Summer Precious

 002

「今日も良いお天気ー」
ぐーっと身体を伸ばし、枕に沈んだ首を後ろに反らせる。
ヘッドボードの上にある窓からは、青々とした夏の緑が覗く。

「ね、鳥の声が聞こえますよ。」
「蝉の声は暑苦しいけれど、鳥の声は良いね。清々しい気分になる。」
友雅の腕の中で、ぐるりと体勢を変える。
唇に小さな目覚めのキスが落ちて、互いに腕を身体に絡めた。

「よく眠れた?」
「んー、まあ一応…。友雅さんは?夕べは長く運転してたから、疲れちゃったでしょう?」
「いいや。何度か休み休み来たから、思ったほどは疲れていないよ。」
金曜の夜に家を出発し、友雅の運転でこの高原にやって来た。
延々4時間近くを走り続け、ようやく到着したのは深夜1時も回ったころ。
まずは一息ついて…という余裕もなく、寝室に入ったとたん、二人とも眠ってしまった。
そうして--------気付いたら、朝。

ナイトテーブルの上に、無造作に置きっぱなしになっている車のキー。
それを眺めながら、ぽつりとあかねがつぶやいた。
「私も免許、取ろうかなあ。」
既に18は過ぎているし、周りの友人達も殆どが免許を取得している。
大学の学生証もあるけれど、身分証明書としても免許は重宝する。
「あかねは、危ないから止めていた方が良いよ。」
「でも、持ってたら友雅さんだけに、運転任せっきりにしなくても良かったじゃないですか。」
友雅だって、金曜の稽古を終えてからの出発だった。
おそらく疲れていたはずなのに、4時間も暗い山道を運転してくれたのだ。
免許があれば、交替してあげられたのに…と、あかねは言う。
「持っていた方が、絶対に便利ですよ。」
「…そうかもしれないけど、ね」
自分の車は、そう簡単に買えないけれど、父も母もそれぞれ車を持っているし。
母の軽自動なら貸してくれそうだし、完全にペーパーにはならなくて済むかも…と思うのだが。

「でも、しばらくは私に運転させなさい。」
友雅の指先が、あかねの唇に触れる。
「エスコートしてあげたい私の気持ちも、少しは分かってくれないかな」
「うーん…じゃ、もうちょっとだけ頼っちゃいます」
「ふふ…嬉しいね。いくらでも甘えておくれ。」
指を離して、代わりに唇を押し当てて。
背中に回る手が身体を抱きしめ、肌と肌が密着して少し汗ばむけれど、不快感なんて全然ない。

春に約束したとおり、夏休みはふたりきりでの旅行。
緑溢れる高原に、ひっそり佇んでいるいくつもの貸別荘群。
それらは十分に距離を取られ、個々のプライベートエリアを乱すことはない。
会員制であるから客も多くはなく、敷地内にはレストランやジャグジー・プールなどの施設もある。
「今日の朝食は、レストランに行って食べようか。」
基本的に自炊出来るようになっているが、何せ夕べ遅くに到着したため、買い出しも出来ず食材もゼロ。
食事はいつも以上に私が腕を振るいます!と、出掛ける前に気合いたっぷりだったあかねだが、これではどうしようもない。
「食事を済ませて、早めに出掛けよう。買い出しとかもしなきゃならないしね」
「ん、そうですよね!じゃあ、もう起きちゃお!」
友雅の隣からむくっと起き上がり、改めてあかねは両手をぐうっと天に向けて伸ばした。
短い睡眠時間だったが、深く眠れたみたいで身体が軽い。

「じゃ、私は軽くシャワー浴びてくるよ。」
あかねに続いて、友雅もベッドから降りた。
バスルームは一階にあるが、ローブやタオルなどはクローゼットにも予備がある。
適当にそれらを一式手に取り、彼はドアの方へ。
そしてあかねは、ベランダに続く大きな窓のカーテンを開け、朝日に輝く緑を眺めながら、もう一回全身を伸ばしてみる。

「あかね」
「はい?」
名前を呼ばれて、あかねは振り返った。
するとドアの方にいたはずの彼が、いつのまにか背後に立っている。
そして広げた両腕を、後ろから包むように伸ばしてきた。
「これ、可愛いね。」
「え?」
突然そんな讃辞。一体何のことだろう?と、あかねが首を傾げていると、彼の指先がストラップの間に忍び込む。
「新しいやつだろう。あかねの肌に、よく似合ってるよ。」
よく磨かれたガラス窓に、どきっとするほど艶やかな笑顔が映る。
同時に、自分を抱きしめる彼の腕。
素肌の肩に添えられた、甘い唇。

「こういう格好を見ると、つい脱がせたい衝動に駆られるけど…。」
「んんっ?んもー、またそういうこと考えるーっ!」
かあっと顔を赤らめて、つんつんと友雅の手の甲を突く。
「ふふ…でも、その姿も可愛いから、脱がすのは勿体ないな。」
と、彼は笑いながらあかねから離れた。

バスローブとタオルを手に、友雅は寝室を出ていく。
一人になったあかねは、改めてぐるりと部屋を見渡してみた。
オークブラウンのアンティークなダブルベッド、ローズウッドの大きな格子戸。
広々としたクローゼットに、無造作に置きっぱなしの荷物が二つ。
ラブソファの上に、脱いだままになっている二人の服。
ドレッサーのミラーに映る、下着だけの自分の姿。
夕べは着替えるのも面倒だったから、服だけ脱いでそのままベッドに潜ってしまったんだっけ。
だから、彼が"よく似合う"と言っていたのは、つまり……。

「うふふっ」
すたすたとミラーの前に行き、上半身を映して思い出し笑いが浮かぶ。
初めて身に着けた、買ったばかりのとっておき。
友雅さん、すぐ気付いてくれたんだー。
照れくさいけどやっぱり嬉しくって、つい顔がほころんだ。


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高原の気温は、都会と比べればぐっと涼しい。
しかしそれでも日中は、30度近くなる場合もあると言うから、油断は出来ない。
「いくら車の中でも、食材は持ち歩くと傷みやすそうだからね。マーケットは帰りに寄ろうか。」
「そうですねえ。腐ったりしたら嫌ですもんね。」
早めに宿を出たのは良いけれど、外は眩しいほどの晴天だ。
このままふらりと出歩いたら、車内はかなりの高温に上昇してしまうはず。
「買い物は後回しにして、遊びを先にしちゃうかい?」
「賛成ー!まだ時間も早いし、人も少なそうだし、その方が良いと思いまーす!」
「はは、じゃあ姫君のご所望。エスコートさせて頂こうか。」
助手席に回って、ドアを開けて。
さあどうぞ、とあかねを先に乗せる。

「では、出発しようか。」
運転席に乗り込み、エンジンが掛かる。
まだまだ静かな高原の並木道を、ゆっくりと車は走り出した。



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Megumi,Ka

suga