Dreamin' Come True

 第4話
「どうかしたのかい?」
荷物を抱えた友雅は、玄関先でキョロキョロと、何かを探している彼女の前で立ち止まった。
「あのー…ここって、表札とか無いんですか?」
あかねはずっと、彼の名前の書いた表札を探していたのだ。
郵便や届け物を受け取るためにも、住人の表札は普通あって当然なのに、それがここにはない。
「別に新聞も取っていないし、郵便なんかを送ってくる相手も思い当たらないからね。必要ないんだよ。」
「ええ?でも、たまにはあるでしょう?」
「…私は一人暮らしだし、それに留守が多いから。必要なものは留め置きとかにして、あとから取りに行くようにしているんだ。」
友雅は荷物を持ったまま、先に上がって台所へと向かった。


バッグの中から取り出したタッパーが、テーブルの上に並べられる。
大・中・小、形も四角や丸や楕円形など…さまざま。
「凄い量だねえ。全部自分で作ったのかい?」
「もちろんですよ。二日がかりでの下ごしらえですよ。」
更に真空パックにも、タレに漬け込んだ肉のようなものも入っている。
「こっちが照り焼きチキンで、こっちがタンドリーチキンで、あとこっちはポテトサラダとマカロニサラダでー…」
楽しげな表情で、ひとつひとつをあかねは説明する。
料理の本とにらめっこしながら、がんばって作っていたのだろう。
「1〜2週間分くらいは用意しましたから。冷蔵庫に入れておくんで、ちゃんと食べてくださいね?」
「ふふっ…そうだね。しばらくは食事が楽しみだ。」
氷をいっぱいに積んだグラスに、グレープフルーツジュースを注ぎながら、友雅はそう答えた。


張り切って作りすぎたらしく、持ってきたタッパーを全て冷蔵庫に入れるのは、ちょっと無理がありそうで。
透き間をぴっちりと並べて押し込んだが、二つくらいは大きさがネックだ。
「おまたせしましたー。こっちがサーモンのカルパッチョで、これは蒸し鶏のオーロラソース炒めです!」
少し量を減らそうと、さっそくあかねはいくつかの料理を盛りつけて、居間で待つ友雅の前に持ってきた。

スライスしたバゲット、冷たいドリンク、手作りのオードブルが並ぶ。
「はい、どうぞ。バゲットにポテトサラダと、このクリームチーズソースを掛けると美味しいんですよ。」
目の前でぱぱっとオープンサンドを作ると、あかねはそれを友雅に手渡した。
「何か、新婚生活みたいだねえ」
「えっ!?」
くすくす笑いながらサンドを受け取ると、ドキッとして顔を赤らめる彼女を友雅は見る。
「大学を受けないんだったら、いっそのこと永久就職でもしてみるかい?」
「なっ…何言ってるんですかっ…」
「料理も上手だし、いいお嫁さんになれるよ?」
急に思いもよらないことを言われて、あかねの顔はどんどん赤くなっていく。

「その方が、きっと君には良いと思うよ。面倒なところに足を踏み入れるくらいなら、よっぽど……」
自分が今、身を浸している世界で、傷ついて悔し涙をこぼすくらいなら。


「……なんてね。ごめん。」
バゲットを一旦プレートの上に置いて、友雅はソファに背を預ける。
「昨日は…今みたいなことを言って、多分がっかりさせてしまっただろうね、悪かった。」
「いえ、別にそんなことは全然…」
やっと見つけた自身の未来に、意気揚々として理想を描いていたんだろう。
もちろん、理想がすべて現実になるなんて思わないだろうが、それでも目標に向けて歩き出す決心はあったはず。
なのにそれを口にしたとたん、現場の人間である自分から、拒否されたような事を言われて。
「あんなことを言ったけれど、決して悪いことばかりじゃないんだよ。たまには、良い事も起こったりする。」
ただし、マイナスとプラスとの差は、不平等なほどに大差があるが。

「でも…悪い事があるから、良い事に気付くのかもしれないし…。」
あかねがそう答えると、彼は微笑みながらこちらを眺めた。
「前向きだね。そう…君は、そういう風に考えられる人なんだよね。」
手に持つグラスを軽く揺らして、彼は氷の音を奏でる。
冷たくなった代わりに、少し味の薄まったグレープフルーツジュースで、乾きかけた喉を潤した。

「反対はしないよ。君が自分で、覚悟の上で選んだ夢なんだろう?」
悩みながら、迷いながら、ようやく辿り着いた彼女の夢。
生きる世界は同じであっても、同じ事を経験しても、それを吉と捕らえるか凶と見るかは、その人次第。
凶でさえ、打ち砕く力を持つ者だっているのだ。
そしてそんな人は、プラス・マイナスを逆転させてしまうことだって、出来る。
「この世界がどんなものであっても、挑戦しようと決めたんだろうし。その意思は、あやふやなものじゃないって、君の言葉を聞いていると確信出来る。」

本当は、やっぱり君には業界に染まって欲しくないけれど…と、友雅は言いかけて、そして首を横に振る。
「君は前を向いて行ける。そんな力を持っていると思うから、私は止めないよ。踏み出してご覧。」
「…友雅さん…」

これまで数えきれないくらい、"商業"という名の音楽を作り上げて生きて来て、そのたびにどこか空虚な気分に陥って。
ひとつのプロジェクトが終われば、気が向くまでオファーにも答えずに、ふらふらと足の付かない日々を送った。
達成感も満足感も、すべてを満たすほどにはならなかった。
そして、しばらくして気まぐれに仕事を引き受け、契約とともに十分なほどの収入を得る…ずっとその繰り返し。
そのうち、義務的な直感ばかりが働いて、本当のインスピレーションがひらめきにくくなっていた。
心の底から自分の音を求めてくれる人が現れる、その時までは。

出会って、音によって互いはたぐり寄せられて、自然と距離は近付いて。
無意識のうちに、そばにいる。
選んだ答えは、いつも二人の距離を狭めて行くばかり。

「私たちみたいな出会いが、もっと増えて行くと良いね。」
本物の自分の音を感じてくれる、そんなオーディエンスとの出会いを、ミュージシャンは誰でも夢見ている。
まるで赤い糸みたいに、引き寄せてくる出会いを、いつでも。
有り得っこない、そんなこと…と、去年の自分なら思っていたけれど、今はそうじゃない。
「君なら出来るよ。経験者なのだからね。」
二人がこうして、今一緒にいることが真実。
響く音は、心の奥底まで振動して、互いの何かを変えて行く。

口には出さなかったけれど、どこかできっと期待しているのだ。
巡り巡って、二人が同じ場所に立つ時がくるのではないかと。
音楽というものに囲まれた世界で、いつしか向き合ってひとつのものを作る日がいつか……やって来るかもしれないと。


「御両親には、話したのかい?」
あかねは首を左右に振った。
「言い出し難くって…。成績が上がってたから余計に…」
それに、音楽業界の仕事をしたいなんて言ったら、速攻ではね除けられそうだから、それが恐い。
自分にとっては真剣に考えて出した答えでも、両親には子供の理想論に過ぎないと思われそうで。

「まずは、それが第一歩かな。真面目に考えているって分かってもらえるよう、焦って説得しない方が良いかもしれないね。」
ただでさえ母との間はギクシャクしてて、更にこんな展開じゃ話も切り出し難い。
はあ…とあかねは溜息をつくと、友雅の手がふわりと頭へ伸びて来た。
「自信を持ちなさい。大丈夫だから。」
その手は優しくあかねの髪を撫でる。愛おしげに何度も。

「何か、友雅さんにそう言ってもらえると…大丈夫な感じに思えてきました」
我ながら単純だな、と思いながらあかねは笑う。
他の誰でもなく、唯一共通した記憶を感じ合っているから、そんな彼に励まされる言葉は勇気になる。
まるで彼の奏でる音みたいに。
あの日まで…立ち往生していた自分を、引っ張り上げてくれた彼のつま弾くメロディーみたいに。
「…根気強く、粘って説得してみます。諦めたくないし。」
見つけた夢への道を、失いたくない。

顔を上げて笑うあかねの頭を、友雅はずっと静かに撫でていた。




-----THE END-----



***********

Megumi,Ka

suga