あかねの自宅に寄ってから、友雅はマンションに戻って来た。
夕飯をどうぞ一緒に、と熱心に勧めてくれたのだが、敢えて今回は遠慮しておいた。
深刻ではないにしろ、倒れた彼女の母のこともあるし。
変に自分がいて興奮させては、ゆっくり休むことも出来ないだろう…と思ったからだった。
玄関のドアを開け、暗い室内の照明を灯す。
普段はキッチンとリビングの明かりを着けるのだが、今夜は何となく薄暗い空間に身を沈めたい気がした。
リビングの明かりを、いつもより一段暗いものにして。
その代わり、インテリア照明の行灯を灯した。
拍子木で格子に組まれた骨組みに、和紙が張られた行灯のランプは、優しい光で部屋を照らしてくれる。
まるで、月明かりが降り注ぐ部屋のように。
脱いだジャケットを放り出して、ごろりとソファの上に身を横たえる。
今日は…さすがに疲れた。
動き回ったとか、そんな体力的な意味ではなくて、気持ち的なものでの疲れだ。
どう言えば、彼女の両親に分かってもらえるだろう。
自分が出会って来た者たちの中で、初めて心を満たしてくれた彼女への想いを。
何度も考えて、でも余計なことは考えないようにして。
飾ったところで、本心はごまかしきれない。
そう最後は割り切って出掛けたけれど、やはり打ち明けるときは…心底気を張った。
…でも、これで何とか将来の目処が立ったな。
100%のうち、どの程度想いが伝わりきれたか分からないが…笑顔で喜んでくれた二人の姿を、今はただ信じたい。
幸せにするために、ここにいるんだよ。
私に教えてくれた幸せを、これからは君に倍にして返してあげるために。
広げた手のひらを宙に翳して、輝く指輪を見つめてキスをする。
もう一人の指輪の持ち主に、口付けるように、優しく。
春の香りがした。
それも、ごく近くで。
咲き乱れる花の匂いに似た、それでいて甘く優しく……時に艶やかさを思い出させる、その香り。
「あ…起こしちゃいました?」
香りに誘われて目を開くと、そばに彼女が座っていた。
「…あれ?今日は連れて帰って来なかったよ…ね?」
間違いなく自宅に寄って、両親と一緒に送り届けたはず。
玄関先まで見送ってくれた姿も、ミラーに映る姿が遠ざかっていくのも、ちゃんと覚えているのに。
「…来ちゃいました。」
棚の上にある時計は、午後9時過ぎ。
うたた寝程度のつもりだったのに、随分と長く寝ていた自分にも驚いたが、何よりも彼女がここにいることの方が驚いた。
ゆっくりと身体を起こし、ちゃんと部屋の明かりを着けてやろう。
そう思ってリモコンに手を伸ばそうとすると、急に胸に重みを感じた。
腕の中に転がり込んで来た、春の匂い。
柔らかいぬくもりは、いつだって忘れられない愛しい感触。
「一緒にいたかったんです…今日くらいは。………離れていたくなくって…」
力を強めても、その手は払い除けられるほど、ささやかなもの。
でも、離せない。離れられなくて、離したくない。
「今夜は…一緒にいても良いでしょう?」
「今夜だけ?そんなのは許さないよ。」
たった一夜なんて、耐えられない。
この指輪には、そんな一時の約束を込めたわけじゃない。
「無期限じゃないと、だめだよ。」
ずっとこれからも、どんな時でもそばにいて欲しい。
寄り添って、抱きしめて、互いの心を確かめ合えるように。
「一生を捧げるって、ご両親にも誓ったんだから。その約束…ちゃんと実行させておくれ。」
指先で髪を梳くいあげ、頬を近付け。
抱きしめ合ったまま、もう一度ソファの上に寝転がる。
優しい明かりがぼんやり照らす。
そうして、口付けから始まって-------------
--------愛に満たされた夜は、ゆっくりと過ぎて行く。
窓ガラスを覆う障子から、朝の陽射しが透けて来ている。
布団の中で、ごろごろと転げ回りながら、気付くとぴったりくっついて。
手を潜り込ませて相手の指先を探り、指輪がカチンとぶつかるのを確かめると、どちらからともなく手を握り合った。
「そろそろ起きるかい?」
「んー……もちょっと、ごろごろしたいなぁ…」
だって4月になって学校が始まったら、こんなにのんびり寝てられないもん。
そんなことが当然のように言って、あかねは毛布にくるまりながら笑った。
「じゃ、今日の朝は、また私が用意してあげようか。」
「パンケーキ?」
「悪いねえ。まだレパートリーが少ないから、それくらいしか出来ないものでね。」
先に布団から出ると、友雅は夕べ脱いだままのシャツに袖を通した。
「良いですよー。私、パンケーキ大好きでーす。」
ちょっと子どもっぽいけれど、あのバニラの甘い香りはやっぱり好き。
何だか懐かしくて、幸せな気分になるから。
「だったら…私とパンケーキと、どっちが好き?」
「えー?」
ごろんと寝返りを打つと、服を着ながら笑顔で見下ろす友雅がいる。
甘いパンケーキと、彼と。
きっと甘さは五分張るかもしれない……いや、もしかしたら、甘さは彼の方が勝ってしまうかも?
……なんて、そんな笑い話みたいな問い掛け。
答えを知っているくせに、わざとそういうことを投げてからかう、そういう人だ。
「友雅さんが作ってくれるから、好きなんです。」
枕を抱え込んで、にっこりと太陽みたいに笑って、あかねが答えた。
「…んぷっ!」
突然思い掛けなく、彼のパジャマが顔の上に放り投げられて来た。
「やっぱりあかねも起きておいで。一緒に朝食作ろう。」
布団の中でごろごろも良いが、そうしていたら側にいられない。
目に入るところで、すぐ声が聞こえるところにいてくれないと、心細いし物足りない。
「さ、早く服を着て。別に私は着ないままでも嬉しいけど、風邪を引かれちゃ困るしね。」
「あっ、あたりまえでしょうっ!もうっ…ちょっと待ってて下さい。すぐ着ますからっ!」
むくりと布団から起き上がって、大きな彼の服をばさっと被って。
立ち上がろうとすると、手を差し伸べてくれる。
「改めて、おはよう。良い朝だね。」
抱き寄せられて、キス。
一度目、二度目、三度目になる頃には、お互いの背中に手が回っていて。
「あかねと一緒だと、いつも良い朝を迎えられるよ。」
すっとそんな朝を迎えられるように、こうして手をつないで。
チョコレートソースよりも甘い、愛しい人とキスをして。
一日一日、幸せが積み重なって行く。
数年後、そんな生活が来ることを夢見て-----もう一度目を閉じた二人は、唇を重ねた。
-----THE END-----
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