My Precious

 002

「不思議なものだよね。私は元々この世界にいない人間なのに、ちゃんとこんなものがあるなんて。」
テーブルの上に置かれた紙は、一通の戸籍謄本と身上書である。
その開かれた書類を見て、しみじみと友雅は首をかしげる。
「私の名前も、家族構成も間違いないし。まあ、腹違いの兄弟とか、私の母以外の妻に関しては記載がないけど。」
「うん…。まさかこんなのがあるなんて、僕も見付けた時はびっくりしました。」

まったく彼が言うとおり、不思議なことがあったものだ。
この世界にやって来た当時、この世界で生きるための手続きがいろいろと必要だった。
住む部屋を借りる時や、仕事を決めるときなど。
そう言った場合に、本人を証明する戸籍が必要不可欠だった。
しかし友雅は、時空を超えた別世界の京から来た人間。そんなものは、あるわけがない。
どうしたらいいだろうか-----------と、誰もが悩んでいた。
が、何故かこうして目の前に、友雅の戸籍謄本が存在している。
偽装とかでは全くなく、ちゃんと役所で申請して受け取った正真正銘のホンモノだ。
父の名前、母の名前も間違いなく彼の両親の名で届け出がされていて、出生届も現在の年齢に合わせて記載されていた。

「これがあるということは、私は元からこの世界にいる…とされているんだよね?」
「そうですね、うん…不思議だなあ…」
あまりにも不可思議なので、興信所でいろいろと身上書を探って貰った。
すると、その身上書によれば友雅は橘家の一人息子で、しかも祖先は貴族の出であるとされている。
幼い頃に両親を亡くして天涯孤独になり、その後は両親の知人が後見人となって成人した--------と書かれていた。
「全くそんな記憶はないんだけどね」
「でも、調べられたってことは、そういう記録が残っているってことですよね」
残念ながら後見人とされている者は、既に没しているらしい。
両親にしても後見人にしても、一体どんな人だったのだろうか。
自分とは違う自分がもう一人いるような気がして、かえって亡き家族にも興味が湧いてきた。

「しかし、都合良く出来ているねえ…。本当に不思議なものだよ。」
戸籍やらが存在したおかげで、何かと生活に不便なことはなく生きてこられたのは、幸いだったけれど。
「多分この世界が、友雅さんがここにいることを、認めているからじゃないかなあ」
「そうなのかねえ?」
「そういう映画とかありますよ。過去に戻っていろいろやって現代に戻ったら、自分の理想的な未来に変わってた…って」
詩紋の父が若い頃に何度も見たという。大好きなSF映画だったのだそうだ。
もしかしたら、こうして彼の戸籍が存在しているのも、あの京での出来事が関与しているのかもしれない。

「出会うはずがないのに、恋に落ちてしまったとか……かな」
「だとすればなおさら、こういうのがあるってことは、いずれ結ばれても支障はないってことかも…ですよ?」
「ふっ…まったくね、詩紋は本当に良い子だな」
指輪が光る手のひらで、何度も何度も彼の頭を優しく撫でる。
彼の言葉が真実なら………いや、真実だと信じたい。


というわけで、ようやく本題だ。
詩紋をここに呼んだ理由は、お茶を飲みながら雑談するだけではない。
「で、どうなのかな。一般的に、どういう挨拶が良いんだろう?」
「えーとですね、母から聞いてみたんですけど、あまりそういうことは、気にし過ぎなくて良いって言ってました。」
詩紋の母は有名なゲストハウスで、ブライダルコーディネーターをしている。
結婚式や披露宴などに携わる仕事だが、その中で新郎新婦の生の声を聞くことも多い。
その中で"新婦の両親へ挨拶”という話もよく耳にすると聞き、それなら…とアドバイスを請うことにしたのだ。
「とにかく、奥さんへの気持ちがご両親に、ちゃんと伝わればそれで良いって。」
「ふうん…難しいな、曖昧すぎて。」
「でも、お母さんの気持ちは分かってるんだし、改めてあかねちゃんを大切にしますって、気軽に挨拶すればいいんじゃないですか?」

3/14のホワイトデー当日、友雅はあかねの両親を食事に誘った。
あかねの母にプレゼントを渡すついでに、いつも世話になっている御礼も兼ねて、食事をご馳走をしようと。
だが、その席で友雅は、彼女の母が一番喜ぶであろうものを贈ろうと考えた。
それこそが………両親への挨拶。
彼女の未来を、自分に譲って欲しい…と。

「もう少しゆっくりでも、良いと思ったんだけどね。期待してくれているなら、早くても良いかなってね。」
「きっと喜びますよ、あかねちゃんのご両親。」
二杯目のミルクティーも、そろそろカップの底が見えてきた。
トレイの上にあったケーキの数も、残り少ない。
「それに、少し焦った方があかねにも良いだろうしね。まったく、人の気持ちも知らないで…天然なんだから困るよ。」
少し呆れ気味につぶやいた友雅を見て、詩紋は思わず吹き出してしまった。

彼が思い出しているのは、あのクリスマスの一件のことだろう。
クラスメートの男子に、友達同士のパーティーに誘われて、簡単にOKしてしまって。
その男子に気に入られてることも気付かず、近場にいた天真はハラハラしっぱなし。
友雅も、のほほんと無意識なあかねにやきもきするやら、見知らぬ男子に嫉妬するやらで大騒ぎだった、という話。
「よそ見させないように、お互いの関係を自覚させてあげないとね。私も気が気じゃないよ」
「友雅さん、やきもちやきなんですね…フフッ」
「そりゃあかねのことになれば、ね。出来るなら、四六時中捕まえて抱きしめておきたい気分だよ。」
妙なものだな。
常に飄々としていて、つかみ所のない感じだった友雅はここにいない。
目の前にいるのは、最愛の人だけを思い続けるロマンチストの男だ。

「あ、でも…僕には嫉妬しないでくださいね?」
そう言って詩紋は、もうひとつの紙袋を取り出した。
中身は詩紋お手製の、自慢のストロベリーマカロン。
彼からあかねに渡してもらおうと、持参してきたものだった。
「これは、バレンタインのお返しですから。義理返しですからね?」
「分かってるよ。詩紋のことは疑ったりしないから、安心しておいで。」
春を映し込んだようなラッピングで、綺麗に彩られた箱を受け取った友雅は、そう答えて笑った。


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暖かいぬくもりに包まれた布団は、この時期は抜け出し難くて困る。
丁度人肌に暖められていて、眠りから醒めても蓑虫のようにくるまっていたくなる。
「……ん?」
ぼんやりした寝起きの頭で、あかねは布団から顔を出した。
隣に眠っていたはずの姿はなく、かわりにぬくもりが残っているだけ。
そして、少し開いているドアのすき間から、甘いバニラの香りが漂って来た。

「おはよ…ございます…」
「ああ、起きたのかい。もう少し寝ていても平気だよ?」
「う…ん、でも……」
まだ半分垂れ下がっている瞼を擦りながら、パジャマ姿のあかねが寝室から出て来る。
布団の中で気付いたバニラの香りに誘われて、キッチンにいる友雅のところにやって来た。
彼がかき混ぜているガラスボウルの中身。
香りの出所は、このクリーム色の緩い生地からだ。

「良い匂いー…」
後ろから覗き込んで、鼻で匂いをくん、と吸ってみる。
「今朝は、私が用意してあげるよ。パンケーキで良いかい?」
「え、パンケーキ作れるんですか?」
実は先日詩紋が来たとき、教えてもらったのがこのパンケーキだった。
最低限、卵と粉と牛乳があれば出来るし、甘いシロップやジャムを添えれば菓子がわりにもなる。
簡単だし、バニラの甘い香りがきっとあかねも好きだろう、と言われたので、作ってみようかと思い立った。

「カットフルーツも買っておいたから、一緒に添えてあげるよ。ジャムもチョコレートソースもあるよ。」
「あ、じゃあアイスクリームも乗せたーい」
確か冷凍庫の中に、バニラアイスがあったはず。
熱々のパンケーキの上で、とろ〜っとアイスがクリームソースのようにとろけて…思い出しただけでも空腹感を際立たせる。
「アイスとチョコソースと、フルーツいっぱいでお願いしまーす!」
「朝からすごい献立だねえ…。私は普通に、バターと蜂蜜だけで良いよ。」
パンケーキ生地がフライパンの上で、ふわふわに大きく膨らんで来るのを、あかねは友雅の隣で楽しそうに眺めていた。

2010.01.10

Megumi,Ka

suga