夏の結び目

 002

恋人とのショッピングと、女友達とのショッピングでは、若干足を踏み入れる店に違いが出る。
同性だから通じる、共通の話題というものがあるわけで。
出来れば好きな人には見せたくない、女の子の裏舞台に通じるものがあるのだ。
「で、久しぶりに行ってみたら、可愛い雑貨屋さんがいっぱい出来てて、つい色々買い物しちゃいました」
紙袋の中は、ローズピンクのバッグや帽子、新しいミュールなど。
これらはすべて、次の旅行に合わせて選んだものばかり。

「それで?例のお目当てのものは…どんなものを買ったんだい?」
友雅は興味深げな笑みを浮かべて、あかねの顔を覗き込む。
彼女が蘭と買い物に行った理由とは、二人で出掛ける夏休み旅行に持って行く、水着を買う為である事は既に承知。
勿論それを身に付けた彼女を見るのは、自分だけの特権である。
「一足早く、ここで着てくれても良いよ?可愛い姿、見てみたいねえ」
「だっ、だめです!それはっ…旅行の時までのお楽しみですっ!」
お楽しみにしておくほどの、大層な水着姿ではないけれども、と付け加えたところで、更に彼の顔が近付いて来る。
「あかねはホントに、謙遜してばかりだねえ。いつもこの肌が、私を惑わせてその気にさせるくせに」
伸びる指先。頬を静かに撫でて、顎から首すじへとゆっくりと下りる。
細いチェーンのネックレスに指を絡めながら、その下に続く緩やかな丘陵へ誘われるように。
「ひゃっ…」
びくん、と肩が震えると同時に重なる唇。
恋をする相手としか出来ない、甘美なキスという遊戯。
「待ち遠しいね、一緒に出掛ける日が」
「ん、私も楽しみにしてます」
仕事があるから遠出は無理だったが、それでも二人きりでの旅行には最適の場所。
海から遠い分、緑の多い高台に佇むリゾートホテル。
離れとして客室が仕切られ、部屋ごとにプライベートプールも兼ね備えている。
誰からも見られずに、二人だけで過ごせる空間。
希望通りの宿が見つかって、旅支度にも気が入るという感じだ。

その時である。
部屋の電話が、急に主を呼んだ。
友雅は立ち上がり、壁にかかる受話器を手に取る。
「はい、橘です」
彼が離れてしまったので、あかねはテーブルの上のジュースを口に運んだ。
果汁100%の酸味が強い味だが、身体の中にビタミンが浸透していくような、そんな喉越し。

しばらく友雅は、電話の相手と話をしている。
大きな声ではないので、あまり内容はよく聞き取れないが、演奏会がどうのと言っていたので、おそらく仕事関係の相手だろう。
ただ、彼の表情がいささか険しいようにも見えるのが、少し気がかりでもあった。
夏から秋に掛けては、古典芸能の演奏会や練習会も増える。
いつもの琵琶の講義に加えて…なのだから、忙しさも増すというものなのだが、それらをやりくりした上で旅行時間を作ってくれた。
だからこそ、良い旅の想い出を作りたいと考える。

友雅がようやく電話を終えた頃、あかねもひと休みを済ませて、またキッチンへと戻ろうとした。
「そろそろご飯の支度にしますね」
「ああ…いや、今日は外へ食べに行こうか?」
急に、彼がそう切り出した。
「最近ずっと食事の用意をしているし、一日くらい手抜きしても良いだろう?」
「…良いんですか?」
あかねの手料理の味が舌に合う、と嬉しい事を言うものだから、毎日工夫を凝らして食卓を料理で彩る。
自分としても、彼に手作りのものを食べてもらいたい。
そんな風に思いながら調理しているので、さほど苦労している感じはないのだが。
「構わないよ。さっきも言ったじゃないか。一休みが必要だよ、ってね」
毎日の家事もそう。支度も後片付けもいらない、もてなされる側としてのディナーも良いものだ。

「さ、早めに行こう。和食が良いかい?それとも洋食?」
「ええとー…じゃ、和食かな。お昼、イタリアン食べたんで」
「了解」
手のひらが、優しくあかねの髪を撫でた。
その手が肩を包むように背中に回り、冷房や照明を即座にOFFにする。
まだ、それほど暗いとは言えない夏時間。
ようやく夕暮れが消え始め、ぽつりぽつりと明るい星が輝き始めていた。


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次の日の朝も、いつもと変わりない一日の始まりだった。
あかねの声で目覚め、彼女が作ってくれた朝食を摂る。
「いってらっしゃい!気をつけてー!」
明るくて眩しい笑顔に見送られ、友雅は稽古場へと向かう……はずだったが、その前に本部の事務所へと足を運んだ。

「あ、橘さん、おはようございます。どうかされましたか」
自動ドアのエントランスを抜けると、数人のスタッフが受付で彼を出迎えた。
まだ9時を少し過ぎた時間じゃ、講義も始まらないので生徒の姿もない。
閑散とした空間のロビーには、カサブランカとグリーンが涼しげに飾られている。
「昨日の夜、主任から連絡を頂いたんですがね。直接、お話したいと思いまして。もういらっしゃっていますか?」
「ええ、30分ほど前に出社してますよ」
友雅はそれを聞くと、軽く礼を言って奥に続く廊下を進んで行った。

空いたままの引き戸の向こうでは、人の声が響いている。
彼の姿を見つけた男性は、すぐにこちらへやって来た。
「橘さん、夕べはすいませんでしたね、急に電話でお願いしてしまって」
「そのことで…もう一度きちんとお話を伺いたいと思いまして」
昨夜、突然掛かって来た電話。
毎年のことだが、夏になると納涼演奏会が開催されることになっている。
主催と会場は国内でも有名な古い神社で、舞台を組み演奏会や舞などを披露するイベントである。
去年は友雅も演奏で参加したのだが、今回は人手が足りていることもあり、敢えて辞退させてもらった。
そのおかげで、あかねとの旅行予定を組めたのだ……が。

「急な話だから、申し訳ないとは思ったんだけれどね。こればっかりはねえ…ご指名ですし」
「それは大変光栄ですが、こちらも今回は参加予定はないとのことで、それを踏まえて用事を入れているんですよ」
「はあ、そうなんですけどねえ…」
困った顔をしながら、彼は友雅の声に耳を傾けている。
"ご指名"。
問題は、この"ご指名"なのだ。
前回の演奏会で、友雅の演奏を大層気に入った主催側が、演者リストに彼の名がないことに気付き、"どうか一曲でも演奏をお願い出来ないか”と、直々に頼み込んで来たのである。
「説明はしたんですけれどね。何せほら、今回は特別な意味も兼ねた演奏会でしょう。だから、橘さんの綺麗な音がどうしても欲しいと言われちゃいまして」
「ええ、それについては昨日伺いましたけれども…」

今年の上半期、国内あちこちでは辛く厳しい出来事が多過ぎた。
それらに関わる人々への支援や、心の安らぎと癒しなどを込めて、今回の演奏会はいつもより大々的に行われる。
「橘さんの腕を見込んで下さっての、強いお願いなもので断りきれず…」
言い分は理解出来るし、自分の演奏を評価してくれているのは有り難い。
一曲くらいの演奏ならば、飛び込みで引き受けても容易いことではある。
ただし、プライベートの予定がなかったら、という条件付きでのことだが。



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Megumi,Ka

suga