My Precious

 005

二杯目のコーヒーは、あかねだけアイスコーヒーを頼んだ。
これから始まることを想像して、胸がどきどきして落ち着かないからだ。
熱いコーヒーでは、血流が更に早くなってしまいそう。
冷たいドリンクでクールダウンしなきゃ、じっと座っていられない。

「本当にお二人には、最初から親しくして頂いて感謝しているんです。これでもはじめの頃は、あかねさんの相手として、認めて頂けるか少々不安でしたのでね」
「あらま、そうでしたのっ?」
「やはり年が離れておりますからね。釣り合わないとか、はたまた遊ばれてるんじゃないかとか、反対されるのでは…と。」
「いやー、そんなこと気にせんでも!」
確かに最初あかねの口から、"会わせたい人がいる"と言われた時は、軽くパニックに陥った。
まだ年齢も年齢だったし、まさか結婚相手を連れてくるわけじゃないと思ったが、それでも男親としては複雑だった。
これでも大切な一人娘だし、変な男と付き合って泣きを見る姿は避けたいと。
逢うまではずっと、ハラハラし通しだったが。

「あかねは兄弟もいないし、随分甘やかしましたからね。だからかえって橘さんみたいな大人の方のほうが、安心ですよ!」
「お目付役にもなりますし?」
「いや、頼りになると言う意味でですよ!」
あんな複雑だった気持ちは、今や皆無。
一緒に酒を楽しみ、落ち着いた話題に花を咲かせられることが、父としても嬉しい存在になった。
娘も良いけれど、男同士で語り合える息子も良いな…と、そんな風に思い始めたのは、紹介されてからすぐだった。

コーヒーのカップを置いて、今度は母と向かい合おうとした友雅だったが、反応は彼女の方が早かった。
「わ、私もねえ、最初はどんな人を連れて来るか気にしてたんですのよ!でも、こーんな素敵な人を連れてくるなんて、びっくりしちゃいましたわー!」
「お母さん…」
これは完全に、頭のネジが吹っ飛んでいるに違いない。
友雅が口を開かずとも、勝手にどんどんしゃべり出しそうな勢いだ。
そして、娘のあかねの予想は的中した。

「もーねー、まさかうちの人並みな娘が、まさか橘さんみたいな素敵な人を恋人に出来るなんて!今でも信じられないんですのよ!」
「それほどたいした人間では…ないんですがね」
「いーえ!アイドルの若い子なんか、目じゃありませんわよ!ずーっと素敵ですわよっ!ホントにもう、あかねに勿体ないくらいですものっ!」
ハイテンションの母に、友雅も苦笑で返す。
同世代の知人たちを、彼の演奏会に招待したことがあった。
その時の、彼女たちの湧きようと言ったら…。
"彼はうちの娘の恋人でしてねー"と紹介したあと、羨望の目で見られたのがどれほど誇らしかったか!
ああ、いつか彼を"うちの息子ですの"と紹介してみたい!!!
密やかに母の中で、そんな野望が芽生え始めていた。
それが-------今、あかねと友雅の指に光る、あの指輪のプレゼントに繋がっていったのだ。

彼があかねと結ばれてくれたら………。
どちらからともなく、暗黙の了解で当然のように、今は二人ともそう思っている。


「しかし、かえって私なんかには、あかねさんは勿体ないのでは?と思ったりもしますけれどね。」
さらさらと流れる滝の音を背に、目を伏せた友雅は物憂げにつぶやいた。
「さきほど言ったように、それほどたいした男ではありませんから。彼女には、もっと良い男性がいるのではないか…なんて。」
「いやいや、そんなことは!」
「私なんかより、もっと幸せになれる相手がいるんじゃないかと、思ったりもするんですが。」
「そんなことありませんわよっ!」
両親が交互に、友雅の言葉を畳み返す。

実際、そんな風に考えたこともあった。
もっと他に、自分なんかよりも相応しい男が、彼女にはいるのではないかと。
その方が彼女は幸せになれるんじゃないかと…少しだけ考えた時もあった。
でも今はそれよりも、もっと強い想いがある。

「それでも今は……もし、そんな相手がいたとしても、あかねさんを譲るつもりはありませんが。」
穏やかだけれど、しっかりとした言葉。
角砂糖をひとつ落としたコーヒーみたいに、甘いけれど足の着いた苦さが存在するような、そんな友雅の言葉に両親ははっとした。
「やはり、私にはあかねさんしか考えられませんし。」
長い睫毛を再び開き、彼は静かに笑顔を作った。


「あかねさんと一緒にいると、何もかも忘れて優しく暖かい気持ちになれるんですよ。」
到底信じて貰えるわけじゃないから、本当のことは打ち明けられない。
けれど、さほど充実した人生を送ってきたわけじゃないことは、どちらにしても真実だ。
女性との付き合いだけに留まらず、友人関係や仕事関係。
そして……家族との付き合いに至るまで、決して満たされていたことはなかった。
何かといえば家柄だとか、階級がどうのとか。
どの妻の子どもが跡継ぎになるのか、とか。自分の周りにあったのは、そんな空虚感漂う話題ばかりだった。
同じ名前で同じ家柄で、ただ違うのはどの女性から生まれたか…。
少なくとも、半分は同じ血が流れているというのに、名ばかりの兄弟たちとは思い出なんてひとつもない。

それなのに彼女は----そして彼女の家族は、全くの他人である自分に対して、こうも屈託なく接してくれている。
一族でさえも触れることがなかった、その暖かい空気。
そんな明るく、いつも陽射しが溢れるような場所で、そんな朗らかさと素直さをすべて受け止めて。
両親に愛情を注がれて、こうして彼女は育ったのだろう。
彼女に惹かれた理由は、この暖かさにどこかで憧れていたからなのかもしれない。

「おそらくあかねさんと出会わなかったら、今も寒々しい人生を過ごしていたかもしれませんね。」
優しさも愛しさも知らずに、ただ過ぎてゆく時間に流されて。
どんなにつまらない日々が、淡々と続いていたのだろう。
「だから、彼女には感謝しているんですよ。私を……幸せに導いてくれた、女神のような存在です。」
「んまあ〜、それこそ、そんなたいした娘じゃないんですのよ?」
ほほほっと笑う母に、ちょっとだけムッとしているあかねの表情。
そういうやりとりさえも、彼には暖かいひだまりのようだ。

このままずっと。ずっと--------こんな小春日和の中で生きていきたい。
そのために必要不可欠なのは、たった一人の存在だ。
何よりも大切な人。その人だけが。
「そんな風に、私にいつも幸せをくれる彼女に、御礼をしなくちゃいけないな…と思っているんですよ。」
「あら、御礼?そんな、こちらこそお世話になっていながら、いろいろプレゼント頂いちゃってるのに!」
「いえ…それこそそんなものでは、釣り合いませんよ。」
いくら贈り物なんかあげても、そんなもの彼女への気持ちとは比べものにならない。
もっと大きなもので、彼女への感謝を表すとするならば…

「ですから、幸せをくれる彼女へは…私も同じもので御礼をしなくてはと。」
ドキッとして、あかねはストローを口から離した。
冷たいクラッシュアイスが、まだ喉元に残っているのに…全然身体がひんやりしてくれない。
むしろ、熱がどんどん上昇してくる。
波打つ鼓動の乱れと同調しながら。

「私は、あかねさんを幸せにしたいと思っています。」

一瞬、辺りがしんと静まりかえった。
やけに、滝のせせらぎの音とかが大きく聞こえる。
最初に切り出した一言。何度も、どう言えば良いのかと悩んだ言葉。
けれど、これさえ口に出来れば…あとは素直に想いを紡げる。
「幸せをくれた彼女には、幸せで御礼をしたい。それが一番相応しいのでは…と、そう思いました。」
例えば抱きしめて、言葉で愛を囁いたり。
そんな目に見えることだけではなく、あらゆることで彼女に幸せを感じさせてやりたい。
「私には、どれほどの力があるか分かりませんが、私にはもう、それ以外のことは考えられません。彼女以外の女性を、愛せないのと同じです。」

---------ですから

「あかねさんを幸せにすることに、私の人生を捧げさせてもらえないでしょうか。」

2010.01.10

Megumi,Ka

suga