君に逢いたかった

 003

広々とした境内に、高らかな雅楽の音が広がって行く。
龍笛、笙、篳篥……厳かな響きに包まれて、赤い絨毯が敷かれた道を社殿に向かって一歩ずつ歩んでいく。
「…緊張するなあ」
後ろから着いて来ている天真が、柄にもなく強ばった面持ちで小さくつぶやいた。
別に身内でもないのに、あかねの親族と同じ立場で参進の儀に立ち会うのは、やはり緊張してしまうもので。
天真だけではなく、共に歩いている蘭や詩紋の様子も、神聖な空気に完全に呑まれていた。

「でも…あかねちゃん、綺麗だね」
少し前を、白無垢に身を包んだあかねが歩いている。
今は背を向けているが、参進の儀が始まる前に彼女と言葉を交わし、面と向かって初めて花嫁姿のあかねを見た。
ずっと今まで親しく付き合っていた仲なのに、清らかな装いの彼女は別人のようで、ぎくしゃくしてしまって。
そう、京で彼女が初めて十二単に袖を通した時のような。
だが今回は詩紋が言うように、本当に何と言うか…心底綺麗だと素直に思った。
「結婚かぁ…。俺もいつかやることになるんかねえ…」
まだまだ実感がないが、遅かれ早かれ、多分こんな日がやっては来るんだろう。
こんな風に花嫁と並んで、永遠を誓って……か。
巡り会いは、いつ、どんな形で訪れるか分からない。
もしかしたら、明日にでも運命の相手に出会う可能性もゼロじゃない。
こうして彼らを見ていると、本当にそう実感させられる。

社殿内に入り、神前で席に着いた。
あかねの左側には両親と数人の親族。
そして友雅の右側には……天真たちが席を勧められた。
「それでは、ご親族のご紹介をさせて頂きます。まず、新郎のご親族代理としてご参列頂きました、ご友人の森村天真様、森村蘭様、流山詩紋様…」
名前を読み上げられて、カッチコチに固まりながら一礼をする。
いくらなんでもこりゃ荷が重いだろう!と天真は直前まで渋ったが、友雅には両親も親族もいないのだから仕方ない。
「しっかりしてよお兄ちゃん!ちゃんとしないと失礼でしょっ!」
こそこそと耳うちしながら、振袖姿の蘭が天真の背中をパン!と叩く。
その光景が笑ってしまうほど普段通りで、あかねも友雅もおかげで少し緊張がほぐれた。

時折、向かい合って座る彼と目が合う。
何も言わないけれど、常に穏やかな笑みを浮かべていて…ちょっと照れくさい。
挙式の時間は、長くても1時間足らず。
たったそれだけの短時間で、二人の関係が変わってしまうなんて、少し不思議。
もっとゆっくり味わいたいような、でも…すぐにでも一緒になりたい気もするし。
ここに来てはじめて、花嫁として困惑する感情が芽生えた。

祓主の祓詞奏上が終わると、新郎新婦他参列者全員に、大麻(おおぬさ)で祓いが執り行われる。
あれを振られると、やっぱり神聖な儀式って感じがするね、と小さな声で詩紋が言った。
儀式はスムーズに進行され、宮司である斎主の祝詞奏上が済むと、再び雅楽の演奏が始まった。
参進の儀で笛や笙を奏でていた者たちも、ここで雅楽演奏をする者たちも、日頃は友雅が指導をしている神職たち。
平日に琵琶教室を開講している傍らで、郊外の神社まで演奏指導に来るのはハードではあったが、その代わり挙式で融通を利かせてもらいたい、というのが友雅の出した条件だった。
結婚式は、花嫁のためにあるようなものだから。
彼女が望むものを、出来るだけ叶えてやれる式でありたかった。
白無垢でも色打掛でも、ウェディングドレスだって構わない。
満足出来る内容で、嬉しそうに幸せを噛み締める彼女を見たかったからだ。

雅楽に合わせ、二人の巫女が祝いの舞を奉奏する。
こんな光景、京で何度か見たことがあったな…と、あかねは昔を思い出した。
彼に連れられて、清涼殿の宴に招かれたこともあったし。
そこで永泉の笛の音や、友雅の琵琶の演奏を聴かせてもらった。
そういえば、あんな風に舞を踊る友雅さんも見たこと…あったかも。
扇をひらりと翳しながら、ゆっくりと舞を舞う彼の姿は本当に優雅で、これじゃモテても仕方ないよなあ…とか思った。
楽を奏で、舞を舞い、艶やかな声で歌を読む。
帝の懐刀と呼ばれる信頼を得ていて、武官としての地位もあって。
何より、女性が喜ぶような台詞を、平気でさらっと言っちゃうんだもんね…。
それだけ、彼は女性の扱いに手慣れている人だった。

恋をして、恋心を分かち合って、幾度も過去の女性に嫉妬はした。
彼が選んだ人なのだから、多分とても綺麗で聡明で才女で…素敵な女性だったんだろう。
そう思っては、自己嫌悪にも陥った。
きっと自分はその女性たちより、何倍も劣るに違いない。
彼に相応しい話も出来ないだろうし、容姿も目を惹き付けるほどではないだろう。
でも、それでも好きでたまらなかったから、自分なりに努力はしようと思った。
無駄だとは思うけれど、頑張ろうと思った。
だって、彼に好きでいて欲しかったから。
ずっと彼に、私だけを見つめていて欲しかった-----今でも。


「それでは…誓盃の儀に移らせて頂きます」
「あっ、三三九度だね」
蘭が少し身を乗り出すと、あかねたちがゆっくりと立ち上がった。
並んで前を向いた二人の元に、巫女がお神酒と盃を用意する。
朱塗の三つ重ねの盃が友雅に手渡され、そこにお神酒が少しずつ注がれて行く。
「何かドキドキするね。誓盃の儀…って言ってたっけ。洋式で言う、誓いのキスみたいなものなのかなあ」
「俺、あいつらが和式でやってくれて良かったわ。誓いのキスなんてことになったら、調子に乗ってどんなことやらかすか分からんぜ」
友雅のことだから、結婚式で堂々とディープキスなんてことも…。
「……否定出来ないのが嫌よね、あの人」
恥らいとか照れとか、無縁っぽいし。
他人がいようと、感情をそのまま表現しそうだし。
「こっちがたまんねえわ。ああも見せつけられたら」
友雅側の親族が自分たちしかいないだけに、天真も蘭も小声で言いたいことばかり言っている。
「でも、今日の友雅さんは…すごく真面目そうな感じがするよ」
「まあなー、自分の結婚式だもんな」
背筋を真っすぐに伸ばし、息を整えて前を向く。
神前であかねと並んで立つ彼は、指先まで神経が張りつめているように見える。
「あ、次は指輪交換だって」

宮司が三方に指輪を乗せて、二人の前にやって来た。
去年のクリスマスに、二人で選んだ結婚指輪。
ずっと大切に保管していた指輪が、ようやくここで日の目を浴びた。
友雅があかねの手を取り、左の薬指へとゆっくり滑らせていく。
「随分と長い間、寝かせてしまったね」
小さな声で、彼が笑いながら言った。
一年近く箱に入れたまま、引き出しの中で眠っていた結婚指輪。
はめてみたのは、たった一度だけ。出来上がった時に、サイズ確認するため身につけた、それっきり。
差し出された友雅の手に、今度はあかねが指輪をはめる。
男性にしては長くてしなやかで、うっとりするほど綺麗な指先。
でも、とても力が強くて…掴まれたら絶対に逃げられない。
捕まえられて、抱きしめられて。
強いけれど、優しく包み込んでくれる彼の手に、いつも癒されていた自分。
それに気付いたとき、この人は特別な人なんだ…と思った。

自分にとって特別な人。
他の誰がそこにいても、彼の代わりにはなれない。
この人だけが、心を誓える人なんだ----------そう実感した。



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Megumi,Ka

suga