さくさくと、歩くたびに草の折れる音がして、耳を澄ませば水の流れる音がする。
足元に気をつけるようにと、貸してもらった腕にしがみついて、稲穂が揺れるあぜ道を歩く。
「でも、まだ色が付いてないから、稲刈りはもっと先ですね」
頭を垂れる稲穂…という言葉が思い浮かぶほど、しっかりとふくらんだ穂が稲をおじぎさせている。
どこまで行っても、一面が緑。
稲や畑も、まだまだ緑が多い。
豊穣の秋が訪れるのは、まだ少し先になりそうだ。
「友雅さんは、よく散歩したりするんですか?」
「いや全然。だいたい家にいるのは夜だから、さすがに暗い田舎道を散歩なんて出来ないだろう?」
「そういえば、そうですねえ…」
だから、地理感覚があるのは、家の周りの狭い範囲のみ。
時々買い出しに出掛ける時、車で通りかかった景色を覚えるくらいだ。
「明け方に仕事を終えて帰って来たとき、寝る前に気分転換でふらっと…ね、そんな感じかな。」
「あ、朝のお散歩って気持ち良さそうですね!」
昼間でもこれだけ清々しい空気なのだから、明け方なら更にひんやりしていて、さぞかし爽快感もあるだろう。
「だったら、また泊まって行くかい?そうすれば、朝の散歩も出来るよ」
「そそそそそ、そんなことはっ!!」
声が思わず上擦るあかねを、笑いを堪えながら背中で受け止めつつ、友雅は先を歩き続けた。
何もめぼしいものはない。
大きな川でも近くにあれば、釣り人などもやって来るかもしれないが、それほどの川幅も無い。
ずっと一日中過ごすとしたら、さすがに退屈してしまうだろうが…そんなのは日曜日くらいだ。
その日曜日には、そばに彼女がいる。
「さ、手を貸してごらん、お姫様。足を怪我しないようにね。」
一歩先に進んで、振り向いて彼女の手を取って。
足元を確かめながら、ぎこちない足取りで川を渡り切る。
そんなのどかな散歩は、周辺をぐるりと回ってみた程度で、それほど時間も掛からず終わりを告げた。
ここにいると、時間の流れが分からなくなる。
ゆっくりなのか、それとも早く過ぎているのか。
時計を見ることさえ、すっかり忘れてしまっていて。
「え…もうこんな時間なんですね」
帰ってきて時計を見ると、もう5時になっていた。
真夏日が続いていた頃から比べれば、日が早く落ちるようになったのだろうが。
「そうだ、そろそろ夕飯の支度しなくちゃ!」
勝って知ったる何とやらな感じで、あかねは家の中に即座に上がった。
行く先は台所。冷蔵庫を開いて、さあ今夜はなにを使おうかと首をひねる。
「手伝おうか?」
「あ、大丈夫です!ちゃんと下ごしらえはしてあるんで、あまり時間掛からないで出来ますから。」
はい、と振り向いて手渡されたのは、キンキンと冷えたグラスに入った烏龍茶。
「しばらくお待ち下さいねー。」
そう言ってあかねは、さっそく夕飯の支度を始める。
やけに楽しそうに、たまにつま先でリズムなんか取りながら。
渡されたグラスを手に、友雅はソファに戻って夕飯が出来るのを待つ。
ここからだと真っ正面に台所が見えて、忙しく歩き回っているあかねの姿を捕らえることができる。
決して広いスペースではないのに、ちょこちょことよく動くものだと感心しながら、そんな彼女を見ているのが何となく楽しい。
さて、彼女がディナーを仕上げるまで、しばらく何をして時間をつぶそうか。
このまま、じっと眺めているのも良いのだが。
「ああ、そういえば……」
独り言のような声が聞こえて、あかねは料理の手を止めて振り返ると、友雅が丁度ソファから立ち上がったところだった。
「どうしたんですか?」
「ちょっと良いものがあるのを、今思い出したんだ。せっかくだから、君にも見せてあげるよ。」
友雅はそう言って、部屋を出て行った。
行く先は寝室か…奥にある納戸のような空き間だろうか。
…良いものって、なんだろ?
いろいろなことを想像しながら、あかねは再び料理を始めた。
料理が一通り出来上がった頃、友雅が居間へと戻って来た。
彼が手にしていたのは、薄いプラケースに入っただけの、数枚のロムだ。
「悪いけれど、これをレコーダーにセットしてくれるかな?」
「あ、は…はいっ!」
どうやらそのロムは、DVDだったようだ。
表面にマジックで手描きされていた文字は、日付と…何かタイトルのようなもの。
あかねは彼から受け取ったそれを、殆ど使われていないようなDVDレコーダーにセットした。
「これね、スタッフから貰ったDVD。録画しておいた番組らしいよ。」
「もしかして…友雅さんが出てるとかの映像ですかっ!?」
「まさか。私なんか若くもないし、表舞台に出たところで華もないよ。」
笑いながら彼は、手元にあるリモコンの再生ボタンを押した。
………そうかなあ?。
確かにカッコいい人はたくさんいるけど、別に若い人だけが素敵なわけじゃないだろうし。
ある程度大人の男性にも、素敵な人はいっぱいいると思うけどな…。
そういう友雅さんだって…かなり……………
彼の横顔をぼーっと見上げているうちに、テレビの画面に映像が映し出された。
賑やかなサウンドと共に、大きくロゴが飛び出してくる。
どうやらそれは、音楽番組のようだった。
だが、ゴールデンタイムに有名歌手がぞろぞろ出てくるような、誰でも知ってるメジャー番組ではなさそうな。
「…あ、これっ!」
テロップに映し出された出演者の名前は、殆ど知らないものばかりだったけれど、たった一つ見慣れた文字を見つけてあかねが指を指す。
「そろそろ彼らも、PRに力を入れる時期だからね。あちこちの番組に、少しずつ顔を出してるみたいだよ。」
友雅の隣で、あかねはじっと画面を凝視する。
テレビにちらりと映るのは、間違いなく自分の知っている顔。
赤い髪をバサッと立てた彼と…そしてメンバーたち。
"Red Butterfly"
番組のニューフェイスコーナーに、出演したときの映像らしい。
…………何か、すごく不思議な感じ。
あかねは映像を見ながら、漠然とそんな感触を得ていた。
彼とは何度も会った事もあるし、話した事もある。向こうも多分、自分のことを覚えているだろう。
それなのに、今映し出されている彼は、手の届かないテレビの向こうにいる。
イノリは司会者の質問や会話に、柔軟に受け答えては賑やかに笑っていた。
よく知っている人だったのに。
昨日、会ったばかりの人なのに…こうして画面を通して彼らを見ると、何となく遠い存在に思えて来る。
「しかし、彼は物怖じしない子だねえ。生放送だったらしいけど、あがって緊張している様子も無いし。」
いつもと変わらぬ彼を見ながら、友雅は笑いつつそう言った。
インディーズへのメディア協力も、完全に定着した現在の音楽業界。
大小の差はあっても、これまでインタビューや取材なども受けてきて、それなりに慣れも出来てきたのだろうが、メジャーデビューとなれば話は別だ。
それでも生粋の人当たりの良さというか、威勢の良さ、割り切りの早さみたいなものが功を奏しているのか。
自分たちの音楽への姿勢を、メディアを通してはっきり迷わず答えられるのは、なかなか見上げた根性だ。
「何かすごいなぁ…。私なんか、ホントに普通の高校生なのにな…」
ぽつり、とあかねのつぶやきが聞こえる。
友雅の隣で彼女は、頬杖を付いて画面の向こうのイノリを眺めていた。
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