないようだが。

「あんた!私立の女子大に行く為に、頑張って来たんじゃない!それを何で今頃やめるだなんて…」
「だからっ、前から考えてたって言ってるじゃない!」
捕まれた腕を振り解いて、あかねは母の顔を見上げた。
「…元宮、おまえ…他に進学したいところがあるのか?だから、入試の申し込みも延ばしていたのか?」
少々ムードが険悪な二人の間に、わざとやんわり担任が割り込んでくる。
「とにかく、言ってみろ。理由があって、大学進学を止めたいんだろう?」
理由がなかったら、こんなに悩んだりしなかった。
諦められないものがなければ、ただ流されて楽に生きる道を選んでいた。
そう、諦めることが出来ないもの。
見つけた、自分の夢へ続く道。

「……音楽関係の専門学校に…行きたいと思っています…」
顔を上げなかったから分からなかったけれど、その言葉を聞いた時、多分母は唖然としていたに違いない。


「音楽の専門学校?まさか、ミュージシャンとか目指すわけじゃないだろ?」
「違います。あの、マネージメントみたいな仕事の方で…」
ピアノさえも弾けない自分には、音楽に直接関わるのは無理だ。
それでも、たった一曲の出逢いが人を変えるような、そんな巡り会いの喜びや楽しさを、多くの人たちに知って欲しいから。
レコーディングに立ち会ったり、販売促進の企画営業etc…。
裏方ではあるけれど、そんな風に音楽をエスコートする立場にいたい。
「いくつか、学校は見繕ってあるんです。そういうマネージメントの専門科目を持った学校があって…」
虱潰しに、近場から探し尽くした。
生憎県内にはなかったけれど、隣の県になら専門学校があった。
家から通うとなると少し遠いが、通学出来ない距離でもないという、正直微妙なところ。

「ちょっと待ちなさい!」
やや強めの母の声に、あかねはびくっとして担任との会話を止めた。
「あんた、自分が何を言ってるのか分かってんの?音楽の勉強なんて、今まで全然やったこともないのに、モノになるわけじゃないでしょう!」
「だから学校に行って、ちゃんと勉強したいって言ってるんじゃない…」
「それは最初から、そういう道を考えている人が言うことよ!付け焼き刃のあんたなんて、無理に決まってるでしょ!」

悔しい。相手を黙らせるような、説得力のある答えが自分にはない。
未知の世界へ、これから踏み入れようとする手前では、強く断言出来る確信がどこにもない。
無力で、手に入れたものは何もなくて。
だけど…手に入れたいものが、確かにある。


「何で最初から、そう決めつけるのよっ!!」
「お、おい…元宮、落ち着けっ」
そんなこと言われたって、もう火がついてしまった。止められない。
慌てる担任を見ようともせずに、あかねは母に食って掛かった。
「私だってずっと考えてたのよ!どうした方が良いか悩んで悩んで…でも、諦められなかったんだもの!」
いつのまにか成績が上がって、それまで目指していたものが、手に届く位置に辿り着いた。
けれどもそれは、自分が本当に欲しかったものではなくて、宛てがないから取り敢えず定めていた目標。
「一から始めなきゃいけないのは、もう覚悟してるもの。難しいことだって分かってる。でも、本当に自分がやりたいことなんだって、分かったんだもの。」

天真の父に連れられて、現場の空気をこの目で確かめた。
音楽というメディアは大きくて、あかねが見たものはその一部に過ぎないだろう。
しかしそこで生きる人々が、真剣にひとつの音楽に向き合っている姿は、明らかにあかねが求めている世界に違いなかった。
「諦められません。私、大学じゃなく専門学校に行くつもりですっ…」
軌道修正は、もう出来ない。
そう簡単に変えられるような、思いじゃないから。


真剣に言い切ったあかねに、担任は複雑な表情で頭を掻く。
こんな成績で専門学校に変更なんて、正直勿体無すぎる。
けれども、ここまで真面目に進路変更を考えているのなら、それを考慮してやった方が良いのだろうか…難しい。

「デートしてるうちに、変なこと吹き込まれたんじゃないの…?」
ぽそっと小さな声でつぶやいた母に、あかねの瞳が向けられた。
「何言ってるのよ…」
「全く、どこの誰だか知らないけど…。大体、受験生を平気で連れ回してるんだから、そもそもそこから常識が……」
しらっと目をそらして言った母の前で、あかねが机をばん!と叩いた。

「何でそんな話になるのよ!将来を自分で選ぶんだって…ただ、そう言ってるだけじゃない!」
それなのに、どうして…矛先が彼に行くんだ。
「成績だって落ちてないし、テストだって上位保ってるじゃない!帰りだって…そんなに遅くならないように帰ってるし…」
本当はもう少し、といつも思う。
けれど、彼が遅くならないように気を遣ってくれるから、門限を超えたことは一度もない。

だが、母にとってはそんな過去など、今は関係がなかった。
「成績がいくら上がったって、それが通用しない進路じゃ、何にもならないじゃないのよ」
溜息をついて、母は頭を抱える。
成績に準じた大学に行くために、受験勉強を続けてきたというのに。
ここで進路を変えては意味がないだろう、という事だ。
「まったく…余計な知識を入れてくれて…」


「いい加減にしてよ!」
耐えかねたあかねが、椅子から立ち上がった。
「何も知らない人のこと、どうこう言わないでよっ!あの人は……っ…」

----------あの人は、私に一番大切なことを教えてくれた。
あの人と出会ったことで、自分の足で歩き出すことを知って。
そうして、本当に自分が生きたい場所を見つけられた。
感謝してもしきれないくらい、出逢えた運命に幸せを感じているのに。


「おい、元宮!どこに行くんだ!」
担任が呼び止める声も聞かず、あかねは二人から顔を逸らして教室を出ていく。
バタン!と投げやりな戸を閉める音が響くと、廊下が少しざわめいていた。

「……何考えてんの…あの子ったら…」
肩を落としてうつむく母を残し、彼女を追い掛けてゆくことも出来ない担任は、困ったようにその場に座り続けた。




-----THE END-----





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Megumi,Ka

suga