小さな頃から

 第4話
あかねは10分ほど歩き回って、この間彼を見つけた場所にたどり着いた。
しかしそこには誰もいない。彼は、そこにはいなかった。

「今日は来ていないのかな………」

あかねは暗闇に向かって独り言をつぶやいた。そういえばあのとき『来週に』と言ったくせに、あれから二週間も過ぎているし、彼にも都合があるだろう。
単なる通りすがりの女子高生を一人相手にして、いつもスケジュールを組み直すことなんてしないだろうし。

「もう逢えないのかなぁ……聞きたかったな、もう一度あの音……」
都会では一度通り過ぎてしまえば、次に同じ人と出会えるなんてことは奇跡に近い。顔と名前しか知らない、殆ど見ず知らずと言って良いほどの、ほんの一時間くらいを一度だけ一緒に過ごしただけの人を捜し出すなんて、それこそ運命の相手でもないと無理に決まってる。
諦めるしかないか、とあかねは思った。
そしてバス停の方へ向かおうと、裏路地を抜けて向かい側のビルの方へ渡った。

■■■

バスがやってくるまで、あと15分くらい。雲行きはあやしくなってきている。
どうにか家に着くまで持ってくれるといいのだけれど…と、あかねは空の天気を気にした。

「でも、きっと今の私の音なんて、こないだの音よりもずっと淀んでるんだろうなあ…」
待ち時間の間、一生懸命この前聞いた音を思い出す。自分の心を写し取ったような音。もう一度聞きたかったのだけれど、今ではあんな綺麗な音は聞けないかもしれない。


--------------------シャン。
あかねの背中に、何かが走り抜けた。
今の音は?即座に後ろを振り向いた。
ビルの奥から聞こえてくる。これはギターの音。もしかして、もしかしたら------------------。

あかねは小さな明かりめがけて走っていった。
間違いない、あの音を聞き間違えたりしない。

■■■

近付いてくる足音。早いテンポを続けながら、自分のところに近付いてくる。
ギターをつまびく手は止めなかったが、真正面に人の影を感じたとき、友雅は顔を上げて彼女を見た。

「……驚いたね。こんなところでまた会うとは思わなかったよ」
そこで音をつむいでいたのは、紛れもなく彼だった。あかねを瞳で捕らえた彼は、笑顔を浮かべて見つめ返す。
「もう、逢えないのかと思った……」
妙な安堵感を覚えて、あかねはため息まじりにつぶやく。
「そういう言葉は、何だかとても色気があるね。まるで愛しい恋人にやっと巡り会うことが出来たような、そんなシチュエーションに似合う言葉だ」
「こ、恋人っ!?」
動揺した表情をしたあかねを、友雅は笑いながらなにも言わずに眺めている。
「お、お兄さん…か、からかってるんでしょっ」
そう言って交わそうとしたのだけれど、暗闇でも分かるように染まったあかねの頬が、平然とした調子を整えられない。そんなあかねを構わずに友雅は言葉を続ける。
「まんざらでもないんじゃないかい?彼氏とかはいるの?」
「そ、そんなこと関係ないじゃないですかーっ!」
照れくささと強い口調で、ますますあかねの顔は赤くなる。

「まあ落ち着いて。隣にでも腰掛けたらどうだい?。どうせ他に客なんていないんだから」
「でも、もしかしたら新しいお客さんが、来るかもしれないじゃないですか」
「いいから。そうしたら場所を移動しよう。一緒にね」
そんなことを間近で言われたら、余計に隣になど腰を下ろせなくなる。
でも、このままここで立ち往生しているわけにも行かないし…結局あかねは友雅の隣に座った。

■■■

「さっき、以前にお兄さんがいたところに行ったんですよ」
ギターの弦を撫でる友雅の指を眺めながら、あかねがつぶやく。
「ああ、そうだったのか。悪かったね、突然場所移動してしまって」
「そうですよ。またあそこに行けば逢えるかなと思ったのに。いないから、もう逢えないのかと本当に思っちゃいましたよ」
「……そうか。でも、今、君はここにいるわけだ」
友雅が指の動きを止めて、あかねの方を覗き込むように振り向いた。
思わず、どきりとするくらいの深い色をした瞳に、息を飲み込む。

「…諦めて帰ろうと思って、そこのバス停でバスを待ってたら…ここからギターの音が聞こえたから…」
「よく分かったね、私の音だと」
間違えない。絶対的な、不思議なほどの確信があかねにはあったから。
一度聞いたら、もう忘れたりしない。同じ音など、もう一生巡り会えないとまで言える。
絶対音感とか、そんな専門的な力などないけれど、でも友雅の音だけはそんな自信があかねにはあった。
「絶対、お兄さんの音だと思ったんです」
はっきりとあかねは告げた。
「………場所も移動して、どこに行ったのか分からないのに、こうして君は私と再会出来たわけだ。」
「すごい偶然……ですよね」
「偶然、か。『運命』とは言わない?」
艶やかな笑顔が、あかねの神経を少しずつ麻痺させる。

「毎週、私を捜しに来ていたのかい?」
「え?ううん…来週また、って言ったけど、先週は用事があったから…だから今日が二回目…」
そう言うと、友雅は少し声を出して笑った。

「教えようか、私があれからこっちにやって来たのは、今日が初めてだ。つまり、君が今日じゃなくて先週ここに来ていたら、すれ違いになって会うことがなかったってことだよ」
友雅に説明されると、あかねは少し唖然とした。
偶然というには、あまりにぴったり呼吸が合いすぎなんじゃないのか、と、少しだけ思ったりした。
「もう一つ。私はね、そろそろ帰ろうかと思っていた所だったんだ。空の方もうさんくさい色になってきてたし、客足も全くなかったしね。午後9時をまわったら、ここを出ていこうかと考えていたんだ。そうしたら9時5分前に、君がここにやって来た。ね?偶然っていうよりも、『運命』と言った方が素敵だと思わないかい?」
一瞬のすれ違いがあったら、出会うことはなかった。
会いに来たのに、逢えずにそのまま終わっていたのかも知れない。
繰り返された幾重にも渡る偶然の結果のあとに、この時間にお互いたどり着いた。

「『運命』…ですか」
「そう。私と君とは出会う運命だと、ね。そういう夢物語が、君くらいの年頃の子は好きなんじゃないのかい?」
確かに、嫌いじゃない。
現実的に恋愛を捕らえる同級生たちも多いけれど、誰でも少なからずそんな出逢いをどこかで夢見たりしている。あかねだって例外じゃない。
友雅は再び指でギターを語らせ始めた。

「それにね、白状してしまうと…さっき君のことを、ふと思い出したりしていたんだよ」
とくん、と鼓動が揺れる。
友雅の言葉に、あかねの心音が熱く揺れ始める。
「あの時に奏でた君の心の音を、もう一度聞いてみたいと思ったりしたんだ。そしたらそこに、君が現れた。」
「……嘘でしょう…」
「おとぎ話を真剣に語るほど、私は幼くはないさ。だったら『運命の出逢い』を信じた方が素敵だろう?」
「どっちもどっちだと思うけど………」
そう言いながら、あかねは笑った。確かに、その方が素敵かもしれない。
「せっかく出会うことが出来たんだ。この時間を楽しもうじゃないか」
「…そっかも」
開き直ったら、何だか気持ちが明るくなった。

街をうろついてた時の、重苦しい感情も少しずつ消えて行く。
触れあう隣の肩のぬくもりと、友雅の奏でて行くメロディーに耳を傾けていると、次第に瞼が重くなって心音と呼吸を整えていった。

このまま、ここで眠ってしまえたらいい…………。
と思ったとき、あかねの頬に冷たい雨のひとしずくが落ちてきた。





-----THE END-----



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Megumi,Ka

suga