Cinnamon Kiss

 001

ひらひらと、目の前でちらつかせられた一枚の紙切れ。
指先はピンク色のネイル。
顔を上げると、同級生のMが立っている。
「ね、元宮さん…今週の木曜日の午後って、暇?」
「木曜?夕方なら大丈夫だけど…」
あかねがそう答えると、彼女はホッとした顔で椅子に座った。
そして、手にしていた紙切れを、あかねの前にスッと差し出す。
「あのね、友達が入ってる同好会で買わされたチケットなの。元宮さん、どうかなと思って。」

差し出されたチケットを、あかねは手に取り視線を落とす。
………古典芸能ワークショップ?
「二ヶ月に一度、おさらい会みたいな意味で発表会をするんだって。それで、チケットを買わされたんだけど。」
古典芸能同好会とは、短大にあるいくつかの同好会のひとつ。
日舞や和楽器を、専門家を招いて教えてもらう…というものだそうで。
まあ、つまりお稽古ごとみたいなものだ。
「半額で良いから、買い取ってもらえないかなあ?」
友達からもらったので、座席はかなり前の良いところのようだ。
だから、空席にするわけにもいかなくて、困っているとMは言う。

「元宮さん、こういうの興味ない?」
「んー…。ないってほどでもないけど…」
正直、自分自身は古典芸能など、よく分からない。
しかし、自分は分からなくても彼が…その道の専門家だから、非日常的というわけでもない。
「私も実際、よく分かんないのよね。でも、それほど長い時間じゃないだろうと思うし…。どうかな?」
木曜日の午後6時開演。
場所は…ああ、以前友雅の演奏会で行った、駅の反対側にあるホールだ。
ただし、今回は小ホールだが。

今回は和楽器の演奏会。
琴、箏、尺八、横笛……そして、琵琶。
琵琶かぁ…。
同い年くらいで、琵琶なんか習ってる人がいるんだ…。
友雅の教室に通うのは、一番若くても20代半ばくらいの女性だと聞いている。
自分と同世代なら、せいぜいピアノとかバイオリンとかだと思っていたのに。
人の趣味は、本当に十人十色なのだなあ、と改めて感じる。
「良いよ。私行く。ちょっとなら和楽器の演奏、見たことあるし。」
「ホント?良かった!何か元宮さんだったら、こういうの肌にあうんじゃないかなーと思ったの!」
理由は"何となく"だったらしいが、まあそれは良いとして。
あかねはピンク色の財布から、チケットと交換で500円玉硬貨をMに手渡した。



木曜日。
午後の講義が終わったあとで、あかねはMの車に乗せてもらい、演奏会場のホールへと向かった。
これまで行ったことのない小ホールは、規模は小さいが綺麗な内装。
古典芸能というより、ピアノのリサイタルなどが似合うような、淡い色調の建物だった。
"K女子学院短期大学・古典芸能同好会/春の発表会"
ホールの前に、達筆な字で掲げられている。

Mや他の友達と一緒に、チケットに書かれた座席に向かう。
辿り着いてみると…ほぼ真正面という位置で、前から3列目。
確かにこんな席で空席があっては、舞台に上がる者もテンションが低くなってしまうだろう。
席に座りパンフレットを開いてみると、演奏曲目が書かれている。
「うーん、正直よく分かんないわぁ…」
友人たちは声を揃える。
が、あかねは、彼の演奏会で聞いたことのあるものが、数曲あったので少しホッとした。


まもなくして、幕が上がった。
舞台の上に立っているのは、自分と同じくらいの女性ばかり。
そりゃそうだ。うちの短大の同好会メンバーなのだから。
しかし、分かっていても何となく新鮮な光景ではある。
今までこんな風に琴をつまびき、琵琶を奏でる者たちの演奏会の舞台で、若い女性の姿など殆どなかったのだ。
更に驚くことに、彼女たちは何の迷いもなく、楽器を平然とした様子で奏でる。
稽古を受けているのだから、それはあたりまえのことなのだが、それがよけいにあかねにも驚きを与える。
これまでに、何度か友雅に琵琶を教えてもらった。
琵琶の持ち方から指先の使い方まで、それは丁寧に教えてくれたのだけれど…やはり自分には、理解不能な楽器だった。

やっぱり琵琶は、弾くより聞いている方が良い。
それも出来ることなら、彼の奏でる音で---------なんて。
目の前の舞台で同級生が頑張っているのに、失礼なこと考えちゃった、と心の中でそっとあかねは謝った。


十五分の休憩を挟み、後半の演奏が始まった。
前半は同好会のメンバーのおひろめ演奏が中心だったが、後半はプロが参加しての演奏となる。
以前友雅がやっていたように、カルチャーセンターなどで教えている専門家だ。
それぞれの担当楽器を携え、同級生たちが前に、演奏家たちは後ろに、と配置に着く。
「うわ、後半は本格的な感じだねえ」
隣に座るMが、こそこそとあかねに耳打ちをする。
が、そんな彼女の声など、まったく伝わっていなかった。
ただ、真正面にある舞台の上を、あかねはじっと凝視する。
何故か。
確かに舞台の後ろの列に、琵琶を抱えた彼の姿があったからだ。

え、嘘っ!!
友雅さん、こんな演奏会に出るなんて、全然聞いてないんだけどっ…!!

毎週彼は、自分にどんな予定があるのかを、簡単にあかねに説明してくれる。
演奏会がある時は、いつ・どこで…ということも教えてくれるし、あかねが行けそうなものならチケットを渡してくれる。
でも、こんなところに出るという話は、一切聞いたことはなかった。
短大の名前を見れば、あかねが通っているところだと分かるはずだし、何の連絡もくれないなんて…彼だったらあり得ないのに。

しかし、舞台にいるのは間違いなく友雅だ。
緩く束ねた長い髪も、少し伏せ目がちに弦をつま弾く表情も、あかねが間違えるはずがない。
ただし、いつもあかねが席にいる時は、幾度か顔を上げてくれる優しい仕草は…ないけれど。
友雅もまさか、彼女がここに来ているとは、思っていないのかも知れない。


ひとつめの演奏が終わると、拍手と共に皆が楽器から手を離した。
そして、同好会に稽古をしている演奏家の一人が、マイクを渡されてトークが始まった。
「本日はお越しいただきまして、ありがとうございます。K女子学院のうら若き名演奏者による一曲、お楽しみいただけましたでしょうか」
などと、和やかなムードで話を広げ、場内は柔らかい雰囲気に包まれる。
時々笑いも起こったが、それに乗り切れないまま、相変わらずあかねは一人をじっと見つめている。

しばらくして、膝の上に琵琶を置いた彼が顔を上げた。

-------視線がぶつかる。

二人はお互いの存在に呆然として、声もなく見つめ合った。



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Megumi,Ka

suga