夜明け前には

 第3話
「男友達?すみにおけないね。」
携帯を握りしめたままのあかねに、友雅がそう言った。
「あー……そ、そういう間柄じゃないです☆ホント、ホントに単なる友達っていうか……まあ、幼なじみっていうか、そういう感じで……」
慌てふためきながらあかねは友雅に、天真との関係を説明した。
「そうやって慌ててごまかすと、余計にあやしいっていうものだけどね」
「違いますーーーーーーっ!」
無気になってあかねは手をばたつかせる。少し紅潮した彼女の頬を見ながら、ソファにもたれた友雅は笑った。
「何故そんなに無気になって否定するんだい?」
「えっ?…ご、誤解されたら困るから……」
「どうして誤解されたら困るのかな。私は彼のことは全く知らないし、これからだってつき合いがあるかどうか分からないほど、縁が遠い人間だろうに。そんな彼を私がどう思おうと、別に問題があるわけじゃないんじゃないかな」

確かにそれはそうだけれど。

「それとも、私に誤解されるのがイヤなのかな?」

彼の言葉の意味を理解しようと、ぽかんとしてあれこれ頭の中で言葉をかき混ぜているあかねに、友雅は少し近づいて頬に手を伸ばした。
「私に、他の男がいると思われたくない…って、いうことかな?」
「は、はぁ!?」
耳のすぐ側で囁くように言われた言葉に、思わずあかねは後ずさりした。
が、すぐ後ろは壁になっていて行き止まり。彼の顔は、目の前に近づく。

深い色を忍ばせた瞳が、吸い込まれそうなほどに澄んで見える。
「相手に特別な想いがあるほど、誤解されたくないって思うものだよ、恋っていうものは」

……恋………?言葉がぐるぐるとあかねの中で回る。
背後に手を伸ばすと、壁の感触がある。目の前を見ると、友雅の瞳がある。
彼の緩いウェーブの掛かった髪が、もう少しで頬をくすぐるほどの近い場所。
逃げられる場所がない。近づく彼を止められない。

「きゃーっ!きゃーっ!きゃーっ!」
小さく身体をこわばらせて、あかねはその場にうずくまった。
顔を手で隠しても、真っ赤になった頬は隠しきれなかったが。

ぽん、とあかねの肩に手が触れた。
「ごめんごめん。ちょっと悪戯が過ぎたかな?」
そっと目を開いて見上げると、友雅の笑顔が見える。
「未成年の女の子に手を出すほど、私は若くないよ」
そう言って彼はあかねのそばから少し距離を置いて腰を下ろした。
お互いの距離が一気に遠のいたのに、まだ鼓動は波打って平静を保てない。

「でも、今の君はとても良い表情をしてるね。」
髪をかきあげて、そう友雅は言った。
「君とはまだ二回しか会ってないけれど、この間よりもずっと良い顔をしてるよ」
彼はそう言って、立ち上がってギターのあるところへと移動した。
そしてさっきと同じように腕にそれを抱え、ぴんと張りつめた弦を指で奏でた。

「これが、初めて君に会ったときに感じた君の音。さっき二度目に会ったときに感じた君の音は…こんな感じかな。少し重かったね。でも、今の君から感じる音は……………」

音符がギターの音に乗せて耳に流れ込んでくる。早すぎないテンポ。
うるさくないメロディ。目を閉じて、鼓動がシンクロする自然なリズム。

「さて、どの音が一番気に入った?」
三つのメロディ。どれもこれも、あかね自身の心の音。いわば分身、精神がそのまま形になったもの。
「……最後の音」
あかねは素直に、そう答えた。
友雅は静かに笑顔を浮かべて、その音をもう一度奏でた。
明るい音だった。今までの音にない、ほがらかな春の陽気のように明るくて、爽やかな音。
「私も、良い音だと思うよ。好きだね」
あかねの心と友雅の指先とは、一心同体のようにつながっているように思える。
心を反応させて、その震動がそのまま彼の指先に伝わる。
そして音が生まれる。そんな感じだ。

「今までの中で、この音が一番良い。それだけ今の君の心がとても良い感じなんだろう。どうしてかな?」
どうしてだろう?
友雅と会うまでは、あんなに重苦しく思えたのに、今では心も軽い。
ぎこちない感情の変化もないし、身体中がとても軽やかだ。
「私と会うことが出来たから…と言ってはくれないのかな」
「はっ!?」
隙間を縫うように甘い言葉をかけてくる友雅の行動に、いちいちあかねは必要以上に敏感に反応してしまう。
だからかえって、友雅の方もからかわずにいられないのだ。
「運命でつながれた私たちだから、出会うたびにお互いの心が広くなる…って、そんな風に思わない?」
どうしてすらすらと、そんな甘美な言葉が思い浮かぶんだろうか。
そのたびにどきどきと鼓動が鳴り響いているのを、彼は知っているんだろうか。
あかねは少し熱を帯びた自分の頬を、手で隠した。

「まだ君には早すぎるかな、そんな話は」
今さっき自分で口にした言葉を流し去るようにして、友雅は少し目を伏せてから立ち上がった。
コーヒーメーカーのランプが消えて、抽出が終わったからだ。

ダイニングカウンターの向こうで、コーヒーをカップに注ぐ友雅の姿が見える。
白い湯気と強めのコーヒー豆の香りが、こちらにも漂ってきた。
あかねの手元には、真っ白なミルク。
この部屋の中の壁と同じ、無垢で純粋で、時に目に痛い。
……コーヒーじゃなくてミルクなんて、やっぱり子供扱いされてるんだなぁ、私。
心の中でひとりごとをつぶやいた。


「そろそろベッドに案内しようか」
いきなり友雅がそんなことを言ったので、あかねは今まで以上に飛び上がるほど驚いた。
「おいで。寝室はこっちだよ」
そう言って友雅は、あかねの手を引き上げようとした。が。
「い、いいですっ!わ、私、ここでいいですからっ!このソファで寝るから良いですーーーーーーっ!」
友雅の手をふりほどいて、あかねは顔を真っ赤にしてその場に座り込んだ。
そんな彼女を友雅は見下ろして言う。
「ベッドは君に明け渡して、私はこのソファで眠るつもりだったのだけど……そんなにソファで眠りたいのだったら、一緒にここで眠るかい?」
また、やられた…かわかわれた。
というか、自分が過剰に意識しすぎているんだ、とあかねは自覚した。
普通にしていればいいのに、余計なことばかり考えてしまって、まともに素直に感情を表現できなくなってるんだろう。

「それも心惹かれるけれど、君が落ち着いて眠れないだろうし。私は仕事の続きがあるからここで良いんだよ。君はゆっくりベッドを使いなさい。」
手のひらであかねの髪を軽くくしゃっと撫でて、友雅はそう言った。

■■■

クリーム色のベッドリネンにもぐりこんで目を閉じると、友雅の香りと思われるかすかな残り香があった。
さっき近づいたときに、ふと漂ったシトラス系の香りと同じだった。
素っ気なさは他の部屋と同じだが、この香りが感じられるだけでさほど心細さもないのは何故なんだろう。

暖かくて、やわらかい布団にくるまって耳を澄ますと、リビングからギターの音が聞こえてくる。

「あ、良いな……このメロディ………」
耳でメロディを追いながら、静まって行く心を解き放った頃には、あかねは眠りについていた。


今日のことを、ずっと瞼に描いてみた。
あかねと出会ったときのこと、彼女の驚いた顔、笑った顔、少しすねた顔。
それらを思い浮かべながら、ただ無造作に指で弦をはじく。

「いいかもしれないな」
友雅は年期の入ったカセットデッキの録音ボタンを押し、もう一度今奏でた音を繰り返してみた。




-----THE END-----




***********

Megumi,Ka

suga