小さな頃から

 第3話
写真に目を向けてみる。まだ年端もいかない少年…と言えるくらいの風貌の男が数人楽器を片手にファインダーをにらむようなかっこうで映っている。
下手すれば友雅の半分にも満たないくらいの年なんじゃないだろうか。

「困ったもんだ…こんな子供達のイメージを、どう作ればいいっていうんだろうねぇ…」
夕べから、実は一睡もしていない。ギターを持ったまま、ソファに寝転がって何度か弦をつまびいたりしていたのだけれど、楽譜には全くメロディーが記されていない。

日が昇ってから、すでに15回目のため息。さっき入れたばかりのコーヒーも、すでに煮詰まってしまっている。
眠いわけではない。ただ、指が動いてくれない。たとえ動いたとしても、友雅の納得するような音が生まれてこないのだ。
スランプ、とは一風違う。いつもこんな調子で仕事をこなしているので、まあしばらくすれば吹っ切れて頭を冴えてくるだろう。

「気分転換でもするか」

友雅は立ち上がって、少し濃いめのブラックコーヒーをポットから注いで口の中をリフレッシュした。
そしてもう一度ギターを手にして、目を閉じたまま指を自由に動かしてみた。
好き勝手に、自分の思うままに弦をつまびこうと思う。
ピュアな気持ちを持って、自分の好きな音を探してみる。

………私の好きな音は、どんな音だ?
……こんな音じゃなくて、もっと勢いのある音。
いや、もっと、透き通った音だ。それでいてはりがあって、高くもなく低くもなく、身体の芯に響くような音が良い………。
メジャーコード、マイナーコード、テンポもまるっきりいい加減に奏でてみる。好きな音を試行錯誤する。

約10分くらい、その時間は続いた。

「もうちょっと、気分転換が必要みたいだな」
友雅は長い髪を無造作に束ねて、独り言をつぶやいた。
取り敢えず、少し休もうと思った。腕にしみついたギターの重みを手放して、友雅は隣の寝室へと向かった。

■■■

今日も天真はコーラス部にかり出されている。
しかも土曜日である今日は、目の前に迫ったコンクールのリハーサルを兼ねているので、徹底的に天真は拘束されてしまうのが目に見えていた。
仕方なく、あかねは今日は一人で帰ることにした。
とは言っても、直行で自宅に帰るわけではない。家とは逆方向のバスに乗って、進学塾へ行かなくてはならない。それを考えると憂鬱になった。

どうせ頑張ったところで、成績なんてこれ以上は上がらないんじゃないのかな…。

ずっと足踏み状態の成績の推移を見ると、努力することに気力が入らなくなる。それでも、やらなかったら後悔するかもしれない。
気が重いのに、バスはやってくる。そして先週と同じように、同じ方向へ向かう。
何人かが同じところで下車する。隣町の学校の制服、あかねと同じように進学するための受講生だろうか。
塾では顔見知りはいるけれど、仲の良い人はいない。
何故ならすべてが競争だからだ。全員が敵になっている、ぎすぎすした空気がここにはある。
そんなところが嫌なのかもしれない。他人を敵に回して、自分が笑うために他人を蹴り落としてまで、成功したいと思うんだろうか。

あかねは、心底そんなことは嫌だと思った。そう考えると、ドアから先に足が進めなくなった。

どうしよう。行きたくない。このままいつものように受講したら、また気分が圧迫されそうだ。

と、あかねは無意識のうちに後ずさりした。そして後ろを振り向いて、塾の建物に逆らって逆に歩き出した。

ダメだ、こんなところにいたら、私までがダメになる。
そんな恐怖感が沸き上がった。サボってしまえ、と内側から自分の声がする。その声にあかねは逆らえなかった。
足はどんどんと塾から遠のいて行き、学生たちの波に逆らって歩いた。
どこに行くのかも決めていない。それはまるで、あかねのこれからの生き方と同じように不透明な道が前に続いているだけで、ただ自分の意志に任せて歩き続けるしか今は出来なかった。

■■■

空は薄暗い雲に覆われているが、土曜の夜はまだ街の灯りを眠らせてはくれない。
時間が経つにつれて、どんどん賑わい出す人混みの音が友雅の部屋の中にまで聞こえてきている。

留守番電話のランプが点滅している。FAX用紙も長く床に垂れ下がっている。
友雅はそれらを無視して、新しいシャツに袖を通した。櫛を通さずともなめらかにカーブを描く長い髪をゆるめにまとめて、冷め切っていたコーヒーカップの残りを飲み干した。
ブラインドの向こうに、街の灯りが見える。午後8時を回っていた。

「……出掛けてみるか」

音を立てて、ブラインドが下りる。そしてギターを抱き上げる。
ふらりと、あてもない友雅の音楽生活がまた始まった。

■■■

午後8時を過ぎている。いいかげんに時間を潰すのも飽きてきた。というか、もう頭が回らない。
本屋での立ち読みを何件かはしごして、そのたびに何件かのファーストフードショップに立ち寄って、お腹もすいていないのに飲み物だけで時間が流れるのを待って…その繰り返しを続けている。

もう何件目のファーストフードだろう。どこでも味は同じで代わり映えしない。
そろそろ本屋も店を閉める時間だ。でも、塾が終わるのは午後9時過ぎ。こんな時間に家に帰ったら、サボったことがばれてしまう。
そんなことを考えているうちに、シェイクのカップは空になった。
制服で街を歩き回る時間ではなくなっている。せめて友達でも一緒だったら、カラオケボックスなどで2〜3時間くらいは過ごせるのだけれど、一人じゃどうにもならない。

どうしよう………とにかく、このままここにいるわけにも行かない。
あかねはダストボックスにカップを放り込んで、クラクションが鳴る舗道へと歩きだした。

■■■

客足は、全く見かけられない。そりゃあそうだ、こんな裏路地のすみっこで男が一人でギターを奏でていたって、気付く者などいないに等しい。
それでも別に、友雅は文句も何もない。小銭稼ぎでここにいるわけでもないし、マスコミに認めて貰おうという熱い思いもない。
ただ、自分の好きな音を探すために、ここにいるだけだ。

誰かが気付いて立ち止まれば、その人の音を探して奏でてみる。そのうちに色々な人たちの音を見つけられるようになり、そこから好きな音が少なからず見つかる。いわば、アイデアを産むための気分転換の場所という意味での行動である。
薄暗い街灯の明かりだけで、ギターの弦を動かしてみる。
どこからか元気な少年たちの演奏と歌声が聞こえてくるが、別にそれも気にならない。今夜はどんな音を見つけることが出来るだろうか。

………そういえば、この間出会った少女はどうしているだろう。あれから、自分を見つけに何度かこの辺にやってきただろうか。
彼女の音は、素直でとてもいい音をしていた。思い出せないけれど、ギターの弦が綺麗な音を奏でたことだけはしっかりと覚えている。

また逢えるとしたら、是非そのメロディーを書き留めておきたいものだ、と友雅は思った。
それは商業的な意味ではなく、友雅という音楽を愛する人間が素直に思った気持ちだった。

■■■

タンバリンの音、ギターの音、そして歌声と笑い声。街路樹の近くでは、何組かのストリートミュージシャンたちが客を交えて楽しそうにステージを盛り上げている。
あんな風に楽しそうなのは、きっと彼らが大きな夢を持って生きているからなんだろう。それが叶わないかもしれない巨大なものでも、それを抱いて生きている者は輝き続ける。

そんなものさえ何もない自分は、わずかな光さえもないのだろう。そう思ったら寂しくなってきた。
誰かに、自分の寂しさを分かって欲しいと思った。
言葉を使わなくても分かってくれるような、以心伝心できる相手が欲しい。でも、そんな相手なんているはずが………。


もしかしたら、彼はあそこにいるだろうか?
彼だったら、分かってくれるかもしれない。あのギターから流れる音で、自分の心を静めてくれるかもしれない。
あかねはひとつの記憶を頼りにして、あの場所へと向かった。

***********

Megumi,Ka

suga