Early Autumn Happiness

 001

猛暑を通り越して酷暑続きだった夏も、ようやく姿を消したらしい。
暦の上ではすっかり秋。朝夕は肌寒い時もあるが、日中は割と過ごしやすい日々。
そろそろ、今年も季節の変化を楽しむ時期が近付いて来た。
--------春は桜、秋は紅葉。
年に二回、誰もがこうして四季の美しさを求める。
紅を差した木々の色付きは、先日北の大地から第一報が届いたばかり。
この辺りの山が化粧を施すのは、もうしばらく先のことになりそうだ。


「いやあ、これはまた風流なところだなぁ」
宿に到着して車を降りたとたん、父が感嘆の声を漏らす。
山深い場所にひっそりと佇む、数寄屋造りの本格的な日本旅館。
観光地とは少々ずれた土地ではあるが、その分ゆったりした空気が流れている。

友雅がここに来るのは、今回で二度目。
夏にあかねと旅行に来た時に、秋になったら今度は彼女の両親も連れて来ようと、色々下調べをしていたのだ。
以前は二人きりだったから、あかねの好み優先で洒落た貸別荘に泊まったが、今回は完全に彼女の両親の好みをチョイス。
近辺にいくつか存在する温泉宿の中で、風呂の施設や料理の評判が良いところを見繕った。
全室離れの客室には半露天風呂が付いており、もちろん他にも男女それぞれに露天風呂の大浴場もある。
温泉&風呂好きのあかねの父には、さぞかし喜んでもらえるだろう。

「ようこそいらっしゃいませ。本日、特別室を二部屋ご予約頂いております、橘様でいらっしゃいますね」
玄関を入ると、女将と数人の仲居が出迎えてくれた。
自分たちの部屋と、両親の部屋を二つ。
家族向きの広い客室なら、総檜風呂が着いているのだと宿側に勧められたが、寝る時に両親と一緒というのは、…ちょっと都合が悪い。
そのかわり、彼らに楽しんでもらうためのオプションに、気を配ってもらった。

「お食事は朝夕とも、料亭の個室をご用意しておりますので。お部屋係の者に、お食事の予定時間をお伝え下さいませ」
「まあ〜っ!料亭の個室!」
説明されるたびに、母が嬉しそうにはしゃぐ。
料亭なんていう名前の店に、訪れる機会などそうそうあるわけもない。
更に個室でのんびりと、上げ膳据え膳の食事を頂くだなんて…主婦にとっては夢心地の贅沢。
「たまにはお食事のご用意を、していただくのも良いでしょう?」
「もう〜!いつも橘さんは、素敵なところをご用意して下さるのねえっ!」
エントランス横のラウンジで、ウェルカムコーヒーをもてなされる二人は、すっかり浮き足立っている。



まず、両親の部屋に案内された。
「素敵だわ〜。まるで絵を見ているようねえ!」
大きなガラス窓からは、辺り一面緑がきらめき、遠くには山並みが望める。
耳を澄ませば、渓流の音や虫の声が響く。
「もう少し遅い時期であれば、紅葉も楽しめると思うのですが。生憎今の時期では、ちょっと無理でしたね」
「あら!そんなこと、気にしなくて良いんですのよ!橘さん、秋はお忙しいんですものっ!ねえ、あかね!」
「え?あ…うん…」
申し訳なさそうに話す友雅に、母が浮かれながら振り向く。
そしてあかねは、両親の浮かれ状態をやや呆れて見ている。

古典芸能に関わる彼は、季節に応じたイベントに引っ張り出されることが多い。
春には夜桜と共に、秋は紅葉や秋草に彩られて。
更に中秋の名月の時期ともなると、月光に照らされながら管弦の夕べ……。
そんな風にして、四季折々にスケジュールは目白押し。
普段から琵琶の講師をしつつ、更に演奏会だなんて忙しいだろうなと思うが、割と友雅は気楽に構えている。
思えば京にいた頃も、こんなものだったからね、と笑って。

「それじゃ…あかね、私たちも部屋に行こうか」
友雅が、肩を叩いた。
部屋には既に仲居がいるが、廊下にもう1人待機している。
彼女は、あかねたちの部屋の世話係だ。
「じゃあね。何か用事があったら、部屋の電話で連絡して」
「はいはい、分かったわよー」
完全に舞い上がっている母の耳に、果たして娘の声が届いているかどうか…かなりアヤシイ。
取り敢えず、そろそろ自分たちもくつろげる場所に移動するため、二人は両親の部屋を後にした。



通された部屋は、両親の部屋から割と離れた場所だった。
施設案内マップを見ると、あちらからは大体反対側になるだろうか。
向こうの部屋は山の景色が望めるが、ここは渓流側。山の景色はあまり望めない。
が、せせらぎの音は近くに聞こえるし、木漏れ日がきらきらと反射する川の流れは、なかなかに良い眺めだ。

「まったくもう、今からあんなにはしゃいじゃって、大丈夫なんですかねえ、うちの両親」
「良いんじゃないかい?喜んでもらうつもりで、お連れしたんだから」
ひととおりの世話を終えた仲居も、席を立ってから10分ほど過ぎた。
少しぬるくなったお茶を飲みながら、あかねはバッグの荷物を取り出している。

向こうもこちらも、同じような二間続きの純和室。
障子の向こうはまだ何も無いが、夕方になれば布団が用意される。
もちろん、二人分。
「でも、すごく立派なお宿。あの、お値段って結構…高いですよね…?」
「まあ安くはないよ。だけど、安っぽいところじゃ親孝行にならないだろう?」
…親孝行…。
「そう、ちょっと気が早いけど。私はそのつもりで、奮発したんだけどね」
大切な彼女の、大切な両親。
自分を快く受け入れてくれる、将来義父母となる彼らに、たまにはのんびりと過ごしてもらいたいから。

「ふふっ…今の言葉を両親が聞いたら、嬉しくて飛び上がっちゃいますよ」
「本当に?」
「んー、でも既にテンション上がってましたけどね」
父も母も、最初から友雅に関しては好意的だ(母の場合は桁外れだが)。
両親の方が(というより母)結婚を後押ししたくらいだから、彼が息子のように労ってくれるのは、さぞかし嬉しいことだろう。
……まあ、大体それで大はしゃぎするのは、母の方だけれど。

「あ、でもご機嫌取りが理由で、こんなことをしているのではないよ?」
土の暖かみが残る湯呑みに、二杯目の茶を急須から注ぐと、それを受け取った友雅が答えた。
「心から、御両親にはのんびり過ごして欲しいんだよ。誤解されないように、言っておいてくれるかい」
「うん、分かってます。そんな風には、思ってませんよ…きっと」
きっと今頃は、二人で友雅を話のネタにして、賑わっているだろう。
"ホントに橘さんて、もう〜!"とか、また黄色い声出しちゃったりしてね…。

「何?」
くすくす笑っているあかねの顔を、友雅が覗き込む。
「ん…何でもないです。娘の私からも、お礼を言いますね。両親に気を遣って下さって、ありがとうございます」
「そういうのは、なしだよ。他人行儀なことは、私たちには必要ないだろう?」
コトン、と湯呑みがテーブルの上に戻されて。
腕を引き寄せられて、閉じ込められる。
ほろ苦い緑茶と、甘いゼリーの味がする口付けの最中に、部屋の電話が鳴り響く。

『もしもし、あかねー?あのねえ、これからお風呂行こうと思うんだけど、一緒に行きましょうよ!』
娘の恋人には全面好意的な母も、たまにお邪魔虫になるので、ちょっとだけ困る。



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Megumi,Ka

suga