Happy Happy New Year

 001

大晦日の夜は、彼の部屋で過ごした。
まあ、正確に言えば冬休みに入ってから、殆ど入り浸りだったと言って良い。
たまに家に帰ることもあったが、それも彼と一緒で両親に顔を見せただけで、結局自宅に留まることは無く、再び彼のマンションへと戻った。
一体どっちが自分の家なんだろうか?と思うくらいに、滞在時間が増えていく彼の部屋。

"同棲してしまおうか"
冗談めいた口調のその台詞に、何度もときめいたりしたけれど、未だに実家と行き来している日々。
それでもいつかは、彼と共に暮らすようになる。
そんな日がやって来るまで、いよいよあと一年余り--------------。


「新年あけまして、おめでとうございます」
「まあ、おめでとうございます〜!ささ、どうぞお上がりになってぇ〜!」
年が明けたと同時に近所の神社へ初詣に行き、そのまま二人であかねの家へとやってきた。
一旦帰って眠ってからの方が良いのに、と言ったのだが、新年の挨拶は早い方が良いだろうと彼が言ったから。
つくづく、両親に対する彼の気配りは細やかで。
おかげで今年も新年早々、上機嫌な両親の顔を拝むことになりそうだ。


「やっぱりお正月は和装よねえ〜。ほんっと、渋いお着物なのに橘さんが着られると素敵だわ〜」
重箱に詰めたおせち料理を、さっそく盛り付けて母がリビングにやって来た。
父の手元には、二つの盃と屠蘇を入れた徳利。
酒の飲めないあかねと母には無用である盃は、もちろん父と友雅に用意されたものである。
「さ、橘さんもどうぞ一杯」
「ありがとうございます、頂きます」
受け取った盃に注がれる屠蘇。
それらをすうっと、静かに口に含んで飲み込む。
赤と黒の漆皿に、まるで料亭のお品書きのように盛られたおせち料理。
「お母さん、何か…やたらに凝った盛りつけしてない?」
「あらっ!そ〜お?」
しらっとした顔で言っているが、伊達巻にしろ田作りにしろ、ほとんどは市販のものだし。
煮しめや黒豆とかはあかねも手伝って作ったものだが、全体を通してもさほど手の込んだものはない。
それが、妙に豪勢で気取った盛り付けで、一気に華やかな感じになる。
「こんな遅くに伺ったというのに、このような立派なものをご用意して頂いて…」
「いやいや!そんなこと気にせずとも、なあ?」
「ええ!橘さんでしたら、どんなに朝早くても夜遅くても歓迎致しますわ〜!」
年明け間もない深夜1時。
大歓迎ムードの両親を目の前に、彼はにこやかに微笑みながら箸をつけた。


車ではないのだから良いだろうと、調子に乗って屠蘇や酒を勧めようとする父を、あかねと母が何とかせき止めた。
「あまり酒の匂いを漂わせていては、彼女に嫌がられてしまいますので。申し訳ありませんが、今日はこのくらいで…」
後日改めて晩酌に付き合います、と上手く誘いを交わしながら、友雅は盃をテーブルの上に置いた。
酒を抜きにして、しばらく父の話し相手をしている友雅の隣にいるあかねを、キッチンの中から母が呼んだ。
「あかね、おせちを小さなお重に分けたから、持って帰りなさいよ」
何をごそごそしているかと思ったら、作ったおせちを小分けにしていたらしい。
よく見れば重箱を包んでいる風呂敷は、とっておきのお使い用風呂敷じゃなかっただろうか。
「どうせしばらく、まだ橘さんちにいるんでしょ?向こうでちゃんとお正月らしく、おもてなししなさいよっ」
一人暮らしのマンションのキッチンで、作れる正月の料理なんて雑煮くらいが良いところだ。
かと言って、こういった風物詩とも言える食材が、テーブルの上に並ばないのも味気ない。
「少し多めに入れておいたから、橘さんに召し上がってもらうのよっ!」
「はぁ〜い…」
半ば強引に押し付けるように、母は重箱をあかねに差し出す。
ま、今回は結構自分も作った料理があるし、彼に食べてもらうのは本望か…と、綺麗に包まれた重箱を受け取った。



年末年始は記録的な寒波、という天気予報はズバリ当たって、深夜になると更に凍えてしまうほどの冷気。
だが、そんな寒さも時間も関係なく、町中の人通りは途絶えていない。
「みんな初詣に行く人たちでしょうねー」
「気が早いのは、私たちだけではないのだねえ」
などと話しながら、腹ごなしと酔い覚ましにと、少し遠回りしてマンションへと戻ってきた。
玄関のシューズケースの上に、小さな門松。
ディスプレイされたように置かれている、これまた小さい鏡餅。
まだ年が明けて数時間なのだが、こういうものが目に入ると正月だなあと実感がわき上がる。

「そういえば、日が昇るのは何時くらいの予定だったかな」
周りに高い建物がないので、ベランダからだと朝日が綺麗に眺められる。
せっかくの初日の出。天気もよさそうだと言うので、今年はちゃんと見ようと話していたけれど。
「確か…6時半くらいだったでしょうかねえ…」
となると、日の出まで4時間以上ある。
「起きていられるかい?随分と明け方も寒そうだよ」
「頑張って起きてます!良い一年になるように、お願いしたいし」
「でも、既にこんなに冷たくなっているよ?」
気合いを入れてぐっと拳を握るあかねを、後ろから伸びてきた腕がすっぽりと包み込む。
彼が触れた指先、そしてセーターの表面さえも冬の夜気に凍り付いたかのよう。
「まだまだ朝まで時間はあるし…。向こうでちょっと暖めてあげようか?」
そう言って、ふわっと浮き上がる身体は、友雅の腕に抱きかかえられる。
何も言わずに見つめる笑顔には、連れて行こうとする場所が寝室であることを告げている。
「あっ…と、じゃあコーヒー飲みましょうよっ!?」
宙に浮いたあかねの足が、陸に上がった魚の尾びれのように、ばたばたっと動く。
「濃いめのコーヒー入れます!眠くならないように」
「コーヒーね…。上手く誤摩化されてしまったな」
まあ良いか、と小さく友雅はつぶやいて、ふわっとあかねを床に下ろした。

つま先がしっかりと地に着いたあと、ささっと彼女はキッチンへと向かう。
さらさらと動くたびに揺れる髪は、肩にやや掛かるほどに少し伸びて、そんなささやかな変化が女性らしさをどんどん深めてゆく。
そのたびにどきっとさせられて、たまらず抱きしめたくなるこの熱い衝動を、果たして彼女は気付いているのかどうか…。
「ああ、あかね。コーヒーじゃなくて緑茶にしてくれないかな」
「お茶ですか?じゃ濃いめに入れますね」
開けようとしていた茶色のコーヒー缶を棚に戻し、代わりに茶筒と急須を取り出したとたん、ちょうどケトルの湯が沸いた。



茶をすすりながら、ゆっくりと時が流れて行く夜。
窓の外はまだ真っ暗で、日の出の気配なんて欠片も無い。
手持ち無沙汰に付けっぱなしのテレビからは、クラシックが流れている。
「夜中じゃあ、琵琶もつまびけないしねえ」
新年から演奏会もあるし、暇があれば手慣らしをしたいのだけれど、真夜中じゃ近所迷惑になってしまう。
けど、賑やかすぎる番組よりは、音楽というものだけがシンプルに流れ続ける、こんな番組が気楽で良い。
「ちょっとお腹すいて来ちゃったなあ…」
ふと、腕の中でつぶやくあかねの声。
「おや、せっかく腹ごなしにって、寒い中を遠回りにして帰ってきたのに。せっかくの苦労が水の泡だよ?」
「うーん、それを言われると辛いんですけどー…」
あまり夜遅い飲食はいけない。けれど、まだ何時間も起きていなければいけないとなると、少し口寂しくなってくる。

「そうだ!おせち…ちょっと味見してくれませんかっ?」
はっと思い付いたように、あかねは背を反らして友雅の顔を見上げた。
「おせちなら、あかねの家で少しいただいたよ」
「違うんですよ。あのお膳には、私が作った黒豆が載ってなかったんですよ!」
いつもは母に任せていた黒豆だが、今年はあかねが一人で仕上げた。
大学の教授に上手な作り方を教えてもらったらしく、大粒の丹波豆を買ってきてじっくり炊いたのだと言う。
「あまり甘くしていないから、友雅さんでも大丈夫だと思うんです。ね、味見してください?」
「花嫁修業の一環ということなら、私も参加せねばならないね。では、少し頂こうとしようかな」
「じゃ、ちょっとだけ持ってきますねー」
あかねはさっそくキッチンに戻り、棚から小皿を取り出して、ダイニングテーブルの上に置かれた重箱の風呂敷を、丁寧に解いた。



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Megumi,Ka

suga