Cinnamon Kiss

 002

「意外と良い感じだったねー!」
幕が下りて、客席がざわめき始める。
徐々に席を立つ観客たちに続いて、あかね達もホールを出てエントランスへと向かった。
和服姿のやや年配の女性の姿が、ぽつぽつと見受けられる。舞台に立った同級生の保護者だろうか。
あかねと同年代の女性たちもいるが、彼女たちも何人かは和服姿だ。
「良いね、着物。今度誘われたら和服で来ようかな?」
賑やかに話し合う友人の声など、全然頭に入って来ない。
舞台と客席で見つめ合った時から、あかねは友雅のことで頭がいっぱいなのだ。

「ねえ元宮さん、早くおいでよー!」
「えっ?」
はっとして振り返ると、友人たちは裏口へ続く通路前で手招きをする。
「どこに行くの?」
「楽屋だよ、楽屋。」
チケットを買わされた友達に、ねぎらいの言葉を掛けに行くのだと言う。

警備員に学生証を見せると、楽屋への入室を許可された。
いくつかある控室のネームプレートを確認し、"K女短大ご一同様"と書かれた部屋を見つけ、軽くノックする。
内側からドアが開くと、さっきまで舞台に立っていた同級生が顔を出した。
「お疲れ様ー、すごく良かったよー」
いっぱいの花束で埋め尽くされた、小さな控え室に若い女性が十数人。
狭いながらも和やかな雰囲気で、いつものような女の子同士の会話が弾ける。
こうして見ると、やっぱり自分と同じ女子大生。
でも、舞台に立てば友雅たちと一緒に、演奏が出来る技術を持っている。
そう思うと、ちょっとだけ悔しい気がしないでもない。

「ほらほらみんな、おしゃべりばっかりしてると、打ち上げの店がしまってしまうぞー。早くしなさい。」
ドアを開けて顔を出したのは、50代後半くらいの男性。
舞台で挨拶をしていた彼が、笛を教えるお師匠様の一人なのだそうだ。
「じゃ、これから予定があるから、ごめんねー。今日はありがと。」
手を振り合って、あかねたちは控え室を出た。



「どうする?私たちも、どこかでご飯食べて帰ろうかー」
薄暗い廊下を歩きながら、これからの予定をみんなで話し合う。
時計は既に8時半くらいになるけれど、夕飯もまだだし。
何か軽いもので良いから、食べて帰ろうか……。
と、相談していた時、やけに聞き覚えのある声が響いて来た。

「ほほほほっ!でも、本当に素敵でしたわよぉー。ねえー、奥様っ!」
「ええ、もうホント!拝見出来て良かったわー!」
………この声。
………このはしゃぎっぷり。
-----------------------------まさかっ!!!
あかねはその場で立ち止まり、くるっと後ろを振り返った。
そこにいたのは…紛れもなく母!
そして母の友人が3人。あかねも小さい頃から、顔なじみの叔母さま方。
彼女たちがはしゃいでいる理由は、ただひとつ。
取り囲まれている、彼の存在。

何でお母さんたちが、ここにいるのぉぉぉっ!!!
娘の私が全然知らなかったっていうのに、どうしてお母さんたちは友雅さんが出るの知ってるのよぉっ!?
まず、どうして友雅が今日の舞台にいたのか。
それを何故、自分に教えてくれなかったのか。
でもって、どうしてここに母たちがいるのか。
更に、何故母は友雅の出演を知っているのか。
ああもう、分からないことが次々に溢れて来て、完全にパニック状態。

「元宮さん、どうしたのー?」
立ち尽くしているあかねに気付いて、友人たちが振り返る。
が、同時に向こう側からやって来た母が、あかねの姿に気付いた。
「あらっ、あか……」
母が手を伸ばして、あかねの名前を呼ぼうとした。
だが、その手は途中でぴたりと止まり、声もあかねの名を言い切る前に途切れた。
母がこっちに来る!と思っていたのに、拍子抜けな展開に逆にあかねは戸惑う。
すると、友雅が母にそっと耳打ちをしている。

……何だろう。友雅さん、お母さんにコソコソ何を言ってるんだろ…。
彼は最初だけあかねを見たが、それっきりこちらに視線を向けない。
話し掛けてくる様子もないし、母や母の知人と小声で何かを話している。

しばらくすると、急に友雅はあかねの母たちの背中を押しながら、くるっと振り返って来た道を戻って行く。
……ええっ?何、この状態って…!
まるでシカトしてるみたいに、全くこちらに反応を示さずに友雅は立ち去る。
一体どういうことなのよぉ…??
私、何も悪いことはしてないよねっ?別に怒ってた様子でもないし。
本当に、ただ無視していたという感じ。
でも、何で彼に無視されなきゃいけないんだろう…。
呆然としているあかねだったが、彼は何の反応も見せずに出て行ってしまう。

「ねえ、今出てった人って…後ろの方で琵琶弾いてた人だよね?」
ぎくっとして、友人の顔を見る。
「何かさー、ちょっと素敵じゃない?他の人よりずっと若いし。」
友雅の年齢でも、他の専門家が50代〜60代くらいなので、それと比べれば目立つほどに若い。
それに、何より女性の目を惹きつける、艶やかさと華やかさがあるから…。
「後ろにいるのに、ずっとあの人ばっか見ちゃったよ、私」
「ホントー?実は私もっ!」
あんな人がお稽古してくれるなら、同好会に入っても良いな…とか、そんなことまで言っているが、あかねの様子には気付いていない。

「名前、何て言うんだろうね?パンフに書いてなかったよね?」
「あとで聞いてみようよ。お師匠さんの誰かが知ってるんじゃない?」
そうなのだ。書いてあるなら、彼が後半で登場する前に分かったのだ。
なのに書いていなかったということは…もしかして、急に決まった出演だったのだろうか。
だったら、何でまた母は知っていたのか。

…まあ、お母さん、友雅さんのことなら地獄耳だからね…。
いつのまにか同行する知人までいて、ぞろぞろと演奏会に顔を出すくらいだし。
はあ、とこぼした溜息が重い。

「元宮さーん、早く行こうよ。公園前のデリカフェで良いよね?」
「あ…うん。」
取り敢えず、家に帰ったら母にいろいろ聞いてみよう。
彼が何故、今日の舞台にいたのかも知っているだろうし。
何より、さっきの素振りも気になるし…。
どことなく後ろ髪を引かれつつ、あかねは友達と一緒に駐車場へと向かった。



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Megumi,Ka

suga