My Precious

 006

かれこれ、1時間ほどが過ぎただろう。
突然に店が慌ただしくなって、部屋の中を従業員たちが騒々しく出入りする。
冷たいおしぼりを持ってこい。
布団を用意した方が良いんじゃないか。
取り敢えず医者を呼んだ方が良いかもしれない。
誰もがそんな風に騒ぐのも、当然のことだった。
そして、突然ふらっと倒れてしまった母は、あかねたちに見守られ安らかに眠っている。

店長が気を利かせて、近所の診療所から医師を呼んでくれた。
「ま、知恵熱みたいなもんです。何か、興奮するようなことがあったんですか?」
「は、まあその…」
どう言って良いやら。父は気まずそうに、笑いながら頭を掻く。
明らかにこの騒動の原因は、さっきの友雅の発言である。
夢に描いていた台詞を聞いて、相当大興奮してしまったんだろう。
が、まさか倒れるなんて。
「やはり、少々失礼なことを言ってしまいましたかね…」
「いやいや、橘さんが気にすることじゃないよ。むしろ家内のヤツ、嬉しくて興奮して倒れたんだから!」
幸い持病もなく、健康に差し障るものではないと聞き、皆はホッと胸を撫で下ろした。


とにかく、しばらくここで休ませてもらうことにした。
「申し訳ありません。本当ならあかねさんが短大卒業してから、きちんとご挨拶するつもりだったんですけれど」
「ん、まあそれは…構わんよ。」
既に二人とも、将来のことは合意しているというし。
こういう結果は、父にとっても願ったり叶ったりのことである。
「いや、でも…何だかなあ…ははは」
ふと目に入る友雅とあかねの姿に、顔がにやけるやらくすぐったいやら。
ちょこんと隣に寄り添って、並んだ指にお揃いのリングを輝かせて。
「はは…私も嬉しくってねえ。橘さんみたいな息子が出来ると思うとねぇ。」
一緒になってくれたら、良いだろうなあ。
最初、そんな言葉を口にしたのは…自分が先だったか、それとも妻の方だっただろうか。
どっちにしろ、気付くと同じような理想を描いていた。

「……では。認めて頂けますか」
すらっとした背筋を伸ばして、凛とした瞳で友雅は父を見る。
「こちらこそ、あかねをよろしく頼みますよ。」
「有り難うございます。そのお言葉を頂けることが、今の私には最高の幸せです。」
静かに頭を下げる友雅の腕に、あかねがぎゅっとしがみついた。

胸が詰まって、言葉が出て来ない。
でも、触れていたくて……少しでも、距離を狭めたくて。
あの日、二人で指切りした約束が、また一歩現実に近付いて行く。

「あかねこそ、橘さんに愛想尽かされないよう、しっかりするんだぞ!」
「は、はっ…?何っ?」
ぼんやりし過ぎているんだろうか。
今日は、やたらに父に話しかけられるたび、はっと我に返ることが多いような。
「橘さんはイケメンだからな!おまえがシャキッとしてないと、他の人にかっさらわれるぞ!?」
そ、そんなことを言われても…。
確かに、そういう心配はあるけれども。
と、わたわたしているあかねの横で、彼がくすっと思い出し笑いをした。
「いえ…お義父さん、それは私の方ですよ。私こそ、彼女に心配させられっぱなしですから。」
「何っ?おまえっ、何やらかしたんだ!」
あかねはぽかんとしていて、思い当たらないようだ。

「実は昨年のクリスマスの時、それがきっかけでプロポーズを……」
「あ、あああ!それは、それはもう良いじゃないですかーっ!」
例のクリスマスパーティー事件。
クラスメートの男子に、嫉妬してしまった挙げ句に辿り着いた、将来の約束。
「こちらが嫉妬しているのにも、全然気付かないんですからね。手放しで放ってはおけませんでした。」
今となっては、笑い話にも出来ること。
それでも、あの時の気持ちは変わらない。
誰にも渡したくない。自分だけの…彼女でいて欲しい。

「おまえは暢気だからなあ」
「な、何よ、お父さんまでっ!!」
そこで呆れるように、こちらを見なくても良いのに。
てきぱき、きびきび…なんて言葉に縁遠いくらい、充分言われなくても自覚してますっ!
「ふふっ…でも、そういうところが、あかねの可愛いところですからね。全部否定するわけにも、行きませんが。」
肩を抱き寄せられて、きゃっと声をあげる。
少しうつむいて頬を染め、髪に口付けをもらって。

目が覚めて、こんな二人が目の前にいたら、また嬉しくて倒れるんじゃないか?
眠る妻を見ながら考えてると、ようやくその本人は気がついたようだ。
「お母さん、大丈夫?」
「え…?あら、私ってば…どうしたのかしら」
「おまえ、突然ぶっ倒れたんだぞ。橘さんの話の途中で。」
話の途中………。
そういえば、彼がやけに真剣な話をしていて………

「あ、ああっ!た、橘さんっ!あ、あのっ!」
「はい、何でしょうか、お義母さん?」

お 義 母 さ ん

この、この台詞!この言葉の意味!
以前にも、そう呼ばれたことはあったけれど…今回はついに本当の意味で!
視界が薔薇色に染まって行く。花びらが舞い踊る。
目の前には、娘と彼が寄り添っている。
-----ついに夢が現実に!!!

「大丈夫ですか。自宅に戻って、ゆっくり休まれた方が良いですね。」
「え?平気ですわよ!ええ、別に全然何ともありませんもの!ほほほほほっ!ほほほほーっ!」
体調はどうあれ、テンションは何ともなくないだろう。
一体母の頭の中で、どれほどの極楽鳥が飛び回っているのか。中を見てみたいものだ。

呆れる父とあかねを尻目に、友雅だけがそっと立ち上がった。
そして彼は母のそばに行くと、その背中に手を宛てがう。
「倒れたのですから、安静にした方が良いですよ。自宅まで、お送りします。」
と彼が言った次の瞬間。
二人が"あっ!"と声をあげると同時に…友雅が母を抱き上げた。
「車までお連れしますよ。歩かれるのも、お疲れになるだけでしょう。」
「あ、あ、あああ〜〜〜!きゃあ〜〜〜〜!」

妙な叫び声がこだまして、慌てて従業員たちが再び駆けつけて来た。
友雅と母が駐車場へ向かったあとも、状況を説明するのにあかねと父は一苦労だった。

2010.01.10

Megumi,Ka

suga