Dreamin' Come True

 第1話
互いの唇が離れたあと、友雅に抱きしめられるがまま、あかねは彼の胸に顔をうずめていた。
耳を遮るかのように押し当てられる腕が、外からの音を全てシャットアウトして、感じるのはぬくもりと…静かな鼓動だけ。
うっすらと鼻をくすぐるのは、ライムの香り。
彼の…友雅の香りとして覚えている、爽やかで、どことなく深い香りだ。

心地良い暖かさと、守られているような安心感。
言葉なんていらなくて、このままずっと…包まれていられたら良いのに。
……互いに、そんな風に同じような想いを秘めながら、抱きしめ合う。

そんな夢見心地を引き裂くかのように、眼下の交差点に響くクラクションや、閉店を知らせるシャッターを下ろす音。
問答無用に、現実へと連れ戻される。
「…ゆっくり出来る時間じゃなかったね。急いで出ようか。」
開けっ放しの助手席のドアのノブを取り、友雅はあかねを中へと招き入れる。
このパーキングも午後10時には閉まる。あと1時間もない。
そもそも、そんな時間まで高校生の彼女を連れ歩くのは…さすがにまずいのではないかと、改めて気付いた。

でも、抱きしめてしまったら…離したくなくなって。
月並みな言葉だけれど、このまま時が止まれば良いのに----と真剣に思った。
出来るはずも無いことを、本気で思った。
夜が明ければ、また会えるのだと分かっていながら、このままいられたらいいと。
このまま-----------。

エンジンを掛けて、車体が少し震える。
同時にステレオから流れる、ジャズピアノ。
ヘッドライトが、駐車場の無機質なコンクリートを照らす。

…何を考えてるんだろうな、私は。
ハンドルを握る自分には、このまま彼女の家路へ向かわずに、行き先を変えることも出来る。
だとしたら、どこへ行く?
理由も予定も思い付かないのに、そんな考えだけが浮かんで来る。
…明日、また会えるじゃないか。今夜別れても、また明日があるのだ。
離れるのを、そんなに惜しまなくても良いはずなのに。

…………惜しむ?別れを?

「友雅さん…?」
助手席のあかねが、不思議そうな顔をして覗き込む。
エンジンが掛かったまま、ハンドルを握ってぼんやりとしている友雅を、どうしたのかと怪訝な目で見ていた。
「ああ、ごめん。ちょっとぼうっとしてたね。」
「疲れてるんじゃないですか?お仕事大変そうだったし…。」
「いや…今はそうでもないよ。新しい仕事への準備段階だから、作業中よりはずっと気楽だ。」
アクセルをゆっくりと踏み込んで、案内板に沿って車は地上へと下りて行く。
やがて、街に浮かぶネオンが見えて来た。
まだまだ人の足は途絶えない。車の行き来も同じだ。

「じゃ、明日は食べごたえのあるもの、作りますね。元気になりそうなもの!」
「ふふ…そういう話を聞くと、ますます明日が楽しみになるよ、」
夜も更けて、少し肌寒くなってきているのに、隣にいる彼女の笑顔は日だまりのように明るい。
ひっそりと路地裏に隠れていても、その光はそっと優しく照らしてくれる。
だから、別れたくなくなるのか…。
この暖かさに、少しでも長く浸っていたいと思うから。




いつものように、彼女の家から数メートルの角で車を停める。
街灯がぽつりぽつりと、距離を置いて舗道を照らしていく中、あかねは車から外へ降り立った。
「それじゃ、また明日…」
「荷物が多くて大変だったら、もっと近くまで迎えに来てあげるよ、その時は、携帯に連絡してくれるかい?」
「分かりました!じゃあ、これから急いで帰って、また下ごしらえ頑張ります!」
意気揚々と答えるあかねに、寝坊だけはしないようにと友雅は笑って言う。
少しずつ今日が終わりに近付いて、静寂の時間がやってくる。
名残惜しいという思いを振り切って、明日という新しい未来を期待しながら別れを決意する。

「じゃあ、また…あと10時間後くらいにね。」
「はい!お休みなさい!」
ぺこりと頭を一度下げ、あかねは朗らかな笑顔のまま、手を振りつつ車から離れていく。
遠くには、小さな玄関の明かりが見える。そこに向かって、彼女は戻っていく。
どんどんと、距離が広がり、いつしか姿も見えなくなる。

『どうせ経験するなら、一番やりたい業界で、自分が本気になれることで、その壁に挑戦したい。』

真っ直ぐな瞳をして、はっきりと答えた強い言葉を思い出す。
例えそれが、困難な道のりであったとしても…逃げずに君は踏み出して行くのか。
どんなに私が警告したとしても、心が求める本当の夢の居場所へ。
目を逸らしたくなるほど不条理なものに溢れ、希望さえ踏みにじられる世界へと、それでも君は……。

近くの家の庭先に、ひまわりの花が咲いている。
少し遅咲きのその花も、やや首をうなだれかけ始めていた。

けれど、君はずっと太陽を追いかけている。
天上の日差しを求めて、いつも前を向いて、手を伸ばして。
それが---私にはとても眩しいんだ。
君の方が、私なんかよりもずっと強くて、逞しいのかもしれないね。

そろそろ、家に戻ろう。
寝坊をしないように、と彼女に言っておきながら、こちらが寝過ごしたりしたら大変だから。


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壁に掛けられた振り子時計が、午後11時を差していた。
夕食のあとで風呂に入り、気分良く冷えたビールを楽しんだ森村だったが、時計を見てあかねの事を思い出した。

リビングに行くと、天真はBSのスポーツ中継を見ていて、蘭はビーズで何かアクセサリーを作っている。
「天真…ああ、いや蘭の方が良いかな、女の子同士だから。」
同級生の天真に頼もうとしたが、やはりこういう事には同じ年頃の同性の方が、話をしやすいかもしれない。
「なあに?お父さん」
「あのな、悪いがちょっと…あかねちゃんに電話をしてみてくれないか?」
「こんな時間に何で?お父さん、今日はあかねちゃんと一緒だったんでしょう?」
仕事場の見学に連れて行くと言っていたし、帰りも家まで送って行ったのかと思っていた。
なのに今になって、言い忘れたことでもあったのだろうか。
それなら自分から電話してみれば良いのに。
時間が遅いなら、明日でも良いんじゃないかと思うが。

「いや、実は送っていこうとした時、お友達からメールが入ったらしくてね。待ち合わせしてるからって、途中で下りたんだよ。」
父の言葉を聞いた天真が、テレビから離れてくるりと振り向いた。
「お友達の誘いなら仕方ないけれど、週末の夜は物騒だからね。あまり遅くまで出歩いていると、あちらの御両親も心配するだろう?だから、家に戻っているかどうか…蘭、聞いてみてくれないか?」
そう森村が言うと、蘭と天真は同時にはあ…と溜息を着いた。

「お父さん、それって野暮よ〜?」
「親父、空気読めよ、空気をさぁー」
普段は平気で取っ組み合いをするくせに、こういう時は妙に息の合う二人だ。


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Megumi,Ka

suga