静かな日々の階段を

 第3話
一本線の音。
ゆっくりと尾を引くメロディーの後を追いかけるように、いくつかの和音が通り過ぎて行く。
澄んだ音が、空気に溶けて響き出す。
ギターとはこんな音をしていただろうか?
CDやライブなどで、同じようなギターの音は日常的に流れ続けているはずなのに、こんなギターの音は聞いたことがなかった。
そう、さっきの一瞬の音と同じだった。あかねの神経が揺れる。そのギターの音と重なり合おうとして、小刻みなビブラートを始める。


この人は一体、何なんだろう……?
何でもないようにギターを奏でているけれど、素人のあかねにさえ、彼のつまびくギターの音が、その辺に散らかっているようなサウンドとは違うことを確認できた。

懐かしい音の震動。少し重い感じのメロディー。
たった一本のギターから、こんなたくさんの繊細な音が出るなんて、今まで知らなかった。

「いかがかな?自分の音のご感想は?」
あっけに取られたように、ギターを見つめて黙っているあかねに、彼は優しい笑顔を込めて声をかけた。

「お兄さん…何者?」
上目遣いで、彼を見上げる。
「ギター弾きだよ、ただの」
「嘘…普通じゃない、そんなギターの腕…。あたし、こんな音なんて聞いたことなかった…」
張りつめた弦に視線を感じると、彼の指が再びギターからメロディーを生み出す。
「普通じゃないって?どういう風に?君は…楽器や音楽の専門?」
「え、そんなんじゃないけど…」
「じゃあ、どうして普通じゃないって?どんなところが、私の音が違うって言うのか教えて貰えないかい?」
答えに詰まってしまった。
どんなところが…と言われても、これは言葉では表現できないんじゃないだろうか。

「何て言うか…あのー…身体の芯にじわじわーって…、そんな音…」
形容詞が見つからなくて、イメージした擬音を混ぜた表現しか言えなかった。そんなあかねの言葉に、彼は軽く声をあげて笑った。
「面白い表現だね。この音が、君の身体にじわじわーって伝わったって…そういうこと?」
「……そう……」

■■■

薄暗い路地の間から流れるギターの音は、夜の闇に優しかった。
静かにその音は人々の心の深い部分を静寂に導き、そしてその中にある本人の『真実』に触れる。

「君がじわじわーってするのは、当然だよ。だってこの音は、他の誰でもない、君の心を表した音だからね。本人に浸透しなくちゃ困る」
私の音。私だけの音。シンクロしている共鳴音。でも、どこか重い音。
「君の音に間違いないはずだ。元気で素直で、可愛らしい君にぴったりだろう?」
ぽっ、と顔が暖かくなった。
滑らかな瞳の視線に、体温が少し上気してくる。

「愛らしくて、真っ直ぐで………でも、ちょっと今、自分の未来にとまどいを覚えている。そんな感じが、少しメロディーを重くさせているのかな?」
照れて暖かくなった頬の動悸が、ぴたっと止んだ。そして、大きくひとつ動悸が鳴った。

「そうだねぇ…例えて言うなら…ジレンマ?それか、スランプ?そんな重い感じだね。それさえなかったら、もっと軽くて明るい音になるんだろうけど」

彼は……私の現在を知っている。何故?
受験への不安、努力が結果につながらない不満、困惑、悩み……初対面なのに、どうして…。
確かに彼は、私をイメージする音を奏でると言った。でも、初めて逢ったのに…。
あかねは彼の存在が、とても不思議なものに思えた。
間違いなく寸分違わず、自分のイメージを明らかに捕らえてしまっている彼の正体…一体彼は誰なんだろう?

「お兄さん…占い師とかやってるの?」
「いや?」
「それじゃ…カウンセリングとか?」
「ふふ、何故そんなことを?」
「だって…初めて逢ったのに…ぴったりあたしの事を読んでる」
彼は目を伏せて、微笑んだ。相変わらずその手からは、メロディーが流れ続ける。
「何となく…君のことは直感が驚くくらい働いたんだよ。何故だろうね?私にもそれは分からないけれど、君が全身から発しているシグナルがね、全部はっきりと読みとれたのさ」

人は、この状況と何と表現するだろう?
夢物語を語っている、非現実な会話だと笑うだろうか。
もしかしたら自分が傍観者であったとしたら、そう言って嘲笑するかもしれない。

だけど。

今のあかねには、非現実とは言えなかった。彼のメロディーは、自分の心音のリズムのように、あかね自身にぴったりと重なり合う音だったから。
そして、赤の他人で初対面の見ず知らずの彼が、その音を作り出したことが現実であること。

■■■

コツコツ……いくつかの足音が、遠くからどんどん近づいてくる。
「やれやれ。君と二人の演奏会も、これでお開きのようだ」
彼はギターを鳴らす指を止めて、そこから立ち上がった。どうやらさっきから流れている彼のメロディーに気づいて、視聴者が集まってきたようだ。

「え?お兄さん、お客さんが来たんじゃないの?どこに行くの?」
「私は、聞かせたい人にだけ、聞かせるタイプなんだよ。お客さんを集めるのが目的で演奏しているわけじゃないのさ。だから、お邪魔虫がやってくるのなら、ここでステージは幕ってことさ」
「お邪魔虫…」
「そう。今夜のオーディエンスは、君だけで良かった。他のお客さんはいらないからね」

ストリートミュージシャンなんて、嘘だ。
このギターの腕だけで十分分かるけれど、多くの客の前で演奏することが、路上のアーティストの基本思念なのに、それを全く意識していない。
一体彼は……

「お、お兄さん…いつもここにいるの?」
あかねは、帰り支度を始めている彼に向かって、つい尋ねてしまった。
「いや、別に場所は決めているわけじゃない。どこにでも、ふらっと出掛けて、また今夜みたいに路地裏でギターを弾いているんだよ。いつ、どこでっていうワケでもない。」
このまま、通りすがりの、一度だけでの出会いで終わってしまうのか?
もっと音を聞きたい。彼の奏でる音を…そして、自分の音が変わって行くのを感じたい。

「また…お兄さんのギター、聞いてみたい…な…」
思い切って、言ってみた。

「そうだね…君の重い音が消えて行くのを、この目で立ち会うのも面白いかもしれないね」
彼は、あかねにそう答えて微笑んだ。
「でも、私は気まぐれだからね…いつ、どこで…とはっきり言えないのが性分だ。でも、まあ週末の今くらいの時間なら、この界隈にいるかもしれないね。探してみてご覧。もしも見つけることが出来たら…君と私は運命的な出会いだっていうことになるね。その運命、試してみようじゃないか」

運命的な出会い。一度は女の子が憧れるシチュエーション。
どんなことがあっても、出会うことの出来る運命。
彼との出会いが……運命的じゃなくても見つけだしてみよう。見つける努力はしてみよう。

「じゃ、また来週に、お兄さんのこと探しに来る。」
「お待ちしてるよ、姫君」
甘くて優しい笑顔で、彼はその場を立ち去ろうと背を向けた。
が、一度だけ振り向いてあかねを見た。

「名前は?」
「え?あ…元宮あかね…」
「橘 友雅だ。お互い、名前くらいは知っておいた方がいいね」
そう言い残して、彼はどこかへ行ってしまった。
静まり返る闇。取り残された自分。
「あ、まずい!ライブの終わる時間だ!!」
時計の針が10時に近づいていた。音を頼りにやってきたギャラリー達をかきわけて、あかねは大通りの方へと走り出した。

今度会えるとき、もっと明るい自分の音を奏でて貰えたらいいな。
あかねは、そう思った。

メロディーが、二人の出会いをつなげて行く。
運命が、リズムに乗って引き寄せられて行く。

そして二人は巡り会い、新しい未来がスタートする。





-----THE END-----




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Megumi,Ka

suga