Good Morning Strawberry Kiss

 001

窓をガラッと開け放つと、木枯らしが部屋の温度を一気に低下させる。
思わず身震いしてしまうけれど、換気を行わねば掃除中は埃まみれになる。

まず、台所の片付けと掃除。
自宅と違って食器や調理器具も少ないから、この辺りは意外と簡単に片付く。
そして、お次はバスルーム等のサニタリーエリア。
住人が女性ならシャンプーやら化粧品やら、散らかりやすいものが多い場所だが、男性の一人暮らしでは逆に殺風景なほど。
おかげでここも、掃除は楽に済ませやすい。
「さてと!じゃあリビングのお掃除に取り掛かろうかなー」
各所を片付け終えたあと、あかねは居間に戻って来た。
クリーナーを付けたモップで、フローリングを磨き掃除しながら、あちこちの物を片付ける。
ソファの上に放り出されたフリーケットの間には、数冊の本が無造作に置いたままとなっていた。

ケットを広げてきちんと畳み直し、そこにある本をまとめてラックの中へ戻す。
…と、その時あかねの手が、ぴたりと止まった。
「あれ?何だろ、この本…」
友雅の部屋にある本と言ったら、仕事でもある和楽器や古典芸能に関するもの。
その他、昔の古典文学とか和歌や、そう言ったものが主流である。
しかしあかねが見つけたものは、彼の蔵書とはまったく違う内容のもので、敢えて言うならあかねが読むようなものだった。
ぱらぱら…とめくるページに記載されているのは、暖かな雰囲気の料理の写真。
レシピはすべて、比較的簡単に出来るものばかり。
本格的なものはなく、せいぜい30分ほどで仕上がるものが殆どだ。
「何で友雅さんの部屋に、こんな料理の本があるんだろ…」
家庭的な雰囲気の、愛情がこもったレシピの数々。
それらは自分が食べるためではなく、まるで誰かに作ってあげたくなるような、心のこもった料理たち----------。

きゅうっと、胸の奥で小さな痛みが走る。
締め付けられたような、一瞬呼吸を止められたみたいな息苦しさ。
どうしてだろう。
いや、何となく理由は分かっていた。
わざと自覚しないようにして、あかねはそれらの本をまとめてソファの隅に置き、上から畳んだフリーケットを重ねた。
その本を包み隠すかのように、視界から消し去るように。




インターホンの音が鳴り響き、家主が帰宅した事を伝える。
「お、おかえりなさい、友雅さん!」
あかねがチェーンを外すと、ノブがゆっくり回ってドアが開いた。
「ただいま。今夜はかなり寒くなりそうだね。もしかしたら、雪が降るかもしれないと言っていたよ」
エアコンを効かせた車で帰って来たのに、駐車場からここまで上がってくる少しの間に、コートの表面が冷たくなっている。
白い息が出ない暖められた部屋に入ると、まるで生き返ったかのようだ。
「えっと、今シチューを煮込んでるんです。もう少し時間掛けたいんで…先にお風呂入りますっ?」
「そうだな…。でも、風呂はやっぱり一緒に入りたいからね。煮込んでいる間、居間でくつろいでいるよ」
そんな甘くて艶めかしい答えを返し、彼はコートを脱いで奥へと進む。
温風ヒーターのおかげで、更に空気が暖まった居間は快適な温度。
ソファに深く身体を投げ出した友雅は、畳まれているフリーケットの下に手を伸ばした。

ぱらぱら…ページをめくる音がして、あかねは咄嗟に振り返る。
「ん?どうかしたのかい?」
本を開いている友雅の姿を、じっと彼女が見つめていた。
「あの、その本…」
女性らしい器と盛り付けばかりの、簡単なレシピ本。
音楽の専門書も一緒に置かれているのに、彼が手にしていたのは、あかねが昼間初めて見た料理の本だった。
「そ、その本…誰のなんですか?」
「これ?これは詩紋から借りたんだ、私が」

………え?友雅さんが借りた?
詩紋くんから?料理の本を?
確かに詩紋なら、お菓子づくりだけじゃなく料理全般が得意だし、こういったレシピ本を持っていても不思議じゃない。
「正確に言うと、詩紋の母上殿の本だ。参考に貸して貰ったんだよ」
「参考って…友雅さんがですか…?」
びっくりしたあかねは、コンロの火力を弱めに直して、すぐにソファの前にやって来た。

「友雅さん、お料理するんですか?ど、どうして…?」
「いや、少しくらい私も料理が出来れば、少しはあかねを朝寝坊させてあげるかな、と思ってね」
どういうことだ?という感じで、ぽかんとしているあかねの手を引いた友雅は、彼女を隣に座らせた。
「昼も夜も、食事の支度はあかねに任せっきりだしね。たまには朝くらい、私が用意してあげようかと」
これまで友雅が料理してくれたものは、詩紋に教えて貰ったパンケーキくらい。
ジャムや生クリームやフルーツを添えて、あかね好みに彩りを飾り、ブランチとして用意してくれたりもした。
「でも、そればかりじゃねえ、飽きてしまうだろう。だから、この機会に少しレパートリーを増やしてみようかなと」
そうは言っても、やっぱり本格的な料理は男の自分には高難度。
簡単に出来るレシピ集がないだろうかと、詩紋に相談してみたら母の料理本を貸してくれたのだという。

「あかねも、ゆっくり朝寝坊したい時があるだろう?昨夜の疲れが取れなくて、身体が動かないとか…そういう時はね?」
吐息が掛かるくらいの位置に、彼の顔が近付く。
いつのまにか引き寄せられた身体は、彼の膝の上に座らせられていて。
「そういう時には、私が朝を用意してあげるよ。おそらく朝寝坊の責任は、私にありそうだし」
ふふっと、間近で艶かしく微笑む。
寄せられた唇を払えなくて、そのまま甘い口づけが交わされる。
うなじに延ばした指先で髪の毛をすくい、悪戯っぽくぺろりと上唇を舐められて、びくっと肩が震えた。


…バカなこと、考えちゃった。
もしかしたらこの部屋に、他の女性が来ていたんじゃないか、なんて。
私の他に、友雅さんに料理を作ろうとしている人が、いるんじゃないか…なんて。
こんなこと知られたら、友雅さんに怒られちゃう。
疑って、信じていなかったことが丸わかりだもの。
我が身の浅はかさに、あかねは自己嫌悪を抱きながら、彼に身を預けた。

でも。
「…あかね、他の女性がこの本を置き忘れて行った、とか考えていたね?」
甘美な味わいのキスが、その一言の衝撃で突然終わった。
余韻なんて吹き飛ぶほど、まるで水を浴びたような驚きに心音が早まる。
図星を突かれたことに声も出ないあかねだが、彼は構わずもう一度唇を近づけた。
「私が君以外の女性を、この部屋に入れたと思った?」
言葉を吐き出すと同時に触れる吐息。
ちゅっ、とキスをする彼の表情は…怒っている素振りは無かった。
「ご、ごめんなさいっ!まさか友雅さんが料理を…なんて思ってもみなかったからっ…!」
「ふうん…?」
「ホントにっ、ホントにごめんなさいっ!!」
疑ったことは事実。だからドキドキして、わざと本を見えないようにして。
知らん顔していた…現実に目をそらしたまま。

「……きゃんっ!」
突然掴まれた両手首。
そのままソファに押し倒されて、上から友雅の体重で身動きを封じられる。
「怒ってないよ。だから、あかねがそんな雑念が生まないように、今の私の気持ちを教えてあげるからね」
「え、っと…その…」
どうしよう。コンロに鍋が掛かったままだ。
一旦火を消した方が良い?でも…雰囲気を断ち切るのは、何だか気が引けるし。
それに、彼の艶めく眼差しが、意識を捕らえて動けない。
「時間を掛けて、弱火で煮込んだ方が美味しいんだろう?ああいうものは。だったら丁度食べごろになるよ」
丁度って、一体どれくらいの時間を言っているのか。
そして、出来上がるその時間まで…つまり?

友雅は微笑んだまま、何も言わない。
静かに唇を重ねて--------------あかねの背中に手を回した。



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Megumi,Ka

suga