Summer Precious

 003

観光とは言っても、高原とは名ばかりの場所である。
どちらかと言えば山に近いだろうか。
軽井沢や清里のように、洒落た避暑地という風情とは全く違う。
車を走らせていても、見えるのは鬱蒼とした緑の林。
時折湖や、青々とした山並みが遠く望める…そんな土地だ。

「きゃー!冷たい〜!」
フロントに置かれたガイドらしきものを、いくつか持って出掛けてきた。
一応観光客のためにと、レストランや雑貨など、所謂お土産になるものを扱う店が紹介されているが、敢えてそこから離れて、二人は少し山を入った。
しばらくすると、小さな滝が見えてくる。
山の中であることから、知る人ぞ知ると言った穴場のリラクゼーションスポットらしい。

滝壺付近の岩場には、澄み切った水が溢れている。
さっそくあかねは靴を放り出し、その中へと飛び込んだ。
「すっごい気持ち良い〜!水底の石も、つやつや丸々してる!」
ばしゃばしゃわざと大きな音を立て、あかねは水と戯れる。
頭上は鮮やかな夏の緑が、天然のオーニングを作り出していた。

「でも、すっごい癒されるー。空気も美味しいし、気持ち良いしー」
両手を大きく広げて、すうっとあかねは深く深呼吸する。
ほのかに緑の香り。水の匂い。
吸い込むそれらの空気が、身体を中から浄化していくような感じ。
「癒されたいような、ストレスでもため込んでいたのかい?」
「うん…?別にそういうわけじゃないですよ、単に、言葉のあやです。」
ちょっとしたストレスは、数え切れないほどいくらでもある。
だけど、わざわざ気にするようなものでもないし。
それらはすべて、自分でスルー出来るくらいの些細なものだ。

「そうか、良かったよ。あかねがそんな思いをしていなくて。」
どんどん一緒にいる時間が増えるのに、近くにいてそんな彼女の変化に気付けなかったら、自己嫌悪に陥っていたところだ。
「大丈夫ですよー。適度にいつもリラックスしてますから。」
ぱしゃん!とつま先で水面を弾く。
桜の花びらみたいな、ペティキュアを塗った足が見える。
「あかねは、どういう風なリラックス法をしているんだい?」
「えー?そうですねえ…」
気分転換に、土手をのんびり散歩してみたり。
一番気に入っている入浴剤でお風呂に入ったり。
アロマオイルを焚いたり、敢えてダイエットのことは考えないで、大好きなアイスを食べたり。
「いろいろありますよ。そういう癒しの方法を考えたりするのも、ちょっと面白いんです。」
すっかり足が冷えたのか、あかねはそう言ったあとで水から上がった。

木陰にいた友雅の隣に座ると、バッグの上に置いておいたハンドタオルを、彼が手渡してくれた。
はしゃぎすぎて、膝までびしょ濡れ。
スカートの裾が濡れてないことだけは、幸いだったかも。
「私も、癒す方法を見付けてみようかな」
「うん、楽しいですよ?」
素足を伸ばして、つま先から水を拭き取っていく。
すると、隣から伸びてきた手のひらが、あかねの足を掴んで軽く引っ張った。
「きゃああっ、何するんですか〜っ!」
腰が崩れてよろめいて、片足を引っ張られるから…慌ててスカートを押さえる。
さほど暑くないのに赤くして、必死に乱れた裾を整えるあかねだが、友雅は掴んだ足を持ち上げて、桜色の親指に口づけする。

「ね、あかねを癒してあげるには、どんなことをすれば良い?」
「え…ええ?な、何がですかっ?何のことですかあっ?」
「あかねが癒されているのを見るのが、私の癒し……だとしたら、どんなことをすれば良いかな?」
そんなこと、こんな体勢で尋ねられても!
調子に乗って彼は、口づけどころか指を何度も甘噛みするし…!
「ひゃっ…!」
かと思えば、その舌がぺろりと指を舐める。
身体の神経に刺激が走る。

「す、少なくともっ、今みたいな状態じゃないです〜っ!!!」
彼の手が腰に添えられ、姿勢が少し傾き掛けたところで、あかねはぐっと目をつぶった。
こんなエロいこと仕掛けられて、身体を寄せられて。
更に目の前で艶やかに微笑まれたら…癒しだなんて、まったく逆効果だ。
「そうか。残念。」
必死にあかねが答えると、割とあっさり友雅は引き下がった。
こういう時、押しの一手が上手い彼は、何のかんのと押し切ってしまうことが多々ある。
だからさっと身を引かれると、かえって少し拍子抜け…みたいな?

「こういうのは、あかねを癒せないか…」
「あ、あたりまえですよっ。落ち着くどころか…っ」
「……逆に、興奮した?」
引き下がったのもつかの間。
鼻の先が擦れ合うくらい、ぐっと友雅の顔が間近に迫る。

「でもね、リラックスしているあかねも良いけど、興奮している時のあかねは、もっと良い。」
「なっ、何を…!!」
目を逸らそうとしても、ここまで近いと何も出来ない。
後ろは岩場だし、目の前は滝壺だし。
何より真っ正面には、彼の身体が立ち塞がっている。
「いっそのこと、興奮させちゃおうかな」
指先が、そっと顎のラインをなぞる。
あちこちで脈が波打つ。
ソフトなタッチの指が、首から襟元を辿るように下りる。
「あかねは、自分で癒しの方法を知っているんだろう?だったら私は、あかねが自分で出来ない"興奮させる"方を、是非試したいねえ」
「…何っ……」
忍び込む舌が、口の中で動く。
抱きしめる腕が力を強めて、目眩するほど情熱的なキスの繰り返し。
涼しげな水のせせらぎ。
ひんやりした、緑の空気。
小鳥のさえずりさえ聞こえる、癒し満点のこの場所で---------心の中に、炎が灯る。

「だっ…これ以上はダメ…!」
半分押し倒され掛かり、唇が胸元まで下りたところで、何とかあかねは理性に打ち勝った。
いくらまったく人気がないからって、ここで強行突破されては色々困る。
「べ、別に今は…こ、興奮するようなことは必要ないんでっ…」
「ふうん?そうなの?」
そう、別に必要ではない。
ただ…"興奮したい"とは思わないけれど、"興奮してしまう"場合は、抑えるのが結構難しいもの。
今はまさに、後者の状態。高まる鼓動と熱を帯びる肌。
友雅の手が触れているだけで、平常心は失われる。

あかねの上から起き上がり、友雅は立ち上がった。
乱れた服を直している間、彼は滝壺の水辺に近付いて、何か底を眺めている。
「何かあるんですか?」
「小さい魚がね、たくさん泳いでいるよ、」
後ろから覗き込んでみると、確かにそこには無数の小魚がいた。
さっきは気付かなかったのに。
もしかして水をばしゃばしゃ騒いでいたから、逃げ込んでいたのかな…と思うと、少し罪悪感も芽生えたりした。

「残念だな。もう少しで、こんな風に泳ぐあかねの姿が見られたのに。」
「…は?」
「気持ち良さそうに泳いでるじゃないか。あかねも、泳ぎたいと思わない?」
ここで行水でもしろというのか?
でも、滝があるんじゃ滝行になってしまうし、水着も持っていないのにそこまでは出来ない。
例え…見ているのが彼だけでも。

「見たかったねえ。私の腕の中で泳ぐ、あかねの姿。」
………!!!!!
その意味が分かって、かーっと一気にあかねの顔が赤面した。

「さ、そろそろ行こうか。」
平然として、彼は肩を抱きながら歩き出す。
こっちがどれほど、ドキドキしているかも知らないで。



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Megumi,Ka

suga