Early Autumn Happiness

 002

ごつごつとした岩を組みつつ、浴槽部分は艶やかな御影石で作られた露天風呂は、男女それぞれに別れてはいるけれど十分なほどの広さだ。
時折夕暮れの風にさらされた木の葉が、立ちのぼる湯気に紛れて舞い落ちて来る。
沸き上がる湯水の音と、草むらから聞こえる秋虫の声。
「丁度良い湯加減ですね」
「ああ、気持ち良い湯ですなぁ〜」
ちなみにここは、男湯の露天風呂。
まだ時間が早いこともあり、入浴客は他にいない。友雅たちの貸切状態だ。

「こういうところでは、湯に浸かりながら一杯やりたいものだけどねえ」
「実はご用意しようと思っていたんですが、残念ながら彼女に止められまして…」
ただでさえ湯に浸かれば逆上せやすいし、そんなところでアルコールを飲むなんて危険だ。
ふらついて転んで怪我をするかもしれないし、お風呂でお酒は絶対にダメ!
「…と、きつく言われまして。ご希望に添えず、申し訳ありません」
「あ、そう…か。そういえばそうだ…確かに。ははは…」
娘がキツく言い放つ顔を思い出し、父は気まずそうに笑う。
だが、彼が酒を好むことは知っているから、別のところにお楽しみを移している。
「その代わり、夕食の席にはこの辺りの地酒をいくつか、宿の方に選んで頂きましたから」
「おお?それは良いなあ〜」
この宿には利き酒師の資格を持つ者がおり、近辺の名酒を網羅している。
あかねから、普段父がどんな銘柄を飲んでいるのかを聞いていた。
それらを宿に伝えて、好みに合うようなものを選んでもらっている。

「いや、何だか…かえっていろいろ気を遣わせてしまって、申し訳なかったなあ」
「そんなことはありませんよ。お義父さんに喜んで頂かなくては、意味がありませんからね」
友雅はそう言って、穏やかに微笑む。
湯で暖められた肌はしっとりと汗が浮き、わずかに紅を差したように色づいて。
長い髪はゆるく編んで、落ちてこないよう上にまとめている。
風呂に入る前に、必ずあかねがそれを行う…のだそうだ。
「男のくせに、こんなに長く伸ばして、見苦しくてすいません」
「んっ!?いやそんなことない!橘さんはほら、お仕事の関係もあるだろうしな!」
思わず、どきっとした。
ぼうっと考えていたことを口に出されて、見透かされているのでは、と驚いた。
「最近は、平安装束での演奏会が増えましてね…。髪を結う機会が増えたもので、切るわけにも行かないもので」
「いやいや、構わんでしょう!あんな雅やかな格好、様になる男なんて橘さんくらいだ!」

一度、演奏会での彼を見たことがある。
まるでそれは平安絵巻の管弦の宴そのものだったが、中でも彼の容姿は飛び抜けて目を惹いた、
指先まで広がる、優雅な仕草と物腰。
艶やかな琵琶の音色は、彼そのものを表しているかのようで、同性ながらに見とれてしまったくらいだ。
隣にいた妻はと言えば…予想通り、目がハートになりっぱなし。
というか、辺りにいた女性たちは皆、そんな状態で彼を凝視していた。

とにかく何をしていても、艶やかすぎる男性である。
顔立ちや容姿、仕草や言葉遣い、声のトーンや趣味の選び方…。
色男ならぬ艶男、とでも言えば良いだろうか。
しかし、細身に思えた体躯もこうして共に風呂に入ってみると、意外に筋肉質なのがよく分かる。
だが、所謂ムキムキなタイプではなく、肉付きや筋肉に無駄がないのだ。
骨組みはがっしりしているし、腕も割と太い。
胸板も厚いし、そこそこに逞しい……男として見ても、羨ましい均整の摂れた身体をしている。

「そろそろ上がって、食事までの間夕涼みしましょうか」
「あ?ああ…そ、そうだな、そうしますか!」
二人は湯から上がり、ややひんやりする夜風に身体を当てた。
友雅のことを考えていると、時間を費やしてしまって逆上せそうだ。
まったく、こんな男性が自分の娘の伴侶になるとは…今でも信じられない。
可愛い一人娘であるが、いたって普通の娘のあかねには、少々勿体ないなと思うけれども…。

「今夜ご用意して頂いた食事も、きっとお義父さんの舌に合うと思いますよ」
……うん、やはり前言撤回。
彼に"お義父さん"と呼ばれるのは、誇らしいし良い気分だ。
文句なしの…未来の息子である。




ぽちゃん…。
緩やかに湯気が立ち上り、身体の動きでゆらゆらと水面が揺れる。
「はあ、良い気持ちねえ〜。極楽極楽…」
ほう、と大きな溜息を付きながら、母は天を仰いでのんびりと身体を横たえた。
母と一緒に風呂に入るなんて、何年ぶりだろうか。
家族での旅行もホテルとかが多かったし、こうした温泉の大浴場で一緒にというのは、もう随分なかった気がする。

「本当に橘さんは、素敵なところを知ってるわよねえ〜」
「あのねぇ、ここのお宿は私も一緒に探したんだけど」
夏の旅行で見繕った、いくつかの旅館。
その中から、娘のあかねが両親の好みは理解しているはずだから…と言って、友雅に決定権を委ねられた。
でも、やはり値段がネックだったので、ここと他の2つほどを選んでおいたのだが、最終的に彼は一番高級な宿を選んだ。
「もう〜、素敵なエスコートばっかりで、お母さんうっとりしちゃうわあ〜」
……既に逆上せているんじゃないだろうか。
呆れ気味に、あかねは隣の母を見る。

「…でも、友雅さんホントに、お父さんとお母さんがゆっくり楽しんでくれるようにって、いろいろ考えてくれたんだからね」
ぽかぽか暖まる湯に身体を沈め、あかねは膝を抱える。
「お母さんたちのこと、大切に考えてくれてるんだから…っ」
自分と同じくらいに、両親のことも第一に考えてくれている。
どんな時だって、少しでも喜んでくれるようにと、小さなことも気を配ってくれて、こっちが恐縮してしまうくらいに。

「あー…お母さん幸せだわぁー。あんな素敵な息子が出来るなんてぇ〜…」
目を閉じて、祈るように両手を組んで。
今にも"神様ありがとう!"とか叫び出すんじゃないか、と思うような陶酔の表情を浮かべる母。
この舞い上がった母を、どう扱えば良いだろうか。
娘としても、これはいささか難しい。
まあ、こんなことは今更なのであるが…。

と、突然母は目を開けると、くるっと顔をこちらに向けた。
「あかね!」
「は、はいっ?」
いきなり名前を呼ばれて何事だ!?と背筋を伸ばすと、母の手が肩に伸びてきた。
「…アンタ、そこそこ良い感じに育ったわよねえ」
「は?」
ぺたぺたとあかねの肩を叩くと、母の視線はじろっと下の方へと移動した。
揺らめく湯の中に浮かぶ、白い丸みを帯びた肌色がふたつ。
…何を見ているんだ、何を!!!母よ!!!
「予想してたよりも肉付き良く育ってくれて、ホントに良かったわあ」
「はぁ!?ちょっと何考えてんのお母さん!!」
うんうん、と自分だけで納得しながらうなづいている母。
何を考えているのだろう…いや、おそらくろくなことじゃないような気がする。

その予想は、案の定的中した。



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Megumi,Ka

suga