Good Morning Strawberry Kiss

 002

蓋を開けてみると、こっくりとした甘い匂いが漂って来た。
肉はほろほろに溶けて、野菜の旨味もしっかりと染み込んで、十分に煮込まれたシチューを皿にたっぷりと盛り付ける。
スプーンですくって、一口味見。
「うん、すごく美味しくなってるー。煮込んだのが良かったみたい」
「だろう?じっくりと時間を掛けて、正解だったね」
キッチンに立つあかねを後ろから抱きしめ、肩にもたれて手元の鍋を覗き込んだ。
ワンピースみたいに膝にまで届きそうな、大きなサイズのセーターを着込んだ足下は、素足。
友雅はといえば、素肌に浴衣を無造作に羽織っただけ。
外は雪が降りそうなほど寒いのに、まだ身体から熱が逃げていないから、こんな格好でも気にならない。

テーブルの上に、出来上がった料理を並べた。
いつもは向かい合って座るけれど、今日は隣り合わせに腰を下ろす。
何となく寄り添っていたい気がして……どちらからともなく、肩を寄せて座った。
「ねえ友雅さん、さっきの本、私にも見せてくれます?」
彼に箸を手渡したあとで、ちらっとあかねはソファの上にある本を見る。
「私もちょっと参考にしたいなー。簡単だけど、美味しそうなレシピがいっぱいあったから」
詩紋の母のものだという本は、割と実用的な内容である。
作り置き出来るものもあったし、あれなら自分にも役立ちそうだなと思った。
しかし、友雅は簡単にうなずきはしない。
「どうしようかねえ。あかねが先にそれを作られたら、私が作るものとかぶってしまうかもしれないし」
そもそも同じ本を参考にするのだから、献立が似通ってしまいそうだ。

「ここは私に譲ってくれないかな。あかねには、あとで他の本を買ってあげるよ」
「えっ?良いですよそんな!そういうつもりで言ったんじゃないし!」
慌ててあかねは、ぶんぶんと手のひらと首を横に振った。
ただ、そこに料理の本があったから、参考にしたいと思っただけのことだ。別に、本が欲しかったわけじゃない。
「私は母にも聞けるし、家にもいろいろ本があるし…大丈夫です」
調べようと思えば、いくらでも方法がある。
本じゃなくても、新聞やネットをいじればどこかにレシピは載っているし、テレビの料理番組だって活用出来る。
普段からそんな風にして、気になるレシピをチェックはしているのだ。
"こんな料理作ったら、友雅さん美味しいって言ってくれるかな?"
彼の反応を期待しながら。

「じゃあ、あの本は私専用ってことで良いね?」
「分かりました。美味しい朝ごはん、期待しちゃいますよ?」
「まあ…頑張ってみるよ」
だが、過度な期待だけはしないでくれ、と友雅は笑った。
「何せあかねと違って、私は素人も素人だからねえ。姫君の舌に合うものが出来るかどうか、ちょっと不安だ」
彼女の好みは、もう完璧に把握したと自負している。
けれど、だからこそ味覚は繊細に反応するだろうし、甘いものやフルーツが好きだと言っても、組み合わせと調理によって味が変化してしまうのが、料理というものの難しいところだ。

京で暮らしていた時は、食というものにさほど興味を持たなかった。
誰かが用意してくれたものを口にして、自分の味覚の好みを確認するだけのことだった。
が、こうして自ら手を加えてみると、料理というものがこんなに奥深いものだったのか、と新鮮な驚きを感じる。

「大丈夫ですよ。友雅さんが作ってくれるものですから。私が嫌いなはずないじゃないですか」
こつん、と腕に寄り掛かる重み。
どことなく、甘えるような雰囲気のしなやかな声。
彼女が触れている場所が、じわりと暖かくなる。
「私のために作ってくれるんですもん。美味しいに決まってます」
「真っ黒に焦げてしまった、ベーコンエッグでも?」
思わず同時に、笑い声が上がった。
「ふふっ…焦げても良いですよ、ちゃんと全部食べます」
「そこまで言われたら、ますます手抜きは出来ないな」
奇跡的なほど器用な彼が、そこまで失態をやらかすとは思えないし、例えそんなものが出来上がったとしても、それをあかねに差し出すなんてしないだろう。
それは冗談。分かっているけれど、笑ってしまう。
でも、笑いながらも…胸に秘めていた本音が隠せない。

「……だから、友雅さん…」
ぎゅっと腕にしがみついて、顔を押し付けて。
一歩手前の穏やかな雰囲気も消えて、ぐっと目を閉じたままつぶやいた。
「他の女の人が作ったものなんて、食べないで…」

自分以外の女性が作った料理を、彼に食べてほしくない。
私が作ったものだけを、口にして欲しい。
他の人に、"美味しい"って言って欲しくない。
一生懸命料理を頑張ってみせるから、その言葉は…自分にだけ言って欲しい。
--------いつのまにか、そんな欲張りな気持ちが自然と芽生えていた。
明らかにそれは…ささやかな嫉妬心。
彼を独占したいという、恋という名の"わがまま”。

友雅の手が、あかねの顎をくっと持ち上げた。
「それは、焼きもち?」
「…うん」
何故だか、素直にうなずくことが出来た。
こんな些細なことで焼きもちだなんて、冷静に考えたら恥ずかしいのに。
子どもみたいでバカみたいだって、さっきは自己嫌悪に陥っていたのに。
見つめあう瞳に、互いの顔が映り込んでいる。
彼の目の中の自分を見ていると、とたんに笑顔が向けられた。
「ようやく、嫉妬してもらえる立場になれた、か」
「え?」
「いつも、私ばかりが嫉妬していたんだよ?しょっちゅうね」
腕の中に引きずり込まれて、食事は一時中断。
あかねを抱きしめたまま、友雅はソファの背もたれに身体を預けた。

今までどれだけ、彼女の行動に振り回されただろう。
もちろんそのすべてに悪気があるわけでもなく、駆け引きなんて意味でもない。
明らかに彼女は、天然の素直さと無邪気さで彼を幾度も戸惑わせた。
それが例え男友達であっても、邪心なく笑いながら近付く姿を見ては、その腕を掴んで引き戻したい衝動に駆られて。
この腕に閉じ込めて、周囲の目から隠してしまえたら良いのに、とか考えた。
「あかねが今、私に言った言葉。そっくりそのまま、今まで私が思っていたことなんだよ?」

"自分以外の女性を見ないで"

「私以外の男を、その瞳に映さないで欲しいって、一体何度思ったかねぇ…」
小鳥のようにさえずる声で、呼ぶ名前は自分だけの名であって欲しいし、笑顔を向けるのは自分だけにして欲しかった。
そんなこと無理だと分かっていながらも、抱かずにいられなかった感情は、それもまた恋ゆえの"わがまま”だ。

「でも、私の方が長い間苦渋を味わってきたからね。もう少しあかねに嫉妬してもらわないと、割にあわないかな?」
「ええっ?そんなの嫌です!」
あかねは友雅の胸を押し離して、がばっと起き上がると彼の顔を見上げた。
「嫉妬なんかしたくないです!あんな…胸が痛むような気持ちは、もう嫌」
もしかしたら、という不安を抱き、相手を見る目に陰りが生まれて。
信じているにも関わらず、言い出せない真実の問いを飲み込んでは、重くなる心の奥底。
嫉妬することも、嫉妬する自分も嫌いだ。
ただ、彼に愛されてることだけを感じて、自分だけが彼のそばにいていい存在なのだと、信じていたい。
それを一瞬でも疑うようなことは、したくない。



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Megumi,Ka

suga