君に逢いたかった

 002

かれこれ2時間が経つというのに、未だに着付け室は賑やかな声が絶えない。
「あ〜、やっぱいいなあ!こういうのって、今風で素敵だよね!」
ヘアメイクも化粧も、着付けも済んで完璧に整った花嫁を前に、一番はしゃいでいるのは振袖姿の蘭だった。
年頃の女の子だからという特権で、あかねの母に連れて来てもらった着付け室。
そこにはいつもとは違う、真っ白な衣をまとった花嫁がいた。
「今は、こういう白無垢が流行りなんですってね。何か、ドレスとあんまり変わらない感じよねえ?」
「良いじゃないですか!すごく素敵ですよぉ!」
まんざらでもない様子で話す母の隣で、蘭はすっかりテンションアップ。
こんなに間近で花嫁姿を見るなんて機会、年頃的にまだそんなにあり得ないのだ。

あかねが選んだ白無垢は、全体的に純白のふわりとしたデザイン。
しかしワンポイントとして、裾や袖の部分に薄いピンクの桜の花模様が刺繍されている。
「さりげないけど、この桜が可愛いでしょ?友雅さんも、この模様が良いって言ってくれて。」
「うんうん!可愛いさがあって良いよね。綿帽子も、レースなのが良いよね」
透けるか透けないか、微妙な厚みのオーガンジー素材に、シルクのレースの縁取りと、ここにもまた桜の刺繍。
秋真っ盛りなのに、花嫁衣装には春の趣が添えられている。

「いいなあ…私も、こういうのが良いな!」
白無垢姿を眺めながら、うっとりした表情で蘭がぽろっとつぶやいた瞬間、あかねと母が目の色を変えて覗き込んで来た。
「え、ちょっと蘭!まさか…いるのっ!?」
「あらら!蘭ちゃんもそろそろなの?まあっ、おめでたいことっ!」
「ち、違いますよ!まだそんなんじゃっ…!!」
"まだそんなんじゃない"ということは?
つまり、まだ結婚しないけれども…?
「何それ!初耳だけど!いつからお付き合いしてたのー!?」
白無垢姿の花嫁が母親を伴って、ぐんぐんとこちらに詰め寄ってくる。
ついうっかり…と、少し蘭は後悔したが、言ってしまった以上ごまかしきれない。
「隠してたわけじゃないよ?その…去年のクリスマスあたりから…まあ…」
バイト先の先輩社員で、蘭より二つ年上。
話しているうちに、彼が同じ中学の出身だと知ったところからきっかけが出来て、何となくそういう関係に…という話。
「なーんだ。じゃあ蘭だって、もうすぐかもしれないじゃない」
「だ、だから…そんな話はしてないんだって!それに、まだ紹介もしてないし」
「まあ、お母さんたちに教えてないの?だったら紹介しちゃいなさいよー。素敵な人なんでしょ?」
「そうだよ!そうすれば一気に決まっちゃうかもよ?」
二人からの怒濤の応酬に、花嫁衣装を見てテンションが上がっていた蘭も、さすがにたじたじ状態。
まさかこの場で、自分が追いつめられることになろうとは……。
って、そもそもは口を滑らせた自分が悪いのだけど。

でも……。
「いつになるか分かんないけど…、今日のあかねちゃんはじっくり参考にさせてもらわなきゃ」
蘭の手が、白無垢の袖をそっと持ち上げる。
光沢のある絹の白地に、浮いて見える桜の花びら。
「女性には一生の晴れ舞台だもんね。あかねちゃんみたいに…素敵な結婚式やりたいもんね。」
彼女たちのように、色々な融通を効かせてもらえはしないだろう。
だけど、幸せを築き始めるための、二人にとって大切な門出の日。
悔いのない満足行く式を。
ずっとこれからも、想い出を語り継げるような、そんな式をしてみたい。

「おめでと。ホントにあかねちゃん、綺麗だよ」
「あ、ありがと…」
面と向かって言われると、何だか照れてしまう。
それでも胸の奥が、じんわりと熱くなって来て…気が緩むと涙腺まで緩んでしまいそうな。
と、感慨に耽っている横で、母があっけらかんと言ってのける。
「馬子にも衣装よねえ。花嫁衣装のおかげで、普段より何倍もマシに見えるわ〜」
「マ、マシってお母さんっ!こういう時は素直に綺麗って、誉めてくれるもんでしょっ!」
「だってぇ…橘さんの姿を見たらねえ?目が肥えちゃってもう…」
さっき挨拶を兼ねて、彼の着付け室へ顔を出しに行った母だが、戻って来たら目の形がハートになっていた。
「紋付袴なのに、素敵なのよぉ〜!思い出しただけでも…うふふふふ」
「……お母さん…お願いだから、挙式の最中にそのにやけた顔だけはやめてね…」
挙式がもう間近だというのに、こんなに緊張感がなくて良いんだろうか。
着付けやメイクのスタッフも笑っているし、しんみりしそうでいてそうならない、妙なリラックス状況。
まあ、両親(特に母)の性格を考えてみれば、涙ながらに嫁ぐ娘を見送るなんてことはありえないか…。

コンコン。
ドアをノックする音が響くと、スタッフが入口へと向かって行った。
「失礼致します。そろそろ…お時間が近くなりましたので」
二人揃った巫女が鳴らしたノックは、まさに運命のドアを叩く音。
いよいよやってくるその瞬間を告げられ、さすがに部屋の中の空気がぴんと張りつめた。
「さあ、では…新婦様、向かいましょうか」
「は、はい…」
手を添えられて、ゆっくりと腰を上げる。
衣擦れの音がして、引きずりそうな衣を汚さないように、ドレスみたいにつまんで足下を開けた。
「汚さないようにしなさいよっ。白無垢の意味がなくなっちゃうから!」
「もー…分かってるよう…」
世話を焼きたがる母の言葉を、面倒くさそうに聞き流してあかねは一歩前に出る。
十分に気をつけるつもりだけれど、やっぱり気にしてしまうと足下がぎこちなくなりそうで、ちょっと不安だ。
それに、ここに来て緊張も頂点に来ているのだろう。
心音がドクドクと波打って、指先や足まで微妙に震えている気がしないでもない。

「私が抱きかかえて、連れて行ってあげようか?」
その声に、あかねは顔を上げた。
深めにかぶった綿帽子の向こうに、透けて見える黒の紋付袴。
手に持っていた扇子を畳むと、その手がそっとあかねの綿帽子に伸びた。
「姫君のエスコートは慣れているのだけど、今日はちょっと勝手が違うからね…。そうもいかないか」
「友雅…さん…」
指先で衣をはらい、見上げる彼女の顔を友雅は見る。
「確か新郎は、顔を見ても良いのだよね?」
水化粧を施したなめらかな肌。
ほんのり色付く頬紅と、普段の彼女からはイメージ出来ない、大人の女性を思わせる紅の唇。
その紅色が清純な白無垢とは正反対に、とても艶やかに映る。

花嫁という言葉は、彼女の為にあるのだろう。
白く可憐な花が咲き誇ったような、まさにそんな形容詞がぴったりで。
「眺めているだけで、何だか幸せな気分になるね…」
まっさらな衣は、自分にすべてを委ねてくれる証。
ようやく本当の意味で、君を堂々と独り占めすることが出来る。
この日をずっと待ちこがれていたのは、君だけじゃなく私も同じだ。
「…あ、あのっ、友雅さ…っ!!」
いつもの調子で顔を近付けてきた彼を、慌ててあかねがせき止める。
みんな見ているし、それに…キスなんかしたらせっかくの紅がはがれそう。
「ごめんごめん。つい、ね。我を忘れそうになった」
すぐにでも抱きしめたいのに、着崩れするからそれも出来ない。
色々と制限されてストレスも少し溜まるけれど、こうして美しい彼女を見てしまうと、恨めしさもあっさり消え失せた。



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Megumi,Ka

suga