晩夏の旋律

 002

「どうですか〜?」
夕食もそこそこに、さっそくあかねは浴衣を羽織った。
さらりとした白地に、手染めで大きめに描かれた淡いブルーの花手鞠柄。
シンプルな浴衣に映えるよう、麻の帯はボルドーの三色縞。
「いいね。涼しげで夏らしいよ。よく似合う」
「ホントですか?大人っぽく落ち着いて見えます?」
袖を何度もはためかせながら、嬉しそうにあかねは友雅に尋ねる。

「以前のひらひらした浴衣も似合っていたが、最近は全く着ないのだね」
「さすがにああいうのは、もう卒業しましたよ」
「それは残念。可愛かったのに」
「だって…子どもっぽいじゃないですか」
あかねの学生時代は、リボンとかフリルとかをあしらった、和洋折衷な雰囲気のデコ着物が流行った時期。
ちょっと風変わりだけどお洒落な感じもして、可愛かったから取り入れてみたこともあったけれど…もう魅力を感じない。
今憧れるのは、おしとやかで凛とした大人の雰囲気。
帯を締めたときのように、背筋がぴんと伸びるみたいな落ち着きに憧れる。

「友雅さんから見れば、まだまだ子どもっぽいでしょうけどねー」
「とんでもない。どこから見ても素敵な女性だよ」
立ち姿を眺めて笑みを浮かべる友雅に、あかねは少し疑いの目を向ける。
大人っぽくしたいと思うこと自体が、彼から見れば子どもっぽい発想なのかもしれないけど、そう思わずにはいられない。
そんな雰囲気を自然に醸し出せれば最高だが、やっぱりまだまだそこまでは無理だと自覚はある。
だから意識的に、努力は怠らないようにしなければ。

「そんな顔していないで、こちらにおいで」
あかねの両手を引き、彼女を膝の上に座らせた。
「私はちゃんと、君が大人の女性であることを知っているよ?」
二人だけにしか知らない秘密は、意外とたくさんある。
とびきり魅力的な相手の姿も知っているけれど、誰にも教えない。
二人だけの秘密。


+++++


身体に馴染んだベッドと布団は、長い時を共に過ごしてきた同士のような存在。
コットンのシーツは無地のベージュ。ピローケースや布団カバーはオレンジ色のチェック柄。
このシングルベッドで寝起きしていたのが、もうかなり昔のことに思えて来た。
「あかねー、早く下りて来なさいよー!朝ごはん出来てるんだから!」
ちょっと五月蝿い母の呼び声も、何となく懐かしい。
こんな風に起こされて、日々を過ごして来たのだ。

「おはよ」
階段を下りてダイニングへ行くと、テーブルの上には朝食が用意されていた。
炊きたてのご飯に、わかめと豆腐のお味噌汁。おかずは焼き魚とだし巻き卵、数種の漬物に残り物の煮物も少々。
「起きたらすぐにご飯が食べられるって、いいな〜」
「何言ってんのよ。あんた、毎日ちゃんと朝ご飯用意してるんでしょうね?」
「してますよー。だから、こんな風に用意されてるのが良いなって言ったの」
あかねは椅子に腰を下ろし、"いただきます"と箸を取ると、広げていた新聞を閉じて父が顔を出した。
「まあ、時々は手抜きすることも覚えるんだぞ。毎日のことだしな」
衣食住に関わることは日々続くものだから、適当に楽をする方法を見つけておかねばHPが尽きてしまう。
長続きするには、その力の加減が大事なのだ。

「でもね、日曜日とかたまーにだけど、友雅さん朝ご飯作ってくれるの」
「ええ?アンタ今のうちから、旦那さまに食事作らせたりしてるの!」
「そ、そういうんじゃないってば!」
週に数日のバイトとはいえ、あかねも一応働きに出ている身だし。
それで朝晩の食事の他、家事を毎日こなしているのだから、休日の朝くらいはゆっくり出来るようにと、簡単なものを作ってくれる。
「パンケーキとかなんだけど、詩紋くんにアレンジ教えてもらったらしくって、美味しいの」
ミルクとバターの風味が効いたパンケーキに、イチゴやマンゴーやオレンジにキウイが添えられて。
最近は朝から気温が高いから、バニラアイスを乗せてくれたりすることも。
「それに、夜は食べに連れてってくれることもあるし」
「あんたね…。そこまでしてくれてるんだから、橘さんの栄養もちゃんと考えて献立作りなさいよ?」
楽しそうに日常を話すあかねを、呆れ気味に見ながらも両親は笑みを浮かべる。
娘が嫁いで一年近くになるが、会うといつもこんな風に笑っていて。
それは、新しい生活が充実しているという証拠。
何にせよ、親にとってはそれが一番喜ばしい。


正午近くになった頃、父の車に荷物を詰めこんで出発。
行く先は、昨日から祭りで賑わっている郊外の神社。
今朝のローカルニュースでも放送されていたので、二日目の今日は更に人出が多く混雑しそうだ。
「ちょっと待ってね。ええと…橘さんが教えてくれた道は…」
助手席に乗っている母が、友雅からもらった抜け道地図のコピーをバッグから取り出した。
教えてくれた裏道は、いくつかの住宅地を通り抜けていくルートなのだが、その分大型車が少ないためスムーズに進みやすいらしい。
また、道沿いには自然公園のような場所が多いので、木々が陽射しを遮るため少しは道中涼しいのではないか、とも言っていた。
「ホントにもう、橘さんはいつも細かいところまで気を遣ってくれるわよねえ〜」
母の声が、明らかに浮き足立っている。
後部座席に座っていながらも、母の表情がどんなものか予想がつく。
で、ハンドルを握っている父も、おそらく同じようなものだろう。

そんな両親に対して、あかねはひとつ疑問があった。
「ねえ、お母さんたちって友雅さんのこと、まだ"橘さん"って呼んでるよね。どうして?」
「え?どうしてって…」
ただ、何となくこれまで通りに呼んでいるだけなのだが。
「でも、普通お婿さんとか義理の息子とかって、名前で呼んでいたりしない?サザエさんちとか」
ああ確かに、そう言われてみれば。
磯野家の夫婦も、マスオくんとかマスオさんとか呼んでいたっけ。
「だったらお母さんたちだって、"友雅さん"って呼べばいいじゃない。もう他人じゃないんだし」
「ええ〜?でも、そんな、ねえ?ほほほほ」
妙な笑い方でお茶を濁す母。それにつられて笑う父。
緩やかな上り坂の住宅街を抜け、いよいよ山道へと車は進む。
「これからは名前で呼んでみれば?友雅さんだって、お義父さんお義母さんって呼んでくれてるんだから」
「そうねえ〜、な、名前でねえ…」
両親にとっては(特に母は)、待望の息子じゃないか。
堂々と親子らしく呼び合えば良いのに、何を尻込みしているんだか。

もしかして、名前で呼ぶのが照れくさいのかな?
って…何を今さら。これまで散々きゃあきゃあ言ってたのに、ここで照れても仕方ないでしょーって!
友雅さんは全然気にしていないみたいだけど、名前で呼んだら意外と喜んでくれるんじゃないかな。
私だけじゃなく、両親のことも大切に考えてくれる人だもの。

もっともっと、彼と両親の距離が狭まったら良いな、と思う。
あまりはしゃぎすぎるのも困りものだけど、本当の両親みたいに関係を築いていけたらいいな…と、勝手ながらにあかねはそんなことを考えた。



+++++

Megumi,Ka

suga