Good Morning Strawberry Kiss

 003

「出来ないよ、そんなことは」
近付いて来た唇が、耳朶に触れる。
吐息のような囁く声で、友雅が一言そうつぶやいた。
「嫉妬させるようなことなんて、私には無理だ。あかねのことしか考えられない男に、そんなことが出来ると思うかい?」
意識が追うのも、視線が追いかけるのも、いつだって彼女だけだ。
離れていても、あかねのことを考えている。
人ごみの中だって、彼女だけは見付けられる。
それほどに、いつも心のアンテナはあかねにしか反応しない。
「せいぜい今回の料理の本をきっかけに、あかねが思い過ごしと勘違いでもしてくれなきゃ…ダメだろうね。私から仕掛けるなんて、出来そうにない」

男と女は、駆け引きがあるからこそ面白い。
…そう信じていた頃、男女の恋愛はそういうものだと思っていた。
だが、今になって分かったのは、あれは"恋愛"ではなかったということ。
恋していなかったから、仕掛けて仕掛けられる付き合いが楽しかったのだ。
遊びだったから、気楽に楽しめた。
本気で恋をしていたら…相手を試すなんて出来ない。
それを楽しむ余裕なんて、ないのだ。
その人を愛することに一生懸命で。

「そうは言っても、焼きもちは治まらないだろうねえ、私は」
笑いながら近付く唇が、かすかに音を立ててあかねの上唇に触れた。
「ま、それもこれもあかねが好きでたまらないから、っていうことで…少しはおおめに見てくれると有り難いんだがね」
友雅は軽くあかねの背中を撫で、中断していた食事をやっと再開することにした。

「焼きもちやく必要なんて、全然ないのに…」
箸を進めようとした彼の肩に、あかねはまた身体を傾けた。
「だって、私…友雅さんの奥さんになるんですよ?」
「ん?そうだね、その時が今から待ち遠しいね」
「うん…だから私は…もう、友雅さんだけのもの、でしょう?」
あかねは手を広げて、おそろいのシルバーリングを彼の前に見せた。
この指輪に誓われているのは、未来を共に生きて行こうという約束。
あなたのために生きて行くことを夢見てそして、互いが互いのために生きることは、二人のこれからを意味する。
「奥さんになるんだもの…。だから、他の男の人なんて、見えてませんよ…」
たった一人だけが、総天然色で見えるような、そんな感じ。
彼だけがこの世界で、輝いている。あかねの世界の中で。


「…さすがに少し空腹になってきたな」
「え?」
しっとり想いを打ち明けたつもりだったが、まったく別の言葉が彼から吐き出されて、あかねはぽかんとして目を丸くした。
これでも一応、愛の告白として言ってみたのだけど、そのあとに続いた彼の言葉が…"お腹がすいた"って?
そりゃさっきから、なかなか食事を再開出来ないし。
まだ暖かくて湯気は上っているが、あまりもたもたしていたら冷めてしまう。
熱いうちに食べてくれた方が良いけれど、確かにそれはそうだけど…何だか一気に雰囲気が崩れたような気も。
「じゃ、じゃあ…食べましょうかっ…」
とにかく、ここは気持ちを切り替えるべきなのだろう。
あかねは"いただきます”と手を合わせて、赤い漆塗の箸と茶碗を持った。

「……友雅さん?ご飯、食べないんですか?」
空腹だと自分で言っていたのに、彼は箸を取ろうともしないし、何かをつまもうともしない。
隣に座って、こちらを見ながら静かに微笑んでいるだけ。
「もしかして、嫌いなものがありました?」
「いいや?あかねの作るものは、みんな好きだよ」
ここ一年と余り、彼に料理を作ってあげるようになったが、これと言って友雅が好き嫌いを言ったことはない。
あかねと違って甘みは控えめの方が好みらしい、というくらいだ。
「お腹…空いてるんですよね」
「ああ、ついさっき、ちゃんと食べたはずなのにね」
…………?
ついさっき食べた?
何も食べたりしていないはずだけど、どういうことだ?

すると友雅は片手で頬杖をつき、横からあかねの顔を覗き込んだ。
「どうしようかな。もう一度、あかねを美味しく頂きたくなってきたよ」

…ぽろっ。手の中から、箸が床に転げ落ちる。
パラパラパラ…と二本が離れていくのを、友雅の手が拾い上げた。
「あかねが今みたいなことを言うからだよ。また欲しくなったじゃないか」
「あ、あのっ…!」
鏡がなくても、この頬にこみ上げている熱が伝えている。
おそらく今、頬も耳も全部真っ赤だ。
「あかねの言葉は、媚薬か…またはスパイスだ。空腹感を呼び起こすよ」
彼は食事に手をつけない。
その代わりに、目の前にいるあかねを視線で捕らえる。
まだ熱が消えていないのに、困ってしまう。
友雅の台詞こそ、媚薬そのものだというのに。

「取り敢えず、今は食事にしようか。せっかく温かく作ってくれたのが、冷めては申し訳ないからね」
真っ赤な顔をしているあかねをよそに、今度は友雅が箸を手に取った。
豚肉のピカタに温野菜のサラダ、ごぼうの揚げ浸しに白菜の浅漬け…そして煮込んだシチュー。
あかねの横で友雅は、和洋折衷の献立を次々と口にしている。
「明日の朝は、私が用意してあげるよ」
「は、はあ…」
コーヒーを入れたら、トーストを焼いてオニオンスープでも作ろうか。
ハムエッグのとなりには、あかねが作り置きしてくれていたピクルスと、ベランダのパセリを添えて。
まだそれくらいしか用意出来ないけれど。

やっと箸を手に取ったあかねが、ピカタを一切れ取り上げる。
「だから、ゆっくり寝坊が来るように、今夜は疲れさせてあげるからね?」
……ポロリ、と再びあかねの手からすり抜ける箸。
友雅は一度彼女に微笑み掛けて、再び食事に戻った。





身体を包む、ふわふわの羽布団。
ぬくもりが広がる温かいシーツの中で、意識が少しずつ目覚め始める。
ほろ苦いコーヒーに、香ばしいトーストの匂い…かな?
「…んっ!?」
甘酸っぱい香りに気付いたかと思ったら、つん、と鼻の先を何かで突かれて目が覚めた。
「おはよう、姫君。朝食の用意が出来ているよ」
目を開けると、見下ろしている友雅の指に、真っ赤ないちご。
ああ、そうだ。この香りはいちごだった…と気付く。

「デザートに良いかと思ってね、買っておいたんだよ。姫君のお口に合うんじゃないかな?」
口を開けて、と言われて、素直にあーんと口を開ける。
ころん、と丁度一口で食べられる大きさのいちごが、口の中へと転がって来た。
「あ、すごい甘ーい」
寝起きの頭がいちごの甘さと酸味で、すっきりと鮮明になってきた。
カーテンの隙間から差し込んでいる朝日は、外が天気であることを教えてくれている。雪は、降らなかったみたいだ。
「さあ、そろそろ起きておいで」
「はあい」
そばにあったパジャマを掴んで、あかねは布団の中に潜り込もうとすると、友雅の手がそっと肩を掴んだ。

「起きるまえに、おはようの挨拶」
そう言ったあとで重なった唇から、広がってくる甘酸っぱい香り。
「今朝のキスは、いちごの味だね」
「んふふっ…美味しいですか?」
「ああ、とてもね。美味しすぎて、もっと味わいたいくらいに」
-------欲張り、と言ってあかねが笑う。
再び唇を近づけても、逃げない。

だから、もう一度。
くりかえし、またもう一度。


甘い目覚めで始まる…休日の朝。




-----THE END-----




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2011.01.30

Megumi,Ka

suga